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夢うつつ

10話目あらすじ


夜寝ているあいだに窓から入ってくる腕についての話です。

ふわっとした感じのホラーです。

 カーテンが揺れる。

 誰も触っていないのに、ひとりでに、動いている。


 フワリ、フワリ。


 私は眠る前に、窓を開けていたことを思い出す。

 僅かに開いたそのすき間から、きっと風が吹き込んでいるのだ。


 私の部屋は二階だ。

 窓の鍵を閉めていなくても、問題はない。

 泥棒が入ってくるなんてことはない。

 ……たぶん。


 心地よく冷たい風を肌に感じて、うつらうつらと、また夢の中へ誘われる。


 ――まるで生き物のように。


 フワリとカーテンが揺れる。

 その向こう側で、何かが動いていたような気がした。



 ***



 眠るときにいつも着ている白いパジャマがある。

 これは自分で買ってきたものだ。

 首の回りがかゆくならないように、襟がないものを選んだ。

 ゆったりとしたサイズで、着心地もいい。


 デザインは和風だ。

 一枚の布を胸の前で重ね合わせたような、不思議な衣装になっている。


 寝るときに着るものだから、見栄えを気にする必要はない。

 多少変わっていても、かまわない。

 なにより、私はこのパジャマが気に入っている。

 だが、これが普通のデザインではないというのは、もちろん事実だった。


「あんた、そのパジャマなんのつもり――」


 母親が嫌らしく顔を歪めて言う。

 誰かを攻撃できそうな材料をみつけると、母親はこの顔をする。

 そして、大喜びで難癖をつけ始める。


 なぜそんなことばかりするのかはわからない。

 動物の習性のようなものなのかもしれない。

 理由もなく、ただ単にたまらなく楽しいのだろう。


 ひとが嫌がっているのを見ると、さらに喜んで、執拗に嫌がらせをする。

 邪魔をして、台無しにして、踏みにじる。

 そんなときに見せる醜く歪んだ顔は、母の歓喜の表情なのだ。


「ああはい。おやすみ」


 さえぎるように言って階段をあがった。

 会話をしても無意味だ。

 どうやってもコミュニケーションができない。

 はじめから攻撃することしか考えていない生き物と理解しあうのは、不可能だ。

 そのことは、ずいぶん前から、思い知らされていた。


 そういえば、あのときフワリと揺れたカーテンの向こうに見えていたものは、何だっただろう。

 急にそんなことが気になってくる。

 何かがいたような気がする。

 それともあれは、夢だっただろうか。



 ***



 フワリ、とカーテンが揺れる。

 今度ははっきりと見えた。

 窓から部屋のなかへ、手が伸びている。

 二階の窓からだ。

 伸ばした腕に影ができていて、それが妙にリアルだった。


 肘から肩に向かう途中で、それはカーテンの向こうに消えていた。

 どうしても、腕しか見ることができない。

 肩の先は常にカーテンに隠れている。


 角度を変えてなんとか見てみようとしても、からだを起こすことができない。

 ここが夢の中だからだろう。


 その手は、不思議なことをしている。

 私の布団を整えている。

 まるで儀式をしている最中のような、丁寧な手つきだ。

 ひとつ一つ、布団のしわを伸ばしていく。


 ――お母さん?


 そんな言葉が思い浮かぶ。

 私のやることすべてに難癖をつけようと待ちかまえている、あの母親ではない。

 物語の中でしか見たことのない、保護者としての役割をもった人間のことだ。

 母親の優しさだとか、慈しみのようなものを、その手からは感じられた。


 朝になって目を覚ますと、その手は消えていた。

 二階の窓からさしのべられた手が、私の布団を整えている。

 それは夢の中ならではの、つじつまのあわない意味不明な状況だ。

 冷静に考えると、恐怖するはずの場面でもあった。


 二階の窓から入ってくる腕。

 人間が届かない高さだ。

 だとしたら、それは人間以外のもの――。

 そう、幽霊だ。


 だが、何度思い出してみても、どうしても、あれが恐ろしいもののようには思えなかった。



 ***



「昨日、何かあったの? 早退してたけど? 病気? 風邪?」


 私が尋ねると、さゆみはうなずいて、ちょっとどう説明しようかと考えて、すぐにあきらめたように話し始めた。


 顔色が悪いわけでも、ひどく咳き込んでいるわけでもない。

 いつも通りに短いスカートから太ももをのぞかせていて、特に寒がりもしない。

 それは病人の様子ではなかった。


「私じゃなくて。私は元気。なんか、死にそうなんだって。お母さんのお姉ちゃん。でも私、喋ったこともないし、知らないひとなんだけど、病院に呼ばれた」


「ふーん、そういうことあるんだ? 親戚だから?」


「そ、おばさん? よくわかんないけど」


 親戚という言葉にいい印象はない。

 私の「自称親戚」たちは、たまに会うと私をいやらしい目付きで眺めて、何の理由もなく威張りちらす。

 最後に「親戚だから」と言い張れば、なにをやっても許されると考えているような人たちばかりだ。


 面倒くさいからと親戚同士の関係性を築くことは放棄して、都合のいいときだけは親戚だから何をしてもいいんだと主張する。

 義務は他人に押しつけて、権利はすべて、自分のもの。

 そんな自分たちの行動に、なにひとつ筋の通った部分がないことに気づかないのだろうか、と不思議になる。


 彼らはまともにものを考えることができないのかもしれない。

 その場その場で都合の良さそうな理屈に飛びついているだけなのだろう。

 外見は人間に見える、よく似た別の生き物なのだ。


「学校休めるなら、ラッキーだね」


 と私は言った。


「うん、ううん、なんか」


 さゆみはくちごもる。


「なんか、人が死ぬのって気持ち悪い」


 わかるような気がした。

 誰かが死ぬというのは、現実感がない。

 身近なひとが死んだ経験もない。

 だから、悲しいわけでもない。

「気持ち悪い」という表現が、ぴったりの気分だ。



 ***



 あの手が、またカーテンの向こうから伸びている。

 本当にこれは夢なのだろうか、と考える。

 そして同時に、自分が怖がっていないことにも気づく。

 不思議と冷静だ。


 布団の中で仰向けになったまま、じっと手の動きを観察する。

 丁寧に布団の乱れを整える手つきは、やはり儀式じみている。

 その手が突然、すうっとカーテンの向こうへ消えた。


 ――どうしたんだろう?


 もう終わりなのだろうか。

 結局何をやりたかったのか、わからない。

 布団を整えただけだ。

 ただの親切な幽霊なのだろうか。


 そうしてじっとしていると、手が戻ってくる。

 予想外のものを握っていた。

 花だ。

 私の布団のうえに、それをそっと置いている。


 ――何これ?


 考えるうちに、可笑しくなってきた。

 幽霊のする行動ではない。

 プレゼントにお花を持ってくる幽霊なんて、聞いたこともない。

 これはどういう夢なのだろう。


 朝、目が覚めたときも、私はちょっとにやにやしてしまうような気分のままだった。

 起き上がったときにポトリと床に落ちたものを見つけて、首をかしげた。


 床には花が落ちていた。



 ***



「具合そんなに悪いんだ? おばさん」


「らしいよー」


 と言ってから、さゆみがつけくわえる。


「おばさん、かなりお金貯めてたんだって。結婚してないから、もしものときにって。お金しか頼れないからって」


「へー、まあ、そうかもね」


「うん、真理。それで、死んだらそれ貰えるから、お母さんが張り切ってる」


「ああ……」


 さゆみのお母さんは、いまは仕事をしていないが、もともとはバリバリのキャリアウーマン。

 ドライだが、きっちりしているひとだ。

 遺産があるというのなら、少なくともその分の面倒は、間違いなくみるのだろう。

 姉妹だから、というあいまいな理由よりも、具体的なメリットをはっきり提示している分、お姉さんのほうも安心できるのかもしれない。


 同じ状況で、たとえば私の母親だったらどうするのだろう、と考えてみる。

 殺すかもしれない。

 遺産をはやく貰うために。



 ***



 カーテンがフワリと揺れる。

 そして、手が現れる。

 これは毎晩繰り返されている。

 もはやおなじみの光景になっていた。

 窓の隙間から差し込まれた手を見ても、やはり、恐怖は感じない。


 手が、また新しいことを始めた。

 何かを持って、私の顔を撫でている。


 ――やりたいことが、わからないよ。


 くすぐったさもあって、吹き出しそうになる。

 唇をなぞられる感覚で、ようやく何をしているのかがわかった。

 お化粧だ。


 ――寝ているあいだに化粧をしてくれる幽霊って、便利かもしれない。


 笑いそうになるのをこらえているうちに、私は眠りについていた。


 目が覚めて、自分の唇を確かめる。

 幽霊の化粧は、ちゃんと残ったままだった。

 私の好みよりは、少し濃いかもしれない。



 ***



「久しぶり。また休んでたんだね」


「うん、お葬式。おばさん死んじゃった」


「あ、そうなんだ?」


 ちょっとどう声をかければいいのかわからない。

 さゆみは気にしていないようだった。

 淡々と、話を続ける。


「私、お葬式って、ちゃんと出たの初めて」


「うん、そうだよね」


 私たちには、まだ縁のない儀式だ。


「ね、死んだひとって、白い着物着るの。知ってた?」


「知ってるよ、それくらい」


 白い着物、胸の前で布を重ね合わせたようなそれは、頭に思い浮かべることができる。

 どこで見たのだろう。

 お化け屋敷……テレビかもしれない。

 幽霊役をやるなら、定番の衣装だ。


「あとね、お花を入れるの。けっこういっぱいだよ」


「うんうん、そうだよね」


 それも知っている。

 知識としては知っているが、見たことは――。


 何かが頭の中に浮かんだ。

 花。

 最近どこかで見かけた気がする。


「あとー、お化粧するんだよ。死んでるのに。おかしくない?」


 お化粧。

 それは――。

 どこかで――。

 そう、誰かにお化粧をされた記憶がある。

 つい最近のことだ。


「なんか、やっぱり悲しいかも」


 さゆみがポツリと言った。


「そうだよね」


 と私は答えた。

 だが、私には現実感がない。

 気持ち悪いだけだ。

 ひとが死ぬというのは。


 いや、気持ち悪いのも、本当だろうか。

 なんとなく、そう思い込んでいるだけなのかもしれない。



 ***



 あの手が窓から伸びている。

 私の布団の乱れを、慣れた手つきで整えていく。

 甘い香り。

 花はもう、敷き詰められたあとのようだ。


 ――この儀式の終わりは、どのように訪れるのだろうか。


 夢の世界へ落ちていくあいまの僅かな覚醒のなかで、私はそんなことを考える。


 ――たぶん、私がそれを見ることはできないのだろう。


 起きているうちに、この儀式が終わるとは思えなかった。

 きっと私が眠っているあいだに、終わりが訪れるのだ。


 特に抵抗するつもりはない。

 ゆっくりと、私はまぶたを閉じた。

 そのときが来るのを、眠って待つだけだ。


 コクリ、と唾を呑み込んだ。

 なんとなく、楽しみな気分になった

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