一般人が異世界に転生するまでの話
「また転生ものかぁ・・・。」
私は棚にある本の表紙を見て、そう呟いた。
どうやらアニメ化もされている人気作品らしいが、私はその本には興味が湧かなかった。理由は二つある。それは私がその本の表紙絵が自分好みではないというのが一つ。もう一つは似たよう物語が無数にあり、読み飽きてしまっていたということだ。別に似たような物語が無数にあるのは悪いことじゃない。需要もあるのだからあって当然だろう。他の棚も見てみるが、どれも長いタイトルの一部に『転生』の文字が含まれている。はて、以前は何が流行っていただろうか。忘れてしまった。昔のことを思い出そうとしていると、耳元で声がした。
「転生モノをお探しかね?」
声の主は少し痩せた老紳士だった。私よりやや背が高い。後ろにまとめられた黒い髪には白髪が混じっている。しわ一つない紺色のシャツ。赤いサスペンダーが黒色のズボンを掴んでいた。
「あ、いや・・・。」
突然声を掛けられた私はちゃんとした返事ができなかった。
「おっと、驚かせてしまったかな?」
男は微笑むと、私が見ていた本を手に取った。手が大きいせいか、本がやや小さく見える。
「最近アニメ化もした人気の作品だ。いじめられっ子の主人公がある日車に引かれ、神様の配慮で異世界に転生する。」
本の裏表紙を見つめながら、男は私に読み聞かせるように言った。
「転生もの、お好きなんですか?」
「フフフ、本は全部好きだよ。転生モノに限らずね。」
そう言うと、男は持っていた1巻を棚に戻し、9巻を手に取った。
「この物語は最近また話題になったけど、連載開始したときも結構注目されたんだ。」
「へえ、やっぱり、面白い内容なんですね。」
「どうかな。万人受けするものなんて無いからね。バッシングも多いと聞くよ。」
男は9巻の表紙を私に見せて微笑んだ。自分は"好きな側"であることを主張するようだった。
「今のヒトは『転生』という言葉が好きみたいだけど、要するに『生まれ変わったら』の話だ。『生まれ変わるなら何になりたい?』なんて質問、よくあるだろう?ワタシは生まれ変わるとしたら猫になりたい。特別な力を得ずとも、猫になって毎日を自由に過ごせば、きっと楽しい生活ができるだろう。キミは何になりたい?やはり、力が欲しいかな?」
男に質問され、私は左手を右腕に、右手を口元に当てた。
もしも生まれ変わるとしたら・・・。今の自分を、世界を捨て、新たな世界で新たな自分に生まれ変わる。確かに魅力的ではある。どこかの物語の主人公なら強い力や魔法、特別な才能を得て人生の再スタートだろう。特段、今の世界を嫌っているわけではない。けれど、もしもそういった特別な力を手にすることができるのなら、そのほうが楽しそうだ。
「そうですね。この世界に無い特別な力を得られるのなら転生したいですね。」
私が欲望をそのまま口に出すと、男はフフフと小さく笑い、私の耳元でこう言った。
「ならば、少し面白い話を聞かせてあげよう。」
書店を出てすぐ右。大通りを左折してから、馴染みのない食堂の横の細い通路に入り、しばらく直進する。
歩いている間、私と男は全く会話をしなかった。話すべきではないと思った。話す場所、話す時刻があらかじめ定められている。そのような感覚が私の口をきつく縫い付けた。
人が生活している気配のない建物が並ぶ通路を進んでいくと、そこには小さな喫茶店があった。
「いらっしゃいませ。」
私たちが店に入ると、老いた店員が小さな声で言った。客は老人がカウンターに1人と奥のテーブル席に2人。店員は1人だけのようだ。所々に観葉植物が置いてあり、木造の店内と調和して落ち着いた雰囲気になっている。大通りに面していれば客の出入りも多かっただろう。大きめの窓がいくつかあるが、周囲の建物によって日光は遮られ、灯りは店内の照明のみとなっていた。私たちは手前のテーブル席に座った。ダークブラウンのテーブルの上にはA5サイズのメニューが置いてある。普段は全くコーヒーなど口にしないのだが、飲み物はコーヒーしかないようだ。私は男と同じものを注文することにした。
店員が注文を繰り返し、カウンターへ戻った後、男がゆっくりと話し始めた。
「『輪廻の魔輪』を知っているかな?」
「いえ、聞いたことがないです。」
「輪廻とは仏教やヒンドゥー教などに伝わる概念で、ヒトはみな姿形を変えて生死を繰り返しているというものだ。」
「いわゆる『転生』ですね。」
「その通り。キリスト教やイスラム教などは神が存在し、死者は神の手によって裁かれて、善人が行く世界と悪人が行く世界に分かれる。『輪廻の魔輪』は"そこ"の違いの中に現れる。」
「"そこ"?」
「思想や宗教のことさ。ここ日本も例外ではない。様々な教えが混ざり合い、神仏だけでなく悪魔や幽霊などの存在が非常に不安定だ。その歪みで『輪廻の魔輪』は生まれ、ヒト、動物、虫、植物、感情、思惑、この世界のあらゆるモノをミキサーのようにかき混ぜ、あらゆる世界に排出する。」
男は右手の人差し指をグルグルと回した後、5本指をテーブルへ向けた。
「本来、死後はそれぞれの教えに従って魂が天国やら地獄やらに分かれる。けれども『輪廻の魔輪』に巻き込まれた場合はそうはいかない。」
「普通の死とは何か違うのですか?」
「異世界への転生が確定するんだ。」
私はそれが何を意味するのか分かるまで時間がかかった。私が男の話を理解する前に、注文した品が来た。香りの強いブラックコーヒー。男はそれを一口飲み、話を続けた。
「仏教などの輪廻には六道という6つの世界がある。キリスト教のカトリックなら死後の世界は5つだ。『輪廻の魔輪』に巻き込まれた場合はいずれの世界でもない世界へ送られる。異世界にはこの世界の神仏はおらず、似て非なるモノがその世界を支配している。世界の創造者が異なるのだから、必然的に世界の法則も異なる。この世界には存在しないモンスターや魔法が異世界には存在している。」
男はまた一口コーヒーを飲む、私も一口飲んでみるが、それがそこらで売っている缶コーヒーより美味しいのか、それとも美味しくないのか分からなかった。
「先ほどワタシは『輪廻の魔輪』をミキサーに例えたね。」
「はい。この世界のあらゆるモノをかき混ぜる、と。」
「異世界に排出されるのは『輪廻の魔輪』に巻き込まれたモノの性質が混ざったモノなんだ。例えば、キミと猫が『輪廻の魔輪』に巻き込まれたとしよう。結果、異世界に排出されるのは『猫の身体能力を身につけたキミ』か、あるいは『ヒトの頭脳を持った猫』だ。いずれにせよ、『獣人』が異世界に排出されるわけだね。」
「なるほど。しかし、魂はどうなるのですか?『猫の身体能力を身につけた私』が異世界へ送られた場合、猫の魂はどうなるのでしょう?」
「"消滅"するか、キミの魂と"混合"する。混ざりこんだ場合は性格や好物などに影響するだろう。魂や性質の混ざり加減は『輪廻の魔輪』の加減によるだろうね。」
男と私はコーヒーをほぼ同時に一口すする。
柱に掛けてある振り子のついた時計を見ると、午後3時半を少し過ぎていた。
「つまり、『輪廻の魔輪』が出現すると、特別な力を得た"何か"が異世界に送られるということでしょうか。」
私が話の要約を男に確認すると、男は微笑み、こう答えた。
「ああ。特別な力を得た"キミ"が異世界に『転生』できるってことさ。」
ひどい寒気がした。心臓の鼓動が大きな音を立てて私に警告している。体の自由が利かない。なんだろうか。恐怖か。恐怖が私の体を拘束している。この男は何が言いたい?この男は何をしようとしている?この男は・・・誰だ?
「キミは『転生』したいと言ったね?」
男が立ち上がると、左手を挙げて人差し指を左周りにくるっと回した。
「いや、私は・・・!」
「リクエストにお応えしようじゃないか。」
その瞬間、とてつもない力で体が引っ張られた。何かに巻き込まれている。店員も、客も、店自体も、何もかもが。竜巻の中にいるような感覚だった。いや、もっと規模が大きい。空間ごと混ぜられているようだ。回転の中心にはあの男がいた。そうか、そういうことか。あの男そのものが『輪廻の魔輪』だったのだ。
ふと目を覚ますと野原にいた。体を起こして辺りを見回すが、あるのは草木だけで、特に珍しいものはない。
「ここは一体・・・。」
ぼんやりとしている頭を必死に働かせる。そうだ、思い出した。私はあの男に。いや、『輪廻の魔輪』に巻き込まれたのだった。あの男が本当に『輪廻の魔輪』だとしたら、私は異世界に『転生』したことになる。しかし、異世界らしいところは今のところ見当たらない。とにかく、異世界ではなかったとしても、ここがどこなのか確認すべきだ。私は立ち上がり、ふと後ろを向いた。
「あ。」
"それ"を見たとき、ここは異世界に違いないと悟った。そして、おそらく私は"それ"に召喚されたことになるだろう。
目の前には、魔法使いの恰好をしたエルフがいた。
お読みいただきありがとうございました。




