2:明けた朝
彼女達の朝は早い。
というより、この場所で生活を営む者たちにとっては別段早すぎるわけではなかった。小さな建物で古ぼけた神殿。決して多くない人が生活を送っている。
朝のお勤めは日が覗いたら。それも一種の習い性なのだ。
その日も彼女は掃除のための水を汲みに井戸にいた。側には洗濯担当の少女がいて、もうすぐ、少しずつ賑やかになる―そんな合間。
「…村の方がなんだか騒がしくありませんか?」
手に衣類を持ったまま、少女が呟く。水が入った桶を足元に置き、遅ればせながら彼女も村の中心へ意識を向けた。
「…そうね、何だがおかしいわね」
二人で首を傾げるが全くわからない。
何時もと違う気配だが、別に危険な気配ではない。
でもそれが何なのかさっぱりわからなかった。
「…お勤めが終わったらエダ様にお伺いしましょうか、多分その頃ならばご存知でしょう」
「そうですね、今お伺いして何か判るとは限らないですものね」
そう判断すると二人は再び己の仕事を再開する。平和な村に特別騒がしいニュースなど起こらないので興味がないわけではないが、のんひり出来るほど彼女達は暇ではない。いそいそと己の仕事に取りかかった。
その日はそうして始まった。
しかし、結局その日は何が起こったのか分からず、彼女達はそのまま平穏な一日にのまれて行った。
それから、数日後――
「エダ様、お呼びだと伺いましたが」
「ああ、ナディ。待っていましたよ。あら、ファラはまだですか?」
「ファラは厨房でアイラとサリを手伝っておりましたが…もうじき終わると思います」
「そうですか。では先に始めましょうか」
エダは自分の椅子に腰掛け、同じようにナディと呼ばれた娘も向かいの椅子に腰掛ける。そして、彼女にしては大変珍しく深い溜め息を吐いた。
「貴女達はもう気づいているでしょうが、数日前、村で少々…いえ、かなり厄介な事が起こりました」
「エダ様がそこまで仰るなんて…一体何が起こったのです?」
目の前の尼僧――この小さな神殿の最高責任者は見た目より非常に嫋やかな女だ。普段村で起こる少々の事では全く動じたりしないのだが――
「王命が、下りました」
「――え?」
「『暁の者を王都へ』――王都からもたらされた命です、我々には覆すことが出来ません――不本意以外の何物でもないですが」
「エ、エダ様、いけません、そんなこと言っては不敬罪に問われてしまいますよっ」
今にも舌打ちしそうな最高責任者を慌てて諭す。普段は巫女の鏡のような人なのに時折過激になられるのだ、このお方は。とりあえず宥めて彼女を鎮めてみる。
しかし――王命とは。
「あの…長老様は何と?」
「とりあえず留めて下さっておいでです。しかし…時間の問題ですね。王家に見つかってしまってはこれ以上我らはこの地に留まれません。ですから」
ひたり、視線が絡む。
「ナディア・ガウス、ファラ・ハミルと共に王都にある大神殿へ赴きなさい」
ナディアは息を飲んだ。
王都へ赴くこと――即ち、一族を離れるということ。
一度離れれば恐らくこちらの意志では二度と逢えることはない。
ひとつ、息を吸い込む。
これも天命――だけど、一人で聞いている時で良かった。
「――エダ様、ひとつ、お願いがございます。叶えて頂けましたら、私は直ぐに王都へ参りましょう」
「…ナディ?」
「私は一人で王都へ参ります。王様は『暁の者』を招聘されたのでしょう?ならば私一人が赴けば良いはずです。エダ様のご心配もファラのことも十分分かってて申し上げるのも心苦しいですが――私を一人で王都に送ること、不安になるほど私は頼りないでしょうか?」
にっこりと気負ったところもない、笑顔。しかしこの笑顔を前に歯が立つものがいないことを周りの人間は皆よく知っていた。
「私は、一人で参ります」
再度、念を押された願い。
エダは只でさえ痛い頭が更に重くなったと感じた。
「後は長老様が計らって下さるでしょう?」
「…ええ、その通り…その通りよ…全く貴女は…」
「ある意味ご安心でしょう?」
「……はぁ……」
「お任せ下さい、エダ様。私、ちゃんと『王命』を果たせますわ。ご存知でしょう?――どんな手段を使っても。大人しく言いなりにはなれませんわ、だって私は『この神殿』の巫女ですもの。使えるものは上手に使う、ですわよね?」
だから私がいいでしょう?
無言の、満面の笑顔の前に、もう言い返す気力すら湧いて来なかった。
「本当に貴女は油断ならない人ね」
「ふふっ、誉め言葉と受け取りますね、エダ様」
「ファラはどうするつもりですか」
「私も勿論話しますが…エダ様?」
「…私に丸投げですか、全く一番の重労働を…」
「適材適所、ですわ」
これ以上の押し問答は無駄だとお互い判断し、とりあえずこれから起こるであろう『厄介事』について話し合いを行うことにした。
私は、大丈夫。
愛おしい人々の楯になるくらい容易いことだ。
その想いをまた、彼等は正しく捉えてくれるから――恐れるものはなにもない。
少女の想いを巻き込んで、時は刻々と動き出した。
まだ、春が遠いと感じる季節の出来事だった。