本家と分家
「燈中、当主になっちゃったね」
日のあまり当たらない北の方角にある和室で、燈中は次期当主の優璃とまったりしていた。さすが本家というべきか、出てくる茶も菓子もとても美味しい。おそらく、燈中の家とはそれに使われる金額が大幅に違うのだろう。
「これで艮は安泰だけど、僕としては困ったな」
「何で?」
彼女のその素直な質問に、優璃の冷たく見える瞳が向けられる。しかし、平生の彼を知るものが見れば、とても人間らしい光が宿っていると感じるに違いない。
「当主同士の婚姻はできないんだ」
「コンイン?」
蛇又用にと出された練り切りを頬張りながら、燈中は首を傾げる。優璃はとても頭がよいので、彼女が知らない言葉をよく使うのだ。
「僕と燈中は結婚できないってことだよ。ねぇ月光」
「はい。本家の当主と婚姻を結べば、やはりその家の力が強くなりますので…分家のパワーバランスが崩れてしまいますからね」
本家を頂点として、この一族は成り立っている。本家以外の分家はどの家も平等で上下関係はない。しかし、本家の当主と婚姻を結べば、本家の中でも発言権が持てることになる。いくら本家の血筋の人間だとしても、トップである本家当主の妻または夫を、蔑ろにはできない。それが分家の当主であれば、自分の家に有利に働くことだってある。そのため、当主同士の婚姻は禁止されているのだ。
「ふーん…」
燈中は中学生になったばかり。一つ年下の優璃に至っては、まだ小学生だ。結婚のことなんて、考えたことはなかった。成人している兄ならば、話は別かもしれないが。
「(…この童、危ういな)」
燈中の腕に巻き付いていた蛇又は、ちらりと本家の跡取りの顔を盗み見た。当主会の前に逢ったときも思ったが、とんでもないものを抱えているこの子供は、蛇又のことなんぞ意にも介さず、燈中だけを見つめている。
「そんなことより優璃、今日龍王さまは?」
「コウリュウは今日出してやらないんだ。昨晩ケンカしたからね」
「えーそうなの?シンカイと会わせたかったのに」
コウリュウとは優璃が体に下ろしている龍の二つ名である。本家の当主は代々龍を体に取り込み、力を借りているのだ。似た容姿である龍王と蛇又を合わせたかったという燈中に、優璃は困ったように笑った。愛しい彼女の願いでも、今日は龍王と会わせてやるつもりはない。
「あ!もう5時だ。そろそろ帰らないと夕飯に間に合わない」
「そう…もうそんな時間か」
垂れた目に悲しそうに睫毛の影が落ちる。本家と艮家は、車で2時間くらいかかる距離にある。普段もなかなか会えず、今日会ったのも何ヶ月ぶりかわからない。燈中は自分の携帯電話を持っていないので、そう頻繁には連絡することができなかった。
「では、車を手配して参ります」
「そうだ…待って、月光。帰りはお前の背に乗せてやって…そうすればあと1時間は一緒にいられるからね」
「えー!ガッコーが送ってくれるの!やったー!」
背に乗せるという言葉に、少し不快そうに眉を顰めた月光だったが、主人の命に背く気はないのだろう、小さく頷き、あげた腰を下ろした。
「ねぇ、燈中…蛇又をどうやって屈服させたの?」
今の今まで蛇又をいないもののように扱っていた優璃が、腕に絡まる蛇又へ視線を寄越した。よくぞ聞いてくれました、と燈中は意気揚々と蛇又との出会いを話し出す。
「そこで私は言ったわけですよ!『さぁ!観念して私の式鬼になりなさい!』そしたら、シンカイは…」
「そう…燈中は強いね」
楽しそうに話す燈中の拙い言葉を、優璃は穏やかな眼差しで見つめている。
「じゃあね!優璃!」
「うん…」
帰る時間となり、竜体に変化した月光が庭に待機している。また来るようにと念押ししてから、優璃は握っていた彼女の手を離した。
「またね!」
小さくなってもずっと手を振り続けてくれている燈中へと、同じように手を振り返していたが、ふと不快そうに顔をしかめた。
「ああ、うるさいな!コウリュウ!」
頭の中に響く、龍王の声。朝からずっと遮断していたのだが、燈中が帰ったことで縛っていたものが緩んだのだ。
「…………」
再度龍王の声を遮断して、ふうと小さく溜息を吐く。
月光ーー飛竜の背に乗った愛しい人が遠ざかっていくのを、障子に寄りかかり眺めていた少年は、ぽつりと呟いた。
「ーーーーどうか、早く堕ちてきて」