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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第三部 戦場に咲いた小さな花
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後編 (一)

 後編 戦いを止めるのは、一つの想い


 城塞都市シェリティアの北東。

 それもとりわけ城壁に近い位置には存在するのは、他国からの来客や旅人達が一夜を過ごす宿だ。その種類はというと、銅貨三枚程で泊まれるお手頃な所もあれば、はたまた一般人であれば一ヶ月は優雅に暮らせる額である金貨一枚を要する豪華な宿すらあるという。

 そんな懐事情によって、世界が変化する区画にある来客用の宿にて。

「……出てこないね。そろそろ起こそうかな」

 白い吐息を吐き出したのはクロエだった。

 ここ最近であればものの数秒で反応が返ってくるのだが、今は早朝独特の静けさが部屋を埋め尽くすのみ。当然、寂しさもある。

 しかし、現在のクロエが気にしているのは別の問題だ。

 ソフィ一筋のクロエが彼女以外の事で気に病む問題。それは簡潔に言うならば、時間がないのである。今も着々と三万を誇るグシオン連合国の部隊が聖王国ストレインに向けて南下しているというのだから平静でいられる訳はない。

 本音を語っていいならば、一秒でも早く外へと飛び出したい気分だ。そんな多分に焦りを含んだ気持ちは徐々にクロエの足を早めて。気づいた時には、自身がいる居間と寝室を隔てる木製の扉の前まで来ていた。

 ちょうど、その時に。

「おはよう、カイト」

 扉が開く軋んだ音と共に、とろけたような甘い声が届いた。

 どうやらクロエの想い人がようやく目覚めたらしい。昔のままの呼び方をしている時点で寝起きだと分かるけれども、ソフィの腰まで届く長い髪は所々が跳ねていて、どこから手をつけたらいいのか困ってしまう程だった。

 目に入れても痛くないと思える愛らしい少女を視界に収めたクロエは――

「おはよう、ソフィ。クロエお姉ちゃんが整えてあげようか?」

 頬が自然と緩んでいく事を止められなかった。

 先ほどまでは戦いの事で脳裏を埋め尽くされていた事が嘘のように、世話焼きお姉さんになったクロエは手櫛で柔らかな髪を撫でていく。

 すると、不思議な事に撫でられた髪は従順な子供のように、指の動きに沿って真っ直ぐに伸ばされていく。目立つ所だけ整えて、後は櫛で整えようと思っていたために内心では驚いてしまう。

 そうこうしている間に。

「ありがと。ご飯食べて……北に行こう。戦いを止めないと」

 大きな氷色の瞳を一度、二度と閉じては開く事で、眠気を飛ばしたソフィは小さな一歩を刻む。踏み出された一歩に従って床が軋む音が奏でられたのは、彼女の強い意志が片足へと込められていたからだろう。

「そうだね。まずは食べようか。力をつけないと……気持ちを伝えられないから」

 確かな意志をしっかりと心で受け止めたクロエは、彼女の願いを心へと沁み込ませてから、そっと一つのテーブルへと手を差し向ける。

 居間の中心にあるのは一般的な家庭であれば、必ずあるであろう木製の円形テーブル。

 そして、ここで注目すべきはテーブルに用意されている朝食だろう。中央には木を編んで作った籠が置かれ、中には縦に細長いパンが六つ。それぞれの座る席には小皿に盛られたスクランブルエッグと焼かれたベーコン。極めつけはストレインで採れる野菜を盛ったサラダさえも用意済みだ。

 もう少し豪華にしたい所ではあるけれど、朝食だと思えば無難だろう。それに食べ過ぎて動けなくなったとあれば、天に昇った団長に笑われてしまう気がする。

 だが、控え目に用意した事は無駄ではなかったようで。

「……こんなに食べられないよ」

 席について朝食を視界に収めたソフィは表情を歪ませた。

 どうやら目覚めたばかりで、胃に物を詰め込む事が出来ないようだ。

「食べられるだけ、食べて。その間に確認するよ」

 しかし、その程度の事で腹を立てるようなクロエではない。

 愛しい人が自身の作った物を口にしてくれるだけで嬉しいのだから、怒る理由など皆無だ。なぜそこまで彼女に熱中しているのか。

 その理由は実は簡単だ。

 両親がいないクロエを気にして、父親の代わりをしてくれたアールグリフはもういないのだから。つまりは、クロエにとって家族と言えるのはソフィだけなのだ。

 確かに傭兵団の皆は、クロエを新しい団長として認めてくれる。傍目から見れば家族同然の組織なのかもしれない。

 だが、彼らとソフィとでは何かが違う。その何かを具体的に説明しろと言われれば困ってしまうのだけど。

「……クロエ?」

 現状を確認すると言っておいて思考に集中していたためか、不思議に思ったらしいソフィは小首を傾げていた。そんな彼女へと「何でもない」と短く答えたクロエは、一度考えを整理するために冷えた空気を肺へと取り込んで。

「私達の役目はカナデと舞姫の援護だよ。そこで確認しておきたい事が一つあるんだ」

 まずは知りたい情報を得るためのきっかけをソフィへと投げる。

 確信に迫る部分を即座に訊いても良かったのだが、心の準備も必要なのだ。

「確認? 私に分かる事で良いなら答えるよ」

 しかし、そんな事は知る良しもない彼女は傾げた首を戻して、小さな手をパンへと伸ばしていく。

「うん。実は聞くのが怖いんだけど……もしかして、ソフィの力を借りると代償も多く払うのかな?」

 対するクロエは答えを知るまでは食べ物など胃に収める事は出来ない。

 ただ固く握った拳を両膝の上に置いて、ソフィの瞳をまっすぐに見つめた。

「隠しても気づいてしまうよね。確かに私の力――上空に形成した銃口から氷弾を放つと、放った分だけ代償を払わなければいけないよ。もう二度使っているから、クロエが思っている以上に所々の記憶が抜けていると思う」

 すると、ソフィは一度氷色の瞳を伏せて申し訳なさそうに述べた。

 それでも謝罪をしないという事は、自身が成した事は間違っていないという確信めいたものがあるのだろうか。実際にソフィは間違っていないのだと思う。

 クロエが彼女のために力を振るうのも、代弁者として戦場で想いを伝える事でさえも自身で選択したからだ。ゆえに、ソフィは他者に責められる事はない。むしろクロエの自業自得と言われても致し方ない事だろう。

「やはりそうなんだ。力を使っても普段であれば気にもならないんだけど……最近は零れ落ちていく量が多い気がしたんだ。親不孝者と言われるかもしれないけど、今の僕は父さんの事をだいぶ忘れている気がする。おぼろげには思い出せるんだけど、その時に父さんがどんな顔をしていたのか思い出せないんだ」

 だからこそ、クロエは真っ直ぐに進む事を望む少女を責める事無く、現状を正確に伝える道を選んだ。その背景には氷雪種の力について詳しいソフィの意見を聞いてみたいというものがあったのだと思う。自分の事であるというのに曖昧になってしまったのは、おそらくクロエは現在の状況に戸惑っているのだ。

「失った記憶は私でも取り戻す事は出来ない、かな。もしクロエがこれ以上失いたくないのなら、全て私がやるよ。氷弾を放つか、氷雪種を呼ぶか。それだけの違いだから」

 すると、クロエの戸惑いを敏感に察知した少女は薄っすらと微笑んでくれた。

 しかし、彼女が浮かべた微笑みはどこか力がないような気がする。口では戦うといいながらも、やはり迷いがあるのだろう。それでも退かずに進もうとするのは彼女らしい気がする。

 そんな彼女が愛しくて堪らないクロエは――

「ソフィが戦う事はないよ。良いのか悪いのかは知らないけど、僕の代償は記憶。死ぬ事がないのなら、どれだけでも失っても構わない。その代わりに……一つお願いしてもいいかな?」

 自身が空っぽになってでも戦う決意を胸に刻んで、一つの約束を彼女へと求める。全てを失っても、この約束が結ばれればクロエは幸せだから。

「もしかして、記憶を失っても隣にいて欲しい、かな?」

 そんなクロエの気持ちを悟ったというのか。

 ソフィは瞳を閉ざして、まるで心を読んだかのようにクロエの内なる気持ちを言い当てた。しかし、それは驚愕には値しない。

 それもその筈で、彼女はクロエの気持ちを深く知り得ているからだ。銀色の粒子が躍る奇跡に満ちた世界の中で、クロエの気持ちは彼女へと筒抜けだった。それだけでなく、普段の生活でどれだけクロエがソフィに依存しているのかも、この一年で思い知った事だろう。

 本音を言っていいならば、知っていてもらわなければ困る。そう思ってしまう程に、クロエは唯一の家族を溺愛という名前の鎖で縛っているのだ。

「そうだね。駄目……かな?」

「構わないよ。むしろ、ずっと私の我が儘に付き合ってくれたんだから……今度は私がクロエの望みを叶えるよ。それに私の居場所はここしかない。だから、どこにもいかないよ」

 しかし、彼女はクロエの気持ちをあっさりと受け止めてくれる。

 家族として、ずっと側にいてくれると言ってくれるのだ。だからこそ、クロエは失う事を恐れない。空っぽになっても彼女が抱きしめてくれるのであれば戦える。

「約束だよ、ソフィ」

 心へと刻んだ揺るがない決意を無くさないように誓ったクロエは、迷いを振り切った爽やかな笑顔を彼女へと向けたのだった。


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