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闇にうつろふ  作者: 五月蒼井
壱、
2/35

漆黒の蛇








「……燈中(ひなか)が帰ってきた」



台所に立ち、夕食を作る燈中の母の手伝いをしていた縁鬼(えんき)がぽつりと呟いた。気配を探るように宙を見つめ、今度はしっかり彼女の気配を掴んだようだ。



「あら…まだ半日も経ってないわよ?」



燈中の母がきょとんと目を円くした。今まで修行をこなしてきた息子の右介(ゆうすけ)と娘の李左(りさ)は、何日も帰ってこなかったので、当然末娘もそうなのだと思っていたのだ。皆が言うには、燈中は兄妹の中で一番力があるというし、なおさら帰ってこないものと思っていたのだ。


手伝いを辞して庭へ出た縁鬼は、彼女の姉である李左の姿を認めた。そして、その向こうにいる一族の当主となった娘。こんなに早く帰ってくるとは誰も思っていなかったのだ。自分や右介に李左、彼女の叔母を含めて。


数時間前には新品同様だった服は見るも無惨な姿になり、腕の袖などはもはや存在したのかさえ疑わしいほど、原型をとどめていなかった。ーーいや、やはり式鬼を下してくるのは大変だったことが窺える。



「燈中、そいつが式鬼(しき)か…?」



兄と姉、そして叔母が絶句する中、縁鬼が歩みを進めながら緩慢に口を開く。近づくにつれ、彼女が下してきた式鬼の全貌が明らかになる。



「まさか、燈中が蛇又(じゃまた)を下すとは…」


「貴様、千里の鬼…!」



蛇又と呼ばれたその妖は、縁鬼を睥睨して忌々しそうにシューッと唸った。どうやら蛇又は縁鬼と知り合いのようだった。



「なんじゃ、小娘の父親は兼上(かねうえ)か。ふん……道理で、な」



ちらりと燈中を見やって、再び縁鬼へと視線を戻す。ーー鬼籍に入った燈中の父は、先先代当主であり、実力者だったため、長命である蛇又が知っていてもふしぎはない。



「道理で何よ、シンカイ!」


「シンカイ?」



未だこの場で口を開いているのは三人だけ。叔母に兄と姉は一歩も動けないままだった。衝撃はもとより、蛇又に威圧され、恐怖心も相まって、身動きがとれないのだ。まさに、蛇に睨まれた何とやらである。


ちなみに、兄と姉の式鬼たちは、蛇又の気配を察知するとともに姿を消した。それほどまでに、蛇又は格が違うのだ。



「式鬼としての名前だよ!帰り道に考えたの」



不機嫌そうに名を鸚鵡返しにすれば、誇らしげに燈中が説明を入れた。ーー式鬼を縛るには、名を与えることが重要となる。その言霊を鍵に、邪を絡め取るのだ。



「浅慮な童じゃのぅ。……こんな小娘に縛られるとは、我も堕ちたものじゃ」


「ふーんだ!!それでもシンカイは私に負けたんだから、今日から私の式鬼だよ!」



あの、蛇又を負かした。兄と姉は顔を見合わせた後、末の妹を見た。あの森には邪が溢れている。奥地に行けば行くほど、強くて人には御せられぬ邪が住んでいるため、力のある一族の子どもは何日も何週間も出てこられない。そこへ辿り着くまでには、長い時間がかかるからだ。半日も経っていないというのに、燈中は森の果てともいうべき、この黒蛇(こくだ)のいる縄張りまで辿り着いたというのか。



「金剛力士みたいな式鬼は私じゃ縛れないって!」


「…そうか」



だから、カチンときて式鬼にしてやった!と誇らしげに寄ってきた燈中の頭を撫で、相槌を打ちながら縁鬼は苦笑した。

ーー彼女の父である、近年稀に見る実力の持ち主ですら辿り着けなかった、暗黒の領域。そこにいるはずの蛇又が、燈中の式鬼となった。それが意味するものがわからぬほど、ここにいる人々は無知ではない。わかっていないのは、当の本人だけだ。



「ひ、燈中…真名(まな)は人前では呼ばないのよ」



何とか衝撃から立ち直った叔母が、初歩的な注意を口にする。兄が縛っている邪も姉が縛っている邪も、そしてこの縁鬼も、真名を知り、口にすることは主のみのはずだ。



「…いや、しっかりと縛っているようだ、問題ないだろう…“シンカイ”」


「ふん、貴様に呼ばれても何とも思わぬ」



縁鬼に真名を呼ばれた蛇又ーーシンカイは、胴体によじよじと登ってきた主の体を鼻先で押し、突き落とした。ぎゃーと悲鳴をあげて地面に転がった彼女を、縁鬼がふわりと抱き上げる。



「燈中、先に手当てをしよう」


「はーい!」



擦り傷だらけの燈中の頬を撫で、縁鬼が淡く微笑む。そのまま背を向けて屋敷に向かう彼の、その黒髪を彩る結い紐の色が、なぜか蛇又の目に焼き付いた。



「……シンカイ、屋敷に上がる気があるのならば、その図体をどうにかしてから来い」



その巨体では中に入れるわけがない。家のものを壊すような阿呆ではないだろうな、と嫌味を言い放ち、上機嫌に己の武勇伝を語る燈中を連れ、縁鬼はその場を去った。



「兼上の、末娘ーー」
















屋敷に入れるような大きさになれるのか、心配していた蛇又ーーシンカイは、問題なく普通の大きさの蛇へと形を変えた。真黒い鱗と金色の瞳はそのままに、成人男性の腕程度の体の太さへと、体を縮めていた。



「あっ!シンカイがちっちゃくなってる!」



風呂からあがり、縁鬼に手当てを受けていた燈中は、先ほど使役した式鬼が縁側にとぐろを巻いているのを見つけ、歓喜の声を上げた。



「ふん、造作もないわ」



下して使役したとはいえ、主の言うことを聞かない邪は多い。兄の式鬼である血を零したような赤い瞳の白髪の女も、姉の式鬼である立派な体躯の大柄の男も、最初は全く言うことを聞かなかった。



「(ーー力の差、か)」



言うことを聞かなかったというより、彼らを服従させるには二人の力が足りなかった、という方が正しい。ツンと見下してはいるが、主の傍を離れないところを見ると、シンカイはきちんと燈中を主として認めているのだろう。



「シンカイ、こっちおいでー」


「そこらの犬畜生と一緒にするでないわ、小娘」



ーー認めているのだろう、か。








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