若き当主
平安時代から代々続く彼の一族。時の政治家たちが重宝し、時には裏から世を動かした由緒ある家。現在では表舞台からは姿を消したが、今でもこの一族を頼るものは多い。そこでは各々が使役する、“人ならざるもの”と共に暮らしていた。
人ならざるもの、それは鬼や妖と呼ばれたり、神と呼ばれたりする。見かけは人に近いが、人とは違う気配を持ち、特殊な力を持っていることが多い。炎を宿すものや、水を操るもの、ーー心を捕らえるもの。
幼いころからそれらに慣れ親しんだ子供たちは、一三歳をひとつの区切りとし、一人前になるべく人ならざるものを複数体使役する。家によっては、代々同じものを使役したり、反対に同じものを使役できない決まりがあったりする。
この物語の主人公となる少女は、その中でも特に異質の家に生まれた。
―――代々、邪と呼ばれる人ならざるものを使役する、一族でも特異な家系に。
「ああん、もう!右介ったら、またわらわを置いて行ったわ!」
「毎回毎回、厠へ共に行きたがるのも、どうかと思うが」
耳殻のとがった、雪よりも白い髪を持つ女が、口惜しそうに着物の袖を噛んだ。黒地に金の刺繍が施されたその着物は、一目見ただけで上等な代物だとわかる。血を零したような深紅の瞳は潤んでいて、今にも涙が溢れだしそうだった。だが、その瞳の奥には狂気を孕んだかのような光が宿っており、彼女を窘めた男の背に薄ら寒いものが走った。
「縁鬼はいいわよね!いつだって右介の気配が感じられるのだもの!」
対照的に縁鬼と呼ばれたその男は、全身が文字通り真っ黒だった。髪の毛、瞳、纏う衣、腰に巻かれた帯、すべてが黒で統一されている。肩につくかつかないか程度で揃えられた髪は、右肩のあたりで緩く結ばれている。その髪を縛る結い紐だけが、唯一オレンジ色だった。
「右介のものだけではない。李左のも、燈中のものとてわかる」
「ずるいわ!その力、わらわに寄こしなさい!」
「無茶を言うな」
掴み掛かってきた女を軽く諌めて、縁鬼はゆっくりと立ち上がった。そろそろ件の慣習が始まる刻限だった。遅れてしまうわけにはいかない。何せその慣習の主役となる人物は、彼が大切に大切に慈しみ可愛がってきた、末の姫なのだから。
「さて、此度はどの邪をくだしてくるのか…」
深い森の中、そこにある少し開けた場所。神聖な場所なのか、動物や虫すら近寄らないそこに、四人の人物が立っていた。
「式鬼を探しに、この先へ行きなさい」
そう言葉を発したのは中でも、一番歳を取った女性だった。歳を取っているといっても三〇代後半くらいだろう。柔和な容貌にあった優しい声色。しかし、立ち居振る舞いは精錬された女性のそれだった。
「この迷いの森、式鬼が見つからなければ二度と出てこられない」
「兄様も姉様も、あそこで式鬼を?」
この試練を受けるのはまだまだ幼さが残る少女。艶々とした黒髪は短く、まるで少年のようにも見える。日に焼けた肌が活発そうな印象を与え、少女の見た目をさらに男の子のように見せている。
「ええ、そうよ。ちなみに姉様は三日出てこられなかったわ」
「兄様は五日」
「代々力のある者の方が長く留まるらしいの。私のおじい様のそのまたおじい様は二か月出て来られなかったらしいわよ」
「ひいぃぃぃぃぃ!」
「いざとなれば、縁鬼を向かわせるから、心配ないよ燈中」
少女に兄様と呼ばれた青年――右介は、穏やかに微笑む。少女――燈中とは一五歳は離れているように見えるその青年は、一族でも一・二を争う実力の持ち主だ。
「燈中の霊力なら、数分で探し出せる」
不安げに見上げてくる燈中に真っ直ぐ視線を送り、縁鬼は真摯に頷いた。この娘は秘めたる霊力が一族の中でも特に濃い。さらに言えば、この縁鬼との絆も深い彼女ならば、喩え何万キロ離れていようが、探し当てる自信がある。
「でも…」
常に柔和な笑みを讃えている叔母が、神妙な顔つきになった。
「縁鬼に頼るようでは、一族の娘としての責務を果たせない。わかっているわね、燈中」
「……はい」
さらりとした黒髪を撫で、燈中の返事に叔母は満足そうに笑った。燈中の父の妹である彼女は、兄亡き今、女だてらに当主としてこの一族を守っている。しかし、燈中が一三歳になった今日から、叔母は一族のトップではなくなるのだ。なぜなら彼女、燈中こそが、近年稀にみる力の持ち主で、その座につくことになるからだ。
「“迷いの森”ねぇ・・・」
妹が入っていった森を心配そうに見る李左の横に、大柄の男が不意に現れた。ざんばらの短い赤髪に、顎には無精ひげを生やし、その逞しい上半身には何も纏っていない。男は腕を組んで、李左を見下ろす。
「地獄の森、血の森、死の森」
ここは世の闇が集まる場所とされ、魔のもの集う領域である。一族の者以外、立ち入ることは許されない。
「昔は言葉を失くして帰ってくる人間もいたらしいわね」
いつの間にか白髪の女が、右介の一歩後ろへやってきていた。右介の腕に自分の腕を絡め、すりすりと頬擦りをする。帰ってこれるだけ重畳かしら、と嗤いながら。
「燈中に限ってそれはない。むしろ、心配なのは―――」
一族でも手に負えない、人間では御しきれない魔のものに魅入られることだ。
「うわー。肌寒いなぁ」
とぼとぼと目的なく歩く燈中は、パーカーを羽織ってくるべきだったと後悔した。
血の海、炎の波、氷の岩。八大地獄を思わせるような異様な光景を恐れず、森の奥へ奥へとただ進む。
「貴様の生き血を寄こせ……!」
「生き胆を喰わせろ……」
周りから何者かの声が聞こえる。恨み辛みを綴り、隙あらばその命を狙ってやろうと、八方から視線を感じる。しかし、子どもとはいえ、燈中も彼の一族の娘。邪を恐れる心など持ち合わせていない。
「私の髪の毛一本たりともやらーん!」
燈中へ言葉を投げ掛けてくるものはいても、襲ってくるような度胸のある妖はいない。小物が離れた場所で喚いていても、何の意味もない。
「我の縄張りに踏み入る不届き者は、どこのどいつじゃ」
さわさわと草の擦れる音がする。声の主を探して、燈中はさらに歩みを進めた。この森にいるのは邪のみ。敬うような相手はいないのだ、そしてここは、燈中が今日当主となった彼の一族の庭。
「それ以上こちらに来るでない。縊り殺されたくないのであればな」
先程より強い口調でそう言われるが、怖いもの知らずでもある彼女は、ガサガサと草を踏み分け、ついに声の主を見つけ出した。
「蛇…?」
濡れた漆黒の鱗に、シューと鳴く口元からはチロチロと見える真っ赤な舌。燈中の身長を遥かに超え、二階建ての一軒家くらいはあるであろう頭上から、一対の黄金の瞳がこちらを見下ろしている。
「……小娘、彼の一族の末裔か。我を使役にでもするつもりか?」
この一族に生まれた子どもが、ある一定の年齢になるとこの森に入ってくることは、妖たちはみな知っている。弱き者や邪念のある者が、それを狙い子どもに付け入ろうとするのも、だ。無論、それを知った上で式鬼を手に入れにきているため、騙される者などこの数百年いない。
「まさか!!私は金剛力士みたいなかっこよくて強い式鬼がほしいの!蛇なんかうねうねしたやつはお断り!」
「蛇なんか…じゃと? ふん……彼の一族は邪の使い手。お前では眷属ですら式にはできぬだろうよ」
穢れているからな、という言葉はどうやら燈中には届かなかったようである。代々、邪を使役してきたこの一族は、その血に幾千の呪いが掛かっているという。実際は呪いなんてものではないのだろうが、そう揶揄されているのは事実。
「なにをぅ!?」
「無知な小娘………はよう去ね」
尾をゆらゆらと揺らし、顔を背けた黒蛇はすでに燈中には興味をなくしたようだった。
「そういうあんたは永く生きているだけの蛇のくせに!………わかった。その無知な小娘の式鬼にしてやろうじゃん!そのイヤミな性格、私が叩きなおしてやる!!」
左側のズボンのポケットからくしゃくしゃになった呪符を取り出して、燈中はキッと蛇又を睨みつけた。
ーーもし、ここに彼女の師でもある叔母がいたら、その呪符の扱い方について、小一時間は説教をされただろう。