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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第二部 もう一度あなたを抱きしめたくて
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最終話 (八)

 平原に鳴り響くのは、数多の剣響だった。

 各々が国の未来のために剣を振るい響いた音色は、どこまでも澄んでいて、一度目を瞑って聴き入れば心が洗われるかのような美しい音色だろう。

 だが、その音色に混じって届く苦渋に満ちた声が、老将ヴォルドの心を現実へと縛り付ける。瞳を固く閉じて逃げ出したくなるような非情な現実から、幻想的な世界へと旅立とうする心を縫い付けて離さないのだ。

 そこまで強く心を縛るものの正体は、一言で説明するならば仲間の苦しみに満ちた絶叫だ。中にはグシオン連合国の兵が上げたものもあるのだろうが、その割合は明らかにフィーメア神国の方が多いだろう。

(陣が瓦解している……だと?)

 そう判断したのは、存在する陣の中では最も突破力に秀でた陣を組んだというのに、時間が経つ事に形が崩れていたからだ。

 そう。

 まるで倍の兵を有する部隊の猛攻を正面から受け止めたかのように、一瞬で形成した陣を破壊されてしまったのである。国の中で腕の立つ者を集めたと言っても、フィーメア神国の騎士は一通りの訓練を受けている。だというのに、劣った兵数で瓦解させて見せたグシオン連合国の部隊は、同じ人で構成されているのか疑いたくなる程だった。

 しかし、脅威となるのはそれだけではない。

 正面から激突している敵の左翼だけでなく、放置した右翼が動き出したのである。

 それも後方へと回り込むのではなく、最短距離を。つまりは、フィーメア神国の側面を突く様な恰好で移動を開始したのだ。

(……何をするつもりなのだ)

 敵の動きを一瞬だけ視界に収めたヴォルドは、鋒矢ほうしの陣の中央を突破してきた敵が振り下ろした長剣を受け止めながら思考を走らせる。

 グシオン連合国の部隊はすでにフィーメア神国の陣へと食い込んでおり、ボウガンのような遠距離武器は両軍共に味方へと当たる危険性があるために使用は難しい。ならば、最短距離を進む事でいち早く合流しようという事なのだろうか。

 だが、ヴォルド達が撤退する可能性を考えるならば、後方へと回り込んで挟撃した方が効率がいい事は明白だ。それを成さない理由がヴォルドには皆目検討が付かなかった。

 しかし、その答えは数秒も経たずに明らかになる。

 信じられない事にグシオン連合国の右翼は、腰に固定されているボウガンを引き抜いて構えたのだ。それだけでなく何の躊躇いもなく、狙いすらつける事無く、四千を超える兵はボウガンの矢を射出したのである。

「――馬鹿な!」

 味方すら巻き込んでの射撃。

 もはや理解不能な手段を用いた敵の右翼を鋭く睨んで、ヴォルドは叫び声を上げる。

 だが、その叫び声は戦場へと虚しく響くだけだった。ヴォルド同様に矢を放つ事はないと考えていたフィーメア神国の騎士達は、側面への反応が遅れ、身に纏う甲冑を放たれた矢によって貫かれてしまったのだ。

 対する着々と陣を突破してくるグシオン連合国の精鋭達は、まるで側面に目でも付いているかのように接近する矢を弾き飛ばして見せた。しかも、それだけに留まらず矢を受けて動きを鈍らせたフィーメア神国の騎士達に止めの一撃を振るうという徹底ぶりだ。

 これを策と呼んでいいのかは分からないが、どんな形であれフィーメア神国はさらなら窮地に追い込まれたと言ってもいいだろう。現状で可能な手段としては、殿を残して後方へと退く事のみだ。知略には疎いヴォルドであっても、それくらいならば判断出来る。

 仲間をここまで倒されたのだ。内心は噴火寸前の火山のように燃え滾っているが、兵の命を預かっている身なのだ。ここで感情的になる訳にはいかないだろう。

「前列は戦闘を続行! 後列は防衛線を形成しつつ――後退!」

 すでに答えが出ているのであれば、後は指示を出すのみ。

 そう判断したヴォルドは号令を飛ばす共に、前方へ向けて疾走を開始する。指揮官が前へ出ては撤退など出来ないと思うかもしれないが、ヴォルドはそれを分かっていながら戦う事を選ぶ。理由は至極簡単で、殿としてこの場に残る者達に覚悟を決めさせるためだ。国に忠誠を誓う騎士であっても、一人の人である事は変わらない。

 ならば、この死地に残れと命令され、指示を出した者が一番に逃げ出したとあっては反発する気持ちが生まれるだろう。皆が皆、生き残って、愛する者と幸せな日々を過ごしたいのだから当然だ。それを否定する者がいるというのであれば、それは異常な人間だとヴォルドは思っている。

 では、どうすれば彼らは命を掛けて、仲間を逃がすために戦ってくれるのか。もっと賢い者であれば、無数の選択肢が浮かぶのだろうが、ヴォルドが知っている手段は彼らと同じ目線で、同じような境遇に立つ事くらいだった。

 つまりは、共に殿として残り、ここで一人の騎士として命を散らす。ただそれだけだった。愚かと言うならば、その言葉は甘んじて受け止めようと思う。

 実際にヴォルドは自身を無能な将軍だと思っている。舞姫が率いるクエリア神国の狂信者達とは痛み分けという結果で終わり、そして、今回は惨敗してしまったのだから。

 だが、愚者にも意地というものがある。

「一人でも多く逃げろ! フィーメア神国の栄光のために!」

 その意地を貫くために。ヴォルドはあえて叫ぶ事で、己と殿として残る兵を鼓舞していく。ただフィーメア神国の栄光のために命を掛けてくれる事を切に願って。

 その願いが通じたというのだろうか。数瞬の間を置かずに上がったのは、グシオン連合国の精鋭達の歩みを止めてしまう程の力強い雄叫びだった。

(……すまない)

 戦場に轟いた叫びを肯定の意思として受け取ったヴォルドは、鋭い眼光を正面に向ける。

 ヴォルドが見ているのは、陣を瓦解させた憎き精鋭達ではない。その奥にいるだろう一人の王を睨んでいるのだ。と言っても、現状では戦場を覆い尽くす騎士達しか見えないのだが。

 それでも、ヴォルドは正面のみを睨んで駆け出す。だが、その歩みを止めるために複数の騎士が立ちはだかる。数はざっと見ただけで十名はいるだろうか。

 だが、数える事など無意味なのだと思う。眼前にいる十名を斬り捨てた所で、また別の騎士が進路を塞ぐのだから。それでも数を減らさねば、後退する味方を守る事が出来ないのも事実だ。

 そう判断したヴォルドは、手にした二メートルを超える大剣を眼前に立つ騎士へと向けて力任せに振り下ろす。二メートルという規格外の大きさと重量を誇る剣は、数十年という長きに渡って鍛え抜かれた膂力りょりょくに支えられて、地面を抉る程の威力を発揮する。当然、ただの長剣を頭上に掲げただけで防げる訳もなく。騎士の剣を、頭部を、はたまた身に纏う甲冑ですらも両断せしめた。

 だが、さすがは精鋭部隊と言った所か。重量のある大剣を振り下ろした隙を狙って周囲を取り囲み、同時に地を蹴りつけた。その様を横目で見たヴォルドは一息で大剣を持ち上げて、次の動作に入るために全ての力を両腕へと込めていく。

 ――次の瞬間。

 左右から鈍い衝撃が走る。それも一つではなくて、左右それぞれに三つずつだ。見ずとも左右からそれぞれ三人ずつの騎士が長剣を突き出したのだと理解したヴォルドは、焼かれたような痛みと、敵の勢いを吹き飛ばすために一度雄叫びを上げる。

 その雄叫びの力を借りたヴォルドは自身を起点として、規格外の重量を誇る剛剣を右回りに一回転するように薙ぎ払う。触れた物全てを破壊する剣は、周囲にいる騎士の甲冑を粉砕し、肉を切断して突き進んでいく。

 だが、そんな破壊者の一閃も、右側からヴォルドを突き刺した騎士の腹部を二人、三人と切断し、左側に位置する四人目の甲冑に触れた所で唐突に終わりを告げた。どれだけ腕力に秀でていても、さすがに人体を切り裂くには限界があったという事だ。徐々に速度を失ったヴォルドの大剣は、時として長剣すらも弾き返す強度を誇る甲冑によって弾かれてしまったのである。

 その間にもヴォルドに突き刺さった剣は、腹部を執拗に貫いていく。その瞬間に身を裂かれたような痛みが走るが、ヴォルドは当然その程度では止まらない。

 それだけでなく、痛みと弱気になる心を獣のように吠える事で消し去り、再び全身に力を湧き上がらせる。腹部を貫かれても、なお力が滾る己の腕を誇らしく思いながらも、ヴォルドは再び右方向へと手にした大剣を横薙ぎに振るう。

 まさに『馬鹿の一つ覚え』という言葉が似あいそうな程に、ただ淡々と同じ動作を繰り返すヴォルド。だが、例え愚かだと言われようとも、成すべき事をやりきる以外の生き方を知らないのだ。

 ならば、この命が燃え尽きるまで、その生き方を貫くまでの事。

 だが、そんなヴォルドの決意を砕いたのは、新たな衝撃だった。己の膂力のみで再び横薙ぎに走らせた剣が、自身の左側に位置する敵国の騎士を切断し、吹き飛ばした瞬間。

 まさにその時を待っていたと言わんばかりに、ヴォルドの両腕と両足に強風によって吹き飛ばされるかのような衝撃が走ったのである。

 いや、違う。

 吹き飛ばされるという例えではなくて、実際にヴォルドの四肢は吹き飛んでいたのだ。大槌だろうが、大斧だろうが。どんな重量を誇る武器でも耐えきれると自負していた体は見た事もない長剣のように長い筒状の兵器によって、容易く吹き飛ばされてしまったのである。

 おそらくあれはグシオン連合国の新兵器と噂される『小銃』というものだろう。それも試しに作ってみたというような実戦投入には幾分か早い物ではなくて、試行錯誤の末に兵器として完成させた物を射出したのではないだろうか。

 そう判断したのは、精鋭部隊の中で未知なる兵器を手にしている者が明らかに少ないからだ。どんなに優れた兵器も、量産し陣へと溶け込ませなければ無意味である事は誰でも知っている事。それを成さないという事は、それなりの理由があるという事だろう。

 だが、この兵器が量産された暁には、今後の戦争は姿形を変えていくに違いない。

「――時代は変わるものだな」

 そこまで思い至ったヴォルドは、後方へと倒れ行く中で自然とそんな言葉を漏らしていた。歳ばかりを重ねて、この広大な世界を見る事が出来なかった古参の将軍。

 その末路としては、新兵器に敗れるというのは自然な事なのかもしれない。そう思うと一縷の寂しさが巻き起こってくるが、もはや動く事は叶わない体では、どうしもない事だろう。

 だからこそ、ヴォルドは唯一動かせる口を懸命に動かして。

「――さらばだ、友よ。先に地獄で待っている」

 単身で敵地へと向かった友に言葉を送ったのだった。


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