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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第二部 もう一度あなたを抱きしめたくて
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最終話 (五)

 フィーメア神国の都市サーランドの北門を出て、ただひたすらに真北に向けて進軍するのは兵数八千を要するヴォルドの部隊だった。

 目的は言うまでもなく、グシオン連合国の侵攻を食い止めるためだ。撃退ではなくて、食い止めるという言葉を使ったのは弱気になったからではなく、単純に兵力が不足しているからだ。

 事前に放った偵察部隊の報告では、フィーメア神国に向けて南下を続けているグシオン連合国の兵数は一万との事。聖王国へと向かった二万の軍勢を思えば、幾分か気楽に思える数だろう。皆と一緒に足並みを揃えて進むヴォルドも一瞬だけ、そう思った。

 だが、その淡い期待は瞬時に霧散する事になる。

(……まさか王直々に来るとはな)

 その理由を心中で呟いたヴォルドは、苦虫を噛み潰したような顔で前方を睨みつける。他の将であれば力押しという手もあった。だが、戦においては『負けなし』と言われる猛将ドレスティンが相手では、策なしの突撃はあまりにも危険過ぎるだろう。

 兵数で劣り、それだけでなくヴォルドの敗北は、そのまま国の亡びにも繋がるというのだから慎重にもなるというものだ。

「……いかんな、これでは」

 だが、その考えをあえてヴォルドは否定する。

 教皇が結果を出すまでの防衛戦ではあるが、守ってばかりいては戦争に勝つ事は出来ない。それをよく知っている老いた将軍は、あえて言葉を吐き出す事で自身の心を鼓舞していく。

 もしかすれば、ただの独り言のように聞こえるような呟きだったのかもしれないが、部隊を率いる将軍の言葉を受け取った兵達は鋭い一歩を雪原へと刻み込んだ。

 その様は守るつもりではなくて、国のための剣となると述べているような気がして。

「……そうだな。それでこそだ」

 皆から力を受け取ったヴォルドは、兵に応えるようにもう一度言葉を届ける。

 それを合図するかのように。

 疎らな雪が舞う雪原で、静かに立ち止まっている一団をヴォルドは捉えた。

(……陣は方円か? いや、鶴翼かくよくなのか?)

 だが、ヴォルドは目にした敵の陣が、自身が知り得ているものとは異なる事に戸惑いを隠せなかった。目測で敵との距離は五十メートルあるが、正面で剣を地面へと突き立てているのは王ドレスティンで間違いないだろう。その王を守るように配置されているのは、僅か千程の騎士達。大将であるドレスティンを囲むように、円形に並び立ってボウガンを構えているようだった。この陣はヴォルドが知っている「方円」の陣で間違いはない。

 だが、そんな彼らとは別に方円の陣を中心にして、両翼を広げている部隊が存在する。上空から見たならば「Vの字型」に見える陣の名前は鶴翼の陣という。その部隊の兵数はヴォルドから見て右側、つまりは敵の左翼が兵数五千。そして、右翼が兵数四千だろうか。

(……罠だろうな)

 明らかに陣の形が歪すぎる。

 知略で劣るヴォルドでも分かる程に、グシオン連合国の王は何かを仕掛けてきているようだった。だとしても、ヴォルドが選ぶ事が出来る選択肢は三つだ。

 まずは罠に飛び込む事無く待機する事。時間を稼ぐ事が第一の目的である事を考えれば最も妥当だと思わせる選択肢だろう。だが、その賢い選択肢を選ぶべきかどうか悩む訳がある。それは、そのまま二つ目の選択肢へと繋がる。

 なぜ悩むのかと言えば、王ドレスティンの守りが僅か千しかいないからだ。両翼が閉じて挟撃が成功するまでに、中央へと飛び込む事が出来れば、フィーメア神国は易々と勝利を手に入れる事が出来る。

 だが、これはあまりにも危険過ぎるのは言うまでもない。失敗すれば前方、左右からの攻撃によって、ものの数分で駆逐されてしまうのは誰にでも分かる事だからだ。それに敵もそこまで愚かではあるまい。さすがに敵が何を考えているのかは予想出来ないが、正面への突撃に対抗する策は必ず用意しているだろう。

 得られるものも大きいが危険な賭けでもある選択肢を、頭を振って霧散させたヴォルドは、最後の選択肢へと思考を走らせる。

 最後の選択肢。

 それは両翼の内で兵数が少ない方を攻撃する事だ。今回の場合で言えば、左側に見える兵数四千の部隊だろう。なぜ均等に分散しなかったのか疑問に思うが、鶴翼の陣を瓦解させる一つの方法としては、方翼を潰してしまうのが最も手っ取り早い。当然、相手も易々と潰させてはくれないだろうが、兵法書に沿って戦う道を選ぶならば、この道が最善だ。

 選択肢が一つしかないというのも問題だと思うが、三つもあると逆に混乱してしまう。正直な事を言うならば、ヴォルドにとっては最も嫌う展開だろう。

 しかし、進むべき道を選ぶのは将軍であるヴォルドだ。

 誰も口には出さないだろうが、一秒でも早く将軍の号令が飛ぶ事を期待している事だろう。それはよく分かっている。

 分かっているのだが、ヴォルドは容易に選ぶは出来ないでいた。そう至る理由は、敵がまるで彫刻で出来ているのではないかと疑いたくなる程に動かないからだ。

 まるでヴォルドが出す答えを待っているかのように、じっと剣を構えて止まっているのである。では、敵の表情を観察して答えを見つければいいと思うかもしれない。

 しかし、それは叶わない。

 王であるドレスティンを除いて、皆が皆、真紅のローブで身を包んでいるからだ。それもご丁寧な事にフードを目深に被るという徹底ぶりだ。

 判断材料もなく、異質な陣形を取る敵。このまま未知なる恐怖に晒され続ければ、そう遠くない内にフィーメア神国の兵は動けなくなってしまうだろう。

(……止まっている事は危険か)

 そこまで考えが至ったヴォルドは、浮かんだ選択肢の一つを思考から追い出す。

 それに伴って残った選択肢は二つ。真っ直ぐ突撃するか、それとも兵力の少ない方を攻撃するか。そのどちらかを、将軍である自身は選ばなければならないのだ。

「――答えは決まった」

 フィーメア神国の命運を決める選択を余儀なくされたヴォルドであったが、結局悩んだのは数秒だった。今の今まで悩んでいたのが嘘であるかのように、自然と進むべき道が天命の近い将軍には見えたのである。

「――全軍、陣を鋒矢に変更。敵の左翼を突破する!」

 答えが出たのであれば、もう迷う必要はなくて。

 全ての権限を持った老将は鋭い一声を上げる。いつものように鼓膜を破壊するような大声で。だが、普段であれば迷惑このうえない大声も、恐怖に縛られた兵を叩き起こすには十分だったのだろう。

 号令を聞いた兵達は、即座に掛け声を上げながら地面を駆け抜けていく。

 そんな彼らは大将であるヴォルドを置いて、一つの陣を形成する。

 ――鋒矢ほうしの陣。

 おそらく兵を率いる者であれば必ず知っている、この陣の形は一言で述べるならば「矢印型」だ。矢印の後部に対象を配置し、そちらを後方にして敵へと向けて突撃する、というのが基本的な形だろう。

 前方に戦力を集中する事で、他の陣とは比べものにならない程の突破力を誇るが、その反面側面を突かれれば対応出来ないというのが弱点だ。また、大将――この場合で言えばヴォルドが後方へと配置される事で、敵の動きが掴みにくく、戦況が分かりにくいという弱点もあり、極めて危険度が高い陣であると言えるだろう。

 だが、その危険を頭に入れてもなお鋒矢の陣を選んだのは、フィーメア神国の兵数が劣っているからだ。

 敵国が比較的安全な陣を選び、こちら側が徐々に削られてしまえば、もはや成す術が無くなってしまうのだ。ゆえに、先手の一撃で、まずは兵数を互角にまで持っていく。

 そこからが本番だと考えたのである。

 その上で選んだのが敵の左翼。わざわざ「狙って下さい」と言っているかのような右翼を無視して、あえて兵数五千を保有する部隊へと力勝負をしようという訳だ。

 その意図が兵の全てに伝わったのかは分からない。だが、鋒矢の陣を一度組んでしまえば後は陣を変更する事は難しい。今ここでヴォルドが指示を出しても、最前列にいる兵に指示が届いている頃には敵は眼前に迫っているからだ。

 ならば――

「突撃!」

 兵を奮い立たせる事が、ヴォルドの出来る最善の道だろう。

 そう信じたヴォルドは以前の戦闘と同じように咆哮を上げて、強く地を蹴りつけた。

 ――十メートル、二十メートル、三十メートル。

 放たれた矢の如く愚直なまでに真っ直ぐに突き進んでいくヴォルド達であったが、そこまで進んだ際に違和感を覚えずにはいられなかった。

(……静か過ぎる)

 まだボウガンの矢が届く距離ではないが、フィーメア神国側の物音しか聞こえてこない事が不気味で仕方がない。それはヴォルドのみが感じた個人的な事ではなくて、周囲にいる誰もが同じように感じているようで、その表情は固い。

「――臆するな!」

 このままでは突撃の鋭さが鈍ると思ったヴォルドは、即座に叱咤の声を上げる。

 だが、その号令はあまりにも遅すぎた。鋒矢の陣の前方、言うならば矢印の最前列を駆ける兵士たちは未知の恐怖を前に、歩む両足を緩めてしまったのだ。

 突破力だけが取り柄の陣において、その利点を失ってしまえば撃破されにいくようなものだというのに。それが分かっていても、人という存在は純粋に『恐怖』というものに弱い。如何に優れた武人であっても、一度恐怖に囚われてしまえば、なかなか抜け出す事が出来ないのだ。

 それを証明するかのように、フィーメア神国の部隊は沼地に足でも突っ込んだかのように突撃の速度を落としているように見える。それでも進む事が出来るのは、国の明るい未来を背負っているからに他ならないだろう。

「――進め!」

 そして、その背中を押さねばならないのが将軍というものだ。

 例え毛嫌いされようとも、時には恨まれる事があろうとも。国をまとめる教皇のために勝利を届けるのが、兵を率いる者の務めだろう。

 ゆえに、ヴォルドは叫び続ける。

 対するグシオン連合国は、ただ静かに敵を待ち構えているようだった。信じられない事に彼らはボウガンによる射撃をせずに、接近戦にて迎え撃つつもりらしい。

 ――次の瞬間。

 両国の部隊の間合いが、目測で十メートルに接近した時に鳴り響いたのは、どこまでも涼やかな音色だった。まだ距離があるために断定する事は出来ないのだが、この音は鞘から長剣を抜き放った音だろう。

(――勝負!)

 どうも分の悪い賭けに思えて仕方がないが、ヴォルドは自身の部下を信じて突き進む。

 しかし、そんな将軍を嘲笑うかのように。

 数秒も経たずして、戦場に上がったのはフィーメア神国の兵達の絶叫だった。突撃の陣を組んで、なおかつ兵の数では圧倒しているにも関わらず、聞こえてくるのは味方の苦しみに満ちた声だったのである。

「……なぜだ?」

 ヴォルドは眼前に広がる光景を容易に信じる事が出来なかった。

 叶うならば悪い夢を見ているのだと思いたい。しかし、これは現実だ。どんな手段を用いても、再びやり直す事が叶わない現実なのである。

 つまりは、ヴォルドは分の悪い賭けに負けたのだ。如何にして負けたかと言えば、グシオン連合国は、国の中で腕の立つ者五千人を一つの場所に集めていたのである。

 ヴォルドが囮である四千を有する右翼ではなく、裏をかいたつもりになって、左翼を攻撃すると予測して。

 猛将ドレスティン。

 ただの武力と気迫だけが優れる王だと思っていたが、どうやらそれはただの思い違いで。

 時には予想も出来ないような策を用意出来る男であったようだ。しかし、この知識は生きて戦場から戻らねば何の意味も成さない。

 それはよく分かっている。だが、ヴォルドに叩きつけられたのは、断崖から突き落とされたような「絶望」のみだった。


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