電撃大賞で一次通ってたから嬉しさのあまりに書いた
撃電文庫の一次通過は難問とされていた。単純計算で倍率十倍、言ってしまえば宝くじの一番下の当たりと同じぐらいではあるが、あちらは二百円でこちらは魂と気力と萌えをつぎ込んだ一作であり、当然単純比較などして良いわけでは無かった。
投稿者達は皆一様にしてこの難問を突破する方法を考えていた。なぜならば、投稿するような人種と言う物は一度浮かれてしまえばそのまま大気圏まで突入し、そのまま塵芥になってしまうような者どもばかりであり、さらには一次通過と最終選考、受賞の違いを理解していない物が半分をしめているからだ。
そんな中、正気度をガリガリ減らす原稿に明け暮れた撃電文庫の編集者達は、投稿者達の精神攻撃を抑えるべく、一次通過が出来る原稿についてのれくちゃーを教示した。
まさに神の啓示とも言うべきその言葉達を印刷し、投稿者達は専用の額縁を買い、自らの目の見えるところに置いたり、抱き枕にするなど、有りとあらゆる敬愛をされることとなった。
"撃電編集者による黙示録"
日本語で書いてあれば一次は通過します。
一木三馬 編集
日本語を書けば一次通過出来るのであるのならば、より優れた日本語を書けば、当然最終選考まで行ったあげくに、初版からバカ売れし、重版もがっぽりな桃色未来がくるに違いないと、投稿者達は考えた。
では優れた日本語とは何か?
いくつもの投稿者達はプロットを、伏線を、キャラクターを投げ出し、日本語研究に励み始めた。
ある物は手書きを初め、ある物は古語に走り、ある物は英語に走った。
その中でもっとも有効であると当時言われていたのは、手書きフォントである。
手書きから溢れる生命観と、機械による均等の取れた美しい文字。
完璧に思われた。
しかしこのフォントを作るためには小説を書くよりもよほど大変なため、小説家=社会的に認められたニートであると勘違いしている投稿者達にはいまいち受けが良くなかった。
一次通過必勝法群雄割拠の時代に一筋の光明が舞い降りたのはその翌年の事であった。
"自称者による黙示録"
文章の研究の為に、ちーかま先生の文章をひたすら書き写していました。
千葉群馬 先生
この言葉は日本語研究の為に言われた言葉などでは無く、ちーかま先生のように熱く燃える話が書きたいとの思いから、ひたすら書き写していただけにすぎない。が、正気度がすでに無い投稿者達には、ちーかま先生の日本語の書き方こそが、もっとも重要であると勘違いを起こしてしまった。
それらの勘違いに加えその一週間後には、ちーかま先生のサイン会が行われる予定であった。
生ちーかま先生の文字が貰える。
しかも自分の好きな言葉も入れて貰える。
これほどのチャンスを逃す投稿者がこの世にいるであろうか?
否、断じて否である。
ちーかま先生のサイン会の為に投稿者達は職を投げ捨て、睡眠時間を削り、ありとあらゆる移動手段を使い秋葉原にぞろぞろと集まってくる。
一番最初にサイン会に並んだ人間は、サイン会の一週間前、つまりちーかま日本語が発案された直後である。
この事実が当時の投稿者達がいかに日本語に飢えていたかの証拠の一つと言えよう。
日に日にサイン会の行列は伸びていき、最終的には、5ドラクエ3になっていた。
(1ドラクエ3は現代のメートル法に換算して二キロメートルだってソースは脳内!)
投稿者達は本来部屋に引きこもり、プロットを練ると良いながらインターネットで喚く生命体であったため、その容姿は人間とはすでに違う形容をしていた。
腐臭をまき散らし、ひょろひょろと歩く姿を人々はゾンビと呼ばれていたが、
ここで語る筆者はあえて投稿者と呼び続けたいと思う。
サイン会を待ち続ける投稿者達も居る一方でもちろん他の方法論から、ちーかま理論を構築していく投稿者達も居た。
彼らは元々手書きフォントを使用していたグループであり、手書きフォントの手書き部分をちーかま先生が今までに書いた文章から組み立てようとする試みだ。
そのためにはインターネット上から(外に出ると言う発想など最初から無い)ちーかま先生の手書きと思われる文章を探し始めた。
これは難航する作業かと思われたが、以前のサイン会のサインからいくつかのサンプルを採取することに成功した。
しかしながら完璧なちーかま文章を書くためには、サンプル数が少なすぎた。
Q 無い物はどうするか?
A 考えて補完するしかない。
ここにちーかま文章を再現するグループちーかまを復興する会が誕生した。
誕生と時を同じくして、ゾンビの行進がついに動き始めた。
当時その行列を見たちーかま先生は、「いいぜ!お前達が、何でも出来ると思っているのなら、まずはそのふざけた幻想をぶち殺す」との記録が残っている。
サイン会に三日はかかりそうなので、限定300人に変更するべきでは無いか?
との編集者の声を無視し、ちーかま先生がそのゾンビ達を人間に戻していく(正確に言うと目に活力を取り戻しただけで臭いは酷いまま)のにわずか三時間ほどだったと言われている。
この時点で、ちーかま先生のすごさはその日本語ではなく、驚異的な作業スピードであることを理解していればまだ救われていただろうが、
なにせ彼らはゾンビであるため、そこまで考える余裕は無かったのだろう。
そこまで考える余裕があったのなら、自らが貰ったサイン色紙をネット上にあげるなどの愚行はしないはずだ。
ネット上にあがったサイン色紙、しかもゾンビ達が好き勝手に書いて貰った文章によって、ちーかま先生の文字再現率は飛躍的に高まっていった。
そしてサイン会からわずか三ヶ月後、ちーかま手書きフォントは完成した。
当初はそれらを売り出す予定だったらしいが、何かの手違いによって流出し、すべての投……ゾンビ達の手元に渡ってしまった。
本当に手違いなのか、いや、むしろ売る気があったのか、それらは諸説におよぶが、どの説も核心に迫る物では無いので、一般的に知名度の高い手違い説をここでは採用した。
その年の投稿作品数11732作品の内10356作品がちーかま手書きフォントを使っていたと、撃電編集部には記載されているが、誰がそんなくだらない物を数えていたのかは撃電編集部七不思議の内の一つに数えられている。
当然その年の受賞者はちーかまフォントを使っていたが、皆が皆手書きフォントを使っていた為に、当然一次落ちの物も手書きフォントを使って居る状態になってしまった。
これでは本末転倒も良いところだと、思考能力がすでによく解らない状態になっている投稿ゾンビ達は思い始めた。
成熟した市場から脱する為には何が必要か?
差別化である。
もっとも多く用いられた差別化は、手書きフォントを使わずに手書きでちーかまフォントを再現することであった。
しかしそれだけでは足りないと多くの物が考えた結果。
ちーかまフォントからさらにひねりを加えた特殊なフォントを使い書き始めた。
それらの文字はどの文字からも感じさせないほどの美しさを持っていたが、残念な事にそこから意味を取り出すことが編集者達には不可能になっていた。
この年の投稿作品数12036作品中12033作品が手書きであったと伝えられている。この数字は正確な物で、なぜならパソコンを使った作品の数を数えるのはとても容易だからである。
この年は読めれば一次通過と言う今までに無いほどの低レベルな争いとなった。
編集はどうやって受賞作をあげれば良いか思案にくれた。
考え、考え、考え抜いた結果は受賞作では無くもっと根本的な部分にあらわれたのだ。
こうして2018年度以降の撃電文庫では手書き禁止になった。