新しい当主
「艮家の新しい当主、燈中にございます」
叔母に促されて、燈中はゆっくりと頭を下げた。挨拶の仕方は姉と叔母にみっちり仕込まれている。頭をあげれば、奥の方に友人であるトビの顔が見え、燈中は少し口角を上げた。
彼の一族のトップに連なる者たちが集まったこの場には、年若いものはほとんどいない。ずらりと広間に並ぶのは、年を経た分の皺を刻んだ、壮年の男たち。この中では若い部類に入る叔母もまた、燈中と同様に少し浮いて見えた。
「蛇又…!」
「まさか、あの小娘があの邪を?」
ひそひそと交わされる当主たちの声は、当然燈中の耳にも届いていた。小娘だろうと、大物を式鬼として下してきたのは事実。燈中は誇らしい気持ちでいっぱいだった。
「ご覧の通り、この娘は蛇又を式鬼に下しました。慣例通り、艮の当主の座を本日を持ってこの娘に渡します」
もともと、燈中の叔母は兄が鬼籍に入ったための代理当主だった。力の有無に関わらず、当主になれる直系の人間は彼女しかいなかったのだ。ーー艮の人間は、おおよそ短命なのだ。
「この時より、兼上の末娘 燈中を艮家の当主とする」
重々しく響く本家の当主のその言葉に、叔母と燈中は再び頭を下げた。
「あー、疲れた!」
「お疲れ様。何事もなく終わって安心したわ」
このお転婆な姪が何かやらかすのではないかと、内心ヒヤヒヤしていたのだ。他家の当主に噛み付いたりしないか、裾を踏んで転んだりしないか。
当主という重責をまだ幼い姪に負わせるのは不安しかないが、第一段階はとりあえずクリアしたと言える。実力は、前当主ーー兄の娘なだけあり、誰もが認めるほとだ。問題はまだ子供であること、そして、女であること。この一族で女当主は、今や姪だけなのだ。
「あ、叔母様、私 優璃とお菓子食べる約束してるから」
「え?」
玄関へと続く廊下の曲がり角で、燈中が足をとめた。今、この娘は信じられないことを口にしなかったか。
「い、今なんて?」
「優璃とお菓子食べる約束してるから、寄り道してから帰る。先に帰ってて」
ーー何という約束をしているのだ、この娘は!
真っ青になった叔母には気付きもせず、燈中は優璃ーー次期当主の部屋へと足を向ける。
次期当主といえば、現在本家の慣習により龍を体におろしている最中である。普通は誰とも会わず、否、溢れ出る龍の力が強すぎて、他者と会えるはずもないのだが。
「ま、待ちなさい!燈中!」
「夕飯までには帰るよー」
「そういう問題ではないわ!燈中!!」
前を歩く燈中を捕まえようと叔母は手を伸ばすが、軽い足取りの姪へは届かなかった。同じように着物を着ているというのに、なんて俊敏なのか。
「お帰りの際は、本家から車を出しますので」
「あ、竜の人!」
「月光です、燈中お嬢様」
角を曲がったところで、かっちりとしたグレーのスーツを着た二十代半ばの男が立っていた。前髪は邪魔にならぬよう全て後ろへと流されている。
「ですが…」
「約束を反故にされますか?……坊っちゃまが何と仰られるか」
「…わかりました」
本家の次期当主には逆らえない。いくら艮が分家の中でも力を持っているとしても、あくまで分家には違いない。
「本当に、夕飯までには帰るのよ。あなたの母さまと縁鬼がご馳走を作って待っているはずだから」
燈中にきつく言い渡し、そして月光へと視線を向けた叔母は、丁寧に頭を下げると玄関へと向かっていった。