プロローグ
ここからは「第三部」です。
今回の主人公は再びカナデに戻ります。今回の第三部でお話は完結となりますので、最後まで読んでいただければ幸いです。
氷結の歌姫 ――戦場に咲いた小さな花――
――プロローグ――
口の中に広がるのは、まろやかな味わい。
祖国が恋しくなった際に赴くセナおばさんの味を真似て調理した本日の主菜を口へと含んだカナデは、満足げに頬を緩ませる。料理したのはカナデ自身なのだが、ここまで味を再現出来た事には少なからず感動を覚えてしまう。
「カナデのクリームシチューは最高だね。いつも手料理が食べられて、私幸せ」
どうやら、それは同居人も同じらしく。
一口、二口と小振りな口へとクリームシチューを運んだアリシアは、両手を頬へと当てて夢心地な気分を満喫しているようだった。
「大げさだな。一緒に住んで、もうずいぶんと経つ。そろそろ飽きてきただろう?」
そんな彼女に対してカナデは、褒められた事への恥ずかしさを誤魔化すためにあえて謙遜してみせる。相手の賞賛を素直に受け止める事が出来ない所は我ながら不器用だと思う。
とは言っても、恥ずかしさのために頬はほんのりと赤らんでいる事は自分でも分かる。常日頃からカナデの表情を見つめているアリシアには心の内は筒抜けだろう。
「全然飽きないよ。毎日、満足かな。叶うなら……こんな日常がずっと続けばいいと思う」
しかし、彼女はカナデの不器用な所を知っていても、それを含めて受け入れてくれる。
いや、叶うならば自身の側に置きたいとさえ思ってくれるのだ。女王イリフィリア・ストレインによって汚染者への差別はだいぶ薄れてきたが、まだまだ恐怖の対象として扱われている事は事実だ。だとしても、彼女はカナデを必要としてくれる。
そんなアリシアの優しさと温かさは、疲労困憊の果てにベッドに倒れ込んでしまった際に似ていると思う。どれだけ離れようと、起き上がろうと思っても抜け出す事が出来ない温かさ。体と心の奥深くまで溜まった疲れの全てを消し去ってくれるような温もり。
そのどちらも人が生きる上では必要な事で、仮にどれだけ拒んでも拒みきれないものだろう。それは心を閉ざして、あの凍てついた森でひっそりと暮らしていたカナデにはよく分かる。
一人でいる事は気楽でいいけれど、どうしても寂しさだけは拭い去る事は出来ない。
だからこそ、カナデはここにいる。心を照らしてくれる友と、心を温めてくれる大切な人の側を離れないのだ。
「――ありがとう」
世界から弾かれた者に居場所を与えてくれた二人。
感謝してもしきれない相手にカナデは一つの礼を述べる事しか出来なかった。他に伝えるべき言葉はたくさんあるというのに。
だが、内に浮かぶ気持ちを上手く言葉に変える事が出来なかったのだ。
「いいよ。私もカナデには感謝してるから……いいんだよ。それにこれからもずっと、ずっと支え合って生きていくんだよ、カナデ」
それでもアリシアには短い言葉だけで全て伝わったようで。
向かい合わせで座っている彼女は、カナデの漆黒の瞳に蒼い瞳を重ね合わせてくれた。重なった瞳から伝わるのは真っ直ぐで、純粋な好意。
いや、好意などという軽い言葉でアリシアの気持ちを表現するのは失礼に値するだろう。彼女が伝えてくれるのは、確かな『愛情』なのだから。
「私はその……女性なのだが。それでも、いいのか?」
だとしても、カナデとアリシアは同じ女性同士だ。
彼女が女性しか愛せない事はすでに知っている。淡い光が照らす中でアリシアは自身の秘密を教えてくれたのだから。だとしても、異性と恋をして子を育む事も大切な事だと思うのだ。
「いいんだよ。私はカナデの弱さも真っ直ぐな気持ちも大好き。だから、側にいたい。あなたの命が燃え尽きる……その時まで」
しかし、そんな常識なアリシアには通用しないらしく。
まるで常識の壁を破壊するかのように。座っている椅子から腰を浮かせた彼女はそっと雪のように白い手をカナデの頬へと伸ばした。捧げた想いがカナデの身と心の温かさに触れられる事を切に願っているのだろう。
「アリシア。その選択は賢いとは言えない……と思う」
だが、彼女が望む温かさに触れられるのは残り一年と少し。
正確な寿命は分からないが、それくらいだと思う。それでも彼女は共に歩む事を望んでくれる。それが嬉しくて、何だか申し訳なくて。
それでも、心に浮かんだ気持ちをカナデは素直に伝えられなかった。
「知ってる。たぶん私は……馬鹿なんだよ。でも、後悔するような馬鹿にはなりたくないんだ」
その間にもアリシアは自身の気持ちが込められた手を前へ、前へと伸ばしていく。
数秒の間を置いて、触れたのは夜の空気が冷やした彼女の手。触れた瞬間には、あまりの冷たさに飛び跳ねそうになってしまう程だった。
それでも、この冷たさの奥には彼女の愛が多分に含まれている。
冷たい手なのに、なぜだか温かく感じてしまうから不思議だ。この現象を彼女に確認したならば『愛が成せる業』だと言うのかもしれない。
以前のカナデであれば苦笑して否定したのだろうが、実際にその不思議を体験してしまっては返す言葉もない。実際に普段であれば自身に触れるような事があれば、反射的に「私に触れると危険だ」と言うカナデではあるが、今回はなぜだか注意する事が出来なかった。
アリシアは手袋など付けずに、直にカナデの頬へと触れているというのに。確かに今日は汚染者の力が弱まる日。歌姫に確認した所では、カナデ自身の人としての力が強まる日であるらしい。
つまりは、現在は内なる力を完全に制御可能という事だ。その周期を完全に把握しているアリシアは、今日この時を自身の気持ちを伝える日として選んだのだろう。
直に触れて、心の温度を確かめるために。
「それなら私からは……もう何もない」
ならば、カナデはその気持ちを受け止めようと思う。
同性同士だとか、そんな細かい事は気にせずに。カナデという個人を心から愛してくれる人の側にいたい。
「それでは駄目だよ。カナデも私を好きになってくれないと」
しかし、それでは納得出来ないアリシアは、姿勢はそのままで、不満を示すために頬を膨らませてみせた。そんな彼女はやはり愛らしくて、自然と心が癒されていく。
この気持ちが好意となるのかは分からない。それでも、一緒に居たいと思う気持ちは本物だ。
「分かった。一緒にいると決めたのだ。私もアリシアを愛すよ」
内側から溢れてくる新鮮な気持ちを伝えるために。
カナデは自らの意思で気持ちを伝えてくれた彼女に応えていく。差し伸ばしてくれた冷たい手を左手で温めるように包み込んで、空いた右腕はアリシアの細い首の背に回す。
それだけで何をするのかを理解したのだろう。アリシアは、そっと蒼い瞳を閉ざす。冷静に考えれば、とんでもない事をしようとしているような気もする。
それでも、気持ちを確かめ合うには触れ合う事が一番だ。
そう判断したカナデは頬を赤らめた愛しい人の唇に、自身の唇を重ね合わせたのだった。




