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音楽室の小さな女の子

14話あらすじ


誰もいないはずの音楽室でピアノの音が聞こえる。幽霊がピアノを弾いているんじゃないか。そんな噂を聞いて、私は本当は何の音がしているのか確かめることにする。

 小学校のころ、宮本君という男の子がいた。彼は私の同級生だった。


 背が低くて、髪の毛はふわふわ。目がくりっとしていて、白い頬がまあるく赤くなっていて、とても可愛らしい男の子だった。

「お人形みたい」と女子のあいだで話題になることもあった。ときおりからかうようにもてはやされて、あたふたする様子を笑われていた。笑われてもどうしたらいいのかわからず、ただ困っているだけだった。


 どういうキッカケだったか、私は彼と仲良くなって、一緒にいることが多くなった。男の子と遊びたがる様子はなかった。乱暴で、野生の動物とたいした違いのないクラスの男の子たちとは雰囲気が違ったから、彼としても女の子と一緒にいるほうが居心地が良かったのかもしれない。


 あまり自己主張をしない子で、何を言っても「うん、うん」とうなずき、私の言うことを聞いてくれた。「図書室に行こう」と言えば黙って後をついてきたし、「あやとりをしよう」と言えば嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた。


 もしかしたら、彼は私のことが好きだったのかもしれない。

 私はそんなこと、気にも留めなかった。

 自分の言うことを聞いてくれる存在が嬉しくて、ただひたすら姉のように振る舞い、彼を連れまわしていた。一人っ子の自分に、弟ができたような気になっていた。彼は私のお人形さんだった。



 当時、私はピアノを習っていた。

 どうにかバイエルを終わらせたくらいだから、たいした腕ではない。だが、私にとってピアノを弾けるというのは自慢で、連日昼休みになると宮本君を音楽室に連れていき、自分の演奏を披露していた。



 宮本君は私の演奏を聞くといつも「すごい! すごい!」と褒め称えてくれた。手を叩いて、瞳をきらきら輝かせていた。

 そういうふうに褒められると、私はすぐ調子に乗る。そんなとき、ひととおり弾ける曲を弾き終わると決まって宮本君をピアノの前に座らせた。

 当然のことだが習ってもいないのにピアノを弾けるわけがない。宮本君は指を迷わせて、ちらりと私を見上げる。それを見て私はさらに優越感に浸り、ピアノの指導の真似事をしてみせるのだった。


 いま考えると、私はいやな子供だった。





 ある日、宮本君を音楽室に連れて行こうとしていると、女の子の二人組みに呼び止められた。ほかのクラスの子だったから、名前はわからない。背が高くておかっぱの子と、私と同じくらいの背で三つ編みの子だった。


 おかっぱの子が私に言う。


「ねえ、音楽室に行くんでしょ?」


「そうだけど?」


「宮本君もいっしょに?」


「うん。そうだよ」


 なんだか邪魔されたようで、私の機嫌は悪くなっていた。「なんで? 音楽室に行ったら悪いの?」と言い返したい気分だった。


「やめたほうがいいよー」


「ねー」


 二人が顔を見合わせた。

 なんなのだろう。この二人は私の何が気に入らないんだろうか。こんな風に邪魔をされるいわれはない。


「先生の許可は取ってるし、他に使ってる人はいないんだから、いいでしょ!」


「違うよー。そういうことじゃなくて……」


「噂になってるんだよ。知らないの?」


「なにが!」


 私の剣幕に二人はちょっとびっくりした顔になって、それから声をひそめて教えてくれた。


 誰もいないはずの音楽室から、ピアノの音が聞こえる。音楽室には幽霊がいる。そんな噂が流れていると。


「そんなの……いるわけないじゃない」


 と私は答えたが、不安になっていた。


 音楽室は他の授業で使っている教室よりも、少し広い。その広さが、音楽室においてある楽器や整然と並んだ椅子が、気軽に入ることはできないような印象を私に与えていた。


 宮本君に自分の演奏を聞かせるため、そういうものを振り払って誰もいない音楽室に入ったとき、なんだか空気が冷たいような気がして、どこかに誰かが隠れているような気がして、きょろきょろと周りを見回してしまったことが何度もある。ピアノを弾いていればそんなことは忘れてしまうのだけれど、そう、確かに音楽室には何かが出てもおかしくない雰囲気があるのだった。


「幽霊が弾いたピアノの音、聞いた子がいるんだよー」


「そうそう、誰もいないはずなのに聞こえたって言ってる子、いっぱいいるよ」


 二人が口々に言う。

 この二人の言いなりになるようなのが癪に触るけれど、不安が増してきて、今日は音楽室に行くのをやめておこうかな、という気分になった。 


 すると、宮本君が首をかしげながら言った。


「音楽室は防音だから、外からピアノの音が聞こえるってことはないんじゃない?」


 そういえばそのとおりだ。宮本君がこんな鋭いことを言うのは意外だった。


「そうよ! 防音なのに聞こえるっておかしいじゃない! やっぱりただの噂なのよ!」


「聞いたひといるんだよー」


「ねー」


 おかっぱと三つ編みが顔を見合わせて笑う。


「噂よ! そうよね、宮本君!」


「うん……」


 と私の剣幕に押されたように頷く。だがそれで十分だった。


「ほら! 宮本君も噂だって言ってるじゃない!」


 私が言うと、二人はため息をついた。


「じゃあ……ちょっとついてきて」





 ついたのは音楽室の前の廊下だった。

 奥に両開きの重そうなドアが見えている。


「ね、見える? 音楽室のドア、閉まってないでしょ」


 よく見ると、確かにドアは閉まっていなかった。ほんのわずか、開いている。


「この学校、古いから、ドアがしっかり閉まらないんだってー。先生が『たてつけ』が悪くなったんだって言ってたよ」


 少し開いているから、ピアノの声が聞こえてもおかしくないということか。よくできた噂だ、と思った。



 私はドアに近づいた。おかっぱと三つ編みが、背後で「やめといたほうがいいよー」「ねー」と言い合っているが、私は立ち止まらなかった。

 さきほど宮本君が冷静な発言をしたことで、次第に私の心も落ち着き、変な噂を信じるなんて馬鹿らしいという気持ちになっていたのだった。


 いまも後ろについてきている宮本君は、私を止めようとはしていない。噂を信じていないのだろう。宮本君が近くにいてくれるだけで安心できる気がした。こんなに頼れる子だったとは思わなかった。いつもは下に見ているのに。



 目の前まで近づくと、ドアの隙間から音が聞こえていた。


「……聞こえる」


「だから言ったのに……もう近づかないほうがいいよ……」


 だが聞こえている音はピアノのものとは少し違っている気がした。ピアノよりももっとくぐもったような、はっきりしない音だ。

 どこかですきま風が吹いているとか、そういうことかもしれない。


 私はドアに手をかけた。静かに、音を立てないようにゆっくりとドアを開いた。

 音の正体を確かめようとしているのだ。

 後ろの三人も、それがわかったのだろう。騒ぎ立てることはなかった。息をひそめているのが伝わってきた。



 音楽室の中に、ゆっくりと入る。

 閉じ込められた空気が、ほかの場所よりも重みを持って存在しているような気がした。


 音はまだ続いている。

 ピアノのあるほうを確認した。ピアノの前には誰も座っていなかった。黒い椅子の皮が見えている。

 そもそも鍵盤部分のふたが閉まっているのだ。これではさすがに幽霊でも弾けないだろう。


 ――ほら、やっぱり。噂だけだったんだ。


 と私は思った。


 だが、不思議なこともあった。音はまだ続いている。何の音かはやはりわからない。しかし、ピアノのほうから聞こえているような気がする。

 幽霊ではないと確かめたし、宮本君もいるので私は安心していた。どうにかしてこの音の正体を確かめてやろうと思った。


 ピアノの方へ向かう。


 近づくにつれ、音がはっきりとしてきた。

 これはどこかで聞いたことがあるような……考えるうちに、私ははっと気づいた。

 このメロディーは知っている。私の大好きな曲、『人形の夢と目覚め』だ。この音楽室でも何度も弾いたことがある。

 くぐもった音で、テンポもあやふやで最初はわからなかったが、もうほかのメロディーには聞こえなかった。聞こえているのは間違いなく『人形の夢と目覚め』だ。


 ピアノの前には誰もいない。

 なのにどうして聞こえているのだろう。


 鍵盤を触らずにピアノを弾く方法……。自分がピアノを習っているせいだろう。私はそれを思いついてしまった。

 この方法なら、たぶん音を出すことはできる。気づいてしまったら、確かめるしかなかった。後戻りすることは、考えられなかった。正体がわからないままにしたら、一生幽霊の影におびえることになってしまう。





 ピアノは打楽器だ。鍵盤を叩けば音が出る。正確に言うと、鍵盤を叩くことでハンマーが動き、それが弦を叩いて音が出るのだ。

 鍵盤を触らずに音を出したいのなら、その弦を直接叩けばいい。


 音楽室のピアノはグランドピアノだった。グランドピアノは鍵盤の後ろにびっしりと弦が張られている。

 たとえば発表会のときなどは、音を良く響かせるためにその弦が張られている部分のふたが開けられるのだが、いま私の目の前にあるピアノはふたが閉まっていた。普段はふたを閉めるものなのだ。




 誰かが、何かが、この中で弦を叩いていれば……音は出る。


 私は音を立てないようにゆっくりとふたを持ち上げた。


「――っ!」


 悲鳴を上げそうになるのをなんとかこらえた。

 びっしりと張られた弦の上に、小さな女の子がうつぶせになっていた。

 私と同じ、この学校の制服を着ている。前髪が長くて、顔は見えない。だが一目見て、女の子が普通ではないことがわかった。頭も手も足も、すべてのパーツがおもちゃみたいな小ささだった。それに肌がてかてかと光っている。とても人間とは思えない。よくできたミニチュアだ。

 それが、動いている。ピアノの弦を叩いている。


 これこそが幽霊の正体だった。


 小さな女の子は演奏に夢中で、私に気づかないようだった。強く叩きすぎて、指からは血が流れている。それでも気にせずにピアノの弦を叩き続けていた。

 どうにかして、『人形の夢と目覚め』のメロディーを再現しようとしていた。

 人形めいたパーツが滑らかに動く。それは現実のような、夢の中のような、奇妙にくっきりとした生々しい動きだった。


 ――どうしよう。


 いますぐ逃げ出したいが、それはできない。私は両手でふたを持ち上げている。逃げるために手を離したら、ふたが勢いよく閉まって、この小さな女の子に気づかれてしまう。

 それはまずいと思った。

 私に気づいたら、この女の子はきっと追いかけてくるだろう。それだけは避けなければならない。取り返しのつかないことになってしまう予感がした。



 どうすればいいの――と後ろを振り返った。宮本君たちがいるはずだった。 


 そこには誰もいなかった。



 そうだ、私は音楽室に入ってから振り返らなかった。喋らなかった。ずっと後ろからついてきていると思っていた三人は、最初からいなかったのだ。


 おかっぱと三つ編みは最初から音楽室に行かないほうがいいと言っていた。それならついてくるはずがない。

 宮本君だってそうだ。「音楽室に行ってみよう」なんて一言も言っていない。「外に音が聞こえるかな?」と疑問を口にしただけだ。あとは私の言葉に「うん」と相槌を打っていただけ。

 それだけでついてくるはずだと思い込んで、私は確かめもしなかったのだ。


 宮本君は人形ではない。人間なのだから、いつでも私の思い通りに動くはずもないのだ。





 いつのまにか、音楽室は静かになっていた。

 ピアノの音が消えている。


 私は視線を戻した。


 ピアノの中から、小さな女の子が私を見つめていた。私を見つけてにこりと笑っていた。

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