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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第三部 戦場に咲いた小さな花
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後編 (三)

 地平線すら見えそうな広い平原を直進するのは、総勢三万の混成部隊。

 東側にシュバルツ王が率いる聖王国ルスト、中央に元クエリア神国に所属していたイグニスと名乗る屈強な戦士が率いるフィーメア神国、そして最後の西側は女王が直々に指揮する聖王国ストレインが並んで北上している。

(三国合わせて、三万。数は揃えたけれど……)

 見方によっては異様に見える軍勢の総指揮を任されたイリスは、三国の兵が浮かべる表情を丁寧に確認しながら思考を進めている最中だ。一年前はゼイガンに一任していた分野ではあるが、今回は優秀な参謀に頼る事は出来ない。

 確かに各国には兵を率いる事に慣れた者がいるが、共同戦線となれば不都合が起きるものと考えた方がいいだろう。

「確認は私がするから……イリスは前だけを見ていて」

 しかし、過剰な不安に苛まれた総指揮官を見かねた隊長は、溜息交じりに警告を発した。

 指揮官の動揺は兵へと伝わりやすく、敵を前にした時の行動を鈍らせる。兵法書を開く以前の基本的な事をイリスの護衛を務めるアリシアは語ったのだ。

「ありがとう。私がしっかりしないとね」

 譲れない事であれば一歩も退くつもりはないが、彼女の警告は最もである。ここで意地になる訳にはいかないイリスは深緑の瞳を眼前へと注ぐ。

 だが、注がれた瞳は忙しなく右手側へと移動する事となる。

「フィーメア神国は、ここで進軍速度を落とすそうです」

 その最たる原因となった事象を、将軍であるシオンは簡潔に述べた。

 フィーメア神国とクエリア神国との合同部隊は、数だけを見れば聖王国と比べて遜色はないが、実戦に慣れていない者も多い。ゆえに一定の距離を開けて続く形を取るのだ。

 一国のみ最前線から離れる事を許した背景は、単純に敵の中央突破に備えるという意味合いもある。つまりは、グシオン連合国が中央に兵を集中させたならば、鶴翼の陣の両翼を閉ざすように、二つの聖王国が挟撃するという事だ。

 さすがに全兵力を中央に集中させるなどという考えなしの策を取る事はないだろうが、何事も備えておいて損をする事はない。

(後は敵の陣を見てからね)

 放った偵察の報告では敵は左右に小銃を構えた部隊を配置し、中央に歩兵部隊を配置しているという。自然に考えれば小銃でこちらの数を減らし、折を見て歩兵隊を投入するつもりだろう。

 しかし、仕入れた情報のみで判断するのはあまりにも危険過ぎる。以前の戦いでは小銃部隊からの突撃を受けて、ゼイガンを失う事となってしまったのだから当然だ。

 常に冷静でいて、尚且つこちらの策が外れてもいいように幾重にも戦術を練る。当たり前に聞こえるかもしれないが、相手が予想外の策を用いてくる場合は負担も多い。

 特に敵の新兵器である『小銃』の可能性をも視野にいれなければならないというのだから、考えるだけで頭が痛くなる話だ。

「報告! 中央に歩兵部隊、両翼に小銃部隊を目視!」

 だが、頭を抱えていられる時間は慌ただしい声によって、唐突に終わりを告げた。双眼鏡を手にした偵察部隊がついに南下するグシオン連合国を捉えたのだ。

 それと同時に判明したのは、相手が配置を変更していない事。策を悟られないためにあえて『無陣』を選び、後に正規の陣を組む事はよくある事だ。

 逆に今回のように陣を変更せず突き進んでくる場合は不気味でしかない。おそらく敵を恐怖させ、戦意を奪う事がドレスティンの常套手段の一つなのだろう。

「皆、臆さないで。事前に打ち合わせた通りに!」

 ならば、相手の策に乗る訳にはいかないイリスは即座に号令を飛ばす。

 その瞬間に東と西に展開している聖王国の名を冠する両国は、確かな重量を誇る盾を掲げて前進を開始。一目見ただけでは大楯を掲げて前進しているように思えるのかもしれないが、当然ではあるが一工夫加えている。

 一年前の戦争でフィーメア神国の将を討ち取った小銃という兵器。生存者の報告ではすでに完成していると言われている。ならば、その兵器に対抗するための防具を用意しておくのは常識だ。

 としても、ただ大楯の強度と重量を追加しただけの状況で、どこまで耐えられるのかは分からないのだが。としても、戦場で入手した小銃を元にセドリックが手を加えた大楯だ。必ずや敵の懐まで接近するまで耐えてくれる事だろう。

 また、イリスにはもう一つ信頼出来るものがある。それは確かな防御手段ではなくて、大陸随一の剣技である。

「アリシア隊長。私が出た後は頼みます」

 魔女とまで言われた王の信頼を得る剣技を扱えるシオンは、適した時機で隊長へと指示を送った。ボウガンとは比較にならない速度で弾丸が放たれる地へと、盾も持たずに飛び出すと語る将軍。

 常識で考えれば殺されに行くようなものだが、彼ならばどうにかしてしまうような気がする。過度の信頼は危険だと思うけれども、家臣への信頼は時として絶対なる刃と変わる事がある。

「任せます」

 ならば、信じてみようと思ったイリスは、前方を走る将軍の背へと言葉を送る。

 すると、シオンは驚いたように目を見開いた後に、彼らしい柔和な笑顔を届けてくれた。

(こちらは大丈夫。後は両国次第ね)

 常時勝ち続けているストレインは兵の士気も高く、優秀な臣下も多い。

 ゆえに、安定した戦果を挙げる事が可能だろうが、他の両国は指揮をする者が主戦力という有り様だ。一時はアリシアを聖王国ルストに配置しようと考えたのだが、国が変われば戦術も違う。如何に彼女が優秀でも力を発揮出来ない可能性があるだろう。

 ならば、元はルストの将であるシオンを配置するという事も考えたが、それではストレインは機能しない。

 結局は現状が最適と判断せざるを得ないイリスは一度下唇を噛んで、自身の不甲斐無さを耐え忍ぶ。唇から伝わる痛みは一時イリスを冷静にさせて、次なる展開に対して適した行動を取らせる。

 次なる展開。

 一言で説明するならば、遥か遠方から轟いた銃声だった。イリスがこの音を戦場で聞くのは二回目となるが、さすがに未知なる恐怖が全身を駆け抜ける。

「――構わず前進! 私の合図を待って」

 しかし、恐怖すら一声で霧散させるイリス。

 カナデの心を照らす事が出来たように、この場にいる全ての心を照らすためにもイリスだけは恐怖に屈してはならないのだ。

 その想いが伝わったのか。

 立て続けに上がったのは騎士達の咆哮だった。

 しかも、ただの咆哮ではない。間近で鳴り響いたならば鼓膜すら破壊しそうな程の銃声を打ち消すかのような雄々しい咆哮だったのだ。

 ――十メートル、二十メートル。

 銃声と咆哮の二重奏が戦場に奏で続ける中で、大楯を駆使する事で前進を続けるイリス達。分厚い金属の壁によって視界を遮られているために正確ではないが、目的との距離はすでに三十メートル程となっている事だろう。

(……そろそろ相手も動くわね。では、こちらも次の一手を)

 一歩を刻む度に大楯に伝わる衝撃が増していく中で、イリスは右手に握った長剣を頭上に掲げる。それを合図として、最後尾を進軍する騎士達が手にした剣を鞘へと納めて、数秒の間もなく新たな武器――しなやかな曲げられた木に弦を張った弓と矢を握る。

 普段はボウガンを使うストレインではあるが、今回弓を用意したのは大楯の隙間を開ける余裕がないと予想したからだ。実際にその予想は正しく、前線で構えられている盾は時折大きく揺らぎ、生まれた揺らぎを縫うように射出された弾丸が騎士達を襲っている。

 予め前線を務める者以外にも小盾と呼ばれる小振りな盾を持たせているために実害はないが、これ以上防ぐのは無理な相談だろう。

 ゆえに、接近するまでに敵の数を減らす事は必須だと言える。そこで選んだのが放物線を描き、上空から攻撃出来る武器だ。

 今まで参謀を務めてくれたゼイガンの策と比べれば、兵法書に乗っているような古典的な攻撃方法だろうが、基本に忠実な策は使い所を間違えなければ確かな効果を発揮する。

 それを証明するように。空から降り注ぐ矢に対する対策はとっていない小銃部隊の勢いは、一時の間、目に見えて弱まったように感じられる。

「小盾部隊――構え!」

 そして、生じた僅かな隙を将軍は見逃さなかったようで。

 両手に金色に輝く剣を握ったシオンは即座に号令を飛ばした。ここまではイリスの思惑通りで、正直な事を言うならば順調過ぎて怖くなってしまうくらいだ。

 しかし、ここで手を抜く訳にはいかないイリスは、次の合図を送るために剣を一度振り下ろす。

 刹那、今の今まで前方に展開されていた金属の壁は左右へと開かれていく。そして、壁を潜るのは真紅の軍法衣を纏う将軍を先頭に駆ける小盾部隊。総勢五千名による命懸けの奇襲作戦である。

 防御を優先させた大楯部隊とは違い、小盾部隊は速度が要となる。弓による射撃が展開されている内に詰める事が出来たのは十メートル。

 残り二十メートルの距離を小盾のみで防ぐのは困難であるような気もするが、グシオン連合国もまさか突っ込んでくるとは思っていないだろう。冷静さを取り戻すまでの数秒間で、こちらが間合いへと入れるか。

 それが勝負の鍵を握っていると言っても過言ではないだろう。兵法書通りの忠実な攻めと、豪胆な奇襲作戦。繊細さと強引さの両方を兼ね揃えた戦術を、再び閉ざされていく大楯の隙間から見つめたイリスは、自国の将軍が勝利を届けてくれる事を静かに祈ったのだった。


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