1:春嵐の前の
王都での生活は拍子抜けするほど代わり映えがなかった。
当然と言えば当然で、ナディアの生活の場が王都に移動しただけで、相変わらず神殿の規則とともに生活しているのだ、大きく変わりようもない。
あれから大体一月ほど経つが、そういえば王は忙しいのだろう。ほとんど姿を見ない。
まぁ王が忙しいのは平和な証拠だろう。きっとそうだ。
他のものから見れば『何だその理屈は!!』と突っ込みたくなる現象だが、彼女にとっては大した差は感じなかった。
多分、いや、絶対、あの王様の考え方のせいだと思うが、彼のためというよりも自分のためにそれは黙殺しようと固く誓う。
それにしても。
「やっぱりエダ様は抜かりがないですよねぇ…」
今は何処にいるのかわからない人の偉大さに再度感心してしまう彼女だった。
――――肝心のその人は、書類の中で不機嫌だった。
「…おい、そろそろ…」
「それが終わりましたら次は右端から3列目の書類に目を通して下さい」
「…おい」
「それが終わりましたら次は左奥の箱に整理しております勅書です」
「だから…」
「ああ、それらは6時までに処理をお願いいたします。夕食の会合の準備がありますから。夕食はザルディク将校と盛夏祭の打ち合わせを兼ねておりますのでそのおつもりで。それから…」
「ガイアス・オーランド」
有無を言わさず強く言うとようやくその人は一度口を閉ざした。
「――これまでに何か不備がございますか?」
再度発せられた言葉は、絶対零度だった。
その態度に少しばかり――いや、かなり自分が悪かったと思っていてもそろそろ辟易してきた。
「あのさぁ、確かに俺が…」
「『私』、です陛下」
「…私、が、悪かったと思う。だがそろそろ火急の要件も済んだだろう?」
「素直に謝罪するくらいなら最初から為さらなければ良いでしょう。それから火急の要件は粗方済みましたが、まだまた済ませて戴きたい処理は多々ございます」
「……………………」
ああ言えばこう言う見本か!
突っ込みたかったが言葉を飲み込んだ。
口にしたが最後、果てしないお説教は確実だった。
彼が極秘で王都に帰還してから約1ヶ月。
極秘で抜けてきたツケが正に倍以上の疲労感とともにやって来た。
――――私に何の断りもなく出掛けたこと、お咎め無しだなんて――思っていませんよね、陛下?
いや、だってお前不在だったじゃないか。
うっかり言おうものならバッサリ切られていただろう。
そんな訳で陛下は彼の配下の元絶賛お説教の真っ只中であった。
――しかしなぁ。
それでは困るのだ、このままでは。
そろそろ行動を起こすべきだ――とりあえず、彼女に対して。
多分、そんな俺の考えをあいつは見越しているだろう。
「だからって俺を頼るな、俺を」
一人ぶつぶつ言いながら彼は『準備』をしていた。何だかんだ甘いなぁ、と自分にほとほと呆れるが、まぁ仕方ないとも思っていた。
最初に『押し付けた』のは自分たちだ。
ならばそれに応えなくてはただの無責任だというもの。
「隊長ぉー、あっちの準備終わったそうですが如何しますー?」
少し離れたところから部下が声をかけてくる。そうか、思っていたより早いな。
「ああ判った。ハゼ、お前は『周り』を任せていいか?」
「……隊長は頼んでいる風体をしながら決定事項として話しますよねー、まぁいいですけど」
「悪いな、それも信頼の証だ」
「……やっぱり隊長も陛下の立派な『オトモダチ』ですよねー」
どういう意味だ、コラ。
軽く睨んでやるとそれに気付いたのかやつはヘラっと笑いながら踵を返した。
「さーて、自分たちはお仕事お仕事、ってねー」
言うなりスタスタと瞬く間に去っていきやがる。よし、後で演習の追加をしてやろうとその背中を見ながら心に決め、そろそろかな、と視線をずらした。
視線の先には――王の執務室。
別名『不落の砦』の窓があった。
「――ガイアス、私は悪いが何時までも時間を無駄にするつもりはない」
最後の書類をぺいっと放り投げ、ぽつりと呟いた。
「は?何か仰いましたか?ああ、そちらの書類が終わったのですね、では次の……」
聞こえていなかった彼は次の束を掴むとずいっとこっちへ押しやってくる。しかし。
「悪いが、とりあえず書類に付き合うのはここまでだ」
にやっ。
企み顔で笑いかける。そこまで来て彼も漸く何を言い出したのか判ったようだ。
「仰っていることが理解出来かねますが?」
「そのままの意味で取って構わない」
「承服しかねますが?」
「悪いな、もう決定だ――分かるだろう、ガイアスなら」
そこまで言って彼も何が言いたいか理解したようだった。
「全く――図りましたか、陛下」
「まさか?」
戯けて見せるがガイアスの目は全く信じていない。
失礼なヤツだな。
「御太閤の差し金ですか」
その言い方も大概だな。じいさんすまん、ととりあえず心の中で謝っておく。
あの人は本当に、まったくの無実だ。
ただのとばっちりだが――マジですまん、じいさん。
好好爺の顔を浮かべながら……まぁ、それでもいいかと考え直した。
……おーおー、凄い顔で睨んでくるなよ、そもそも俺はお前より全然正攻法で行っただろうが。
互いの視線がぶつかっているうちに、外が何やら騒がしくなってくる。
来たな。
「陛下ぁぁぁぁあああ!!」
バーン!!
古典的な開放音と共に熊が――違った、厳ついおっさんが乱入してきた。
部屋の温度が5度くらい上がった気がした。
「御伺いしましたぞ、流石陛下!!太閤が是非私めに陛下のお供をと仰りまして!!その辺の輩なんぞこの剛腕で御前に積んで見せましょうぞ!!ささっ、直ぐ参りましょう、今すぐ参りましょう!!」
――あー、そうきたか。
「と、いうわけだ」
若干苦笑いで傍らを見ると、彼の口からこの日最大のため息が出てきた。その気持ちだけは激しく同感するぞ。
さて。
かなり力業ではあるが漸く始められるな。