最終話 (四)
聖王国ストレインの中心に位置する城塞都市シェリティアの北門から出撃し、北東へと向けて進軍しているのは女王イリスが率いる部隊だった。
目的はグシオン連合国への奇襲という事もあって、部隊の足並みは当然ながら速い。おそらく常日頃から体を鍛えている騎士達であっても、半日続ければ動けなくなってしまう程の行軍だろう。
なぜそこまで急ぐ必要があるのか。
考えられる可能性の一つとしては、グシオン連合国の部隊と現在交戦中であるシュバルツ王を救うためだと思うだろう。
しかし、実際は違う。
女王イリフィリア・ストレインの参謀であるゼイガンは、聖王国ルストの兵が攻勢に出られるだけの数を保有している内に奇襲を成功させる必要があると考えているのだ。
すでにグシオン連合国は聖王国ストレインが動いている事は当然ではあるが知っている。ならば奇襲など成功しないと思うのかもしれない。しかし、仲間を救う。この場合で言うならば、聖王国ルストと合流するために進軍していると、そう思い込んでいる相手の横腹を貫く事が出来たならば奇襲と成り得る。
そう考えた参謀が選んだ陣は、長蛇の陣。
兵を縦一列に並べて一点突破を狙う陣形である。この陣を組むのは谷などの特殊な地形、つまりは縦一列に並ばなければ進軍出来ない際に用いる特殊な陣だ。
しかし、奇策を用いる事を常とするゼイガンは、陣の形を基本的な形から崩している。
と言っても、兵数四千を有する本隊が二つと、兵数二千を有する別部隊とに分けているだけなのだが。もし上空からストレインの陣形を見たならば、縦に長い列を形作った部隊が三つ存在し、寄り添うように密着しているように見えるだろう。言い換えれば、長蛇の陣を三つ作って、それを横に重ねているだけに過ぎない。
しかし、正面から見たならば何の陣を組んでいるのかは分からない事だろう。相手を惑わせ、その隙に一点突破する。これがゼイガンの選んだ策なのだ。
こんな無茶な策が使用できるのは、ストレインに兵を率いる事が可能な者が多いからだ。兵数四千を有する本隊の指揮はゼイガンとシオンがそれぞれ行い、ルストの部隊と合流する予定の別動隊は、隊長であるアリシアが指揮を行う。
今回は女王であるイリスも参加しているが、王の討ち死にという最悪の場合を考えたならば城で守りを固めていた方がいい、そう言える程に人材が豊富なのである。
(……だとしても、王座で座っている訳にはいかないわよね)
自身が王である事を思えば、臣下を信頼して城にいるべきだとは思う。
それでも、戦えと命令した者が安全な場所にいては、戦にならないと考えたのである。それにイリスは元々王座に長く座っていられるような人間ではない。
王として欠落した部分でもあるとは思うけれど、じっとしていられないのだから仕方ない。そうして心を納得させたイリスは、深い緑を思わせる瞳を前方へと向ける。
短い草が生い茂る平原地帯を進軍していたイリス達ではあるが、突如として『異質な物』が視界へと飛び込んできたからだ。
――異質な物。
それはこの世界の理から外れ、今は共存出来ない存在が確かにその場にいた事を表す物だった。まるで生命を失ったかのように色を失い、氷の結晶と成り果てた草と花が視界へと飛び込んできたのである。
(……ロスティアの近くに来たのね)
氷雪種の大軍によって飲み込まれた、礼節を重んじる騎士の国ロスティア。
カナデの故郷でもあるその地は、現在では氷結花が咲き誇る異質な地へと姿を変えている。その異質な地で戦っているのは、グシオン連合国と聖王国ルスト。
そして、その戦に予定通りに介入するのがイリス達、聖王国ストレインだった。
(……残り数分)
ロスティアの地が近くなった事を確認したイリスは戦いが近くなった事を感じ、心を引き締めていく。
徐々に時間の感覚が薄れ、一分が数十分にも思える程に長く感じ始めた頃。
「――アリシア殿はそのまま直進を!」
突如として、ゼイガンの指示が寒空を駆け抜けた。
その指示を耳にしたイリスは、素早く周囲へと視線を走らせる。その間にもアリシアを先頭に、陣を指揮官突撃の陣でもある偃月の陣に整えた別動隊は、弾かれたように地を蹴りつけた。アリシアが目指すのは、正面に見える聖王国ルストの部隊。大楯を用いる事で、正面からの銃弾と、右側から迫った歩兵隊の猛攻を受け止めている彼らを救うために突撃をするのだ。その突撃が合図となって、ルストは攻勢へと転じる手筈となっている。
としても、たかだか二千の兵で突撃するのは、身が震えるような恐怖を感じる事だろう。それにも関わらず、銀色の髪を結い上げた少女――アリシアに導かれた騎士達は自身の誇りである剣の柄を強く、強く握り締めて、隊長の槍だけを信じて突き進んでいく。
その様は綺麗に整った陣を瓦解せしめる強大な矢を思わせる程だった。
(……アリシアは大丈夫ね。問題はこちら)
友であり、妹だと思っているアリシアの様子に安堵したイリスは、視線を北東へと向けると同時に進路を変更する。変更した進路は、当然瞳を向けた先。三列に並ぶ事で単発式の小銃を絶え間なく放つ、グシオン連合国の部隊に向けてだった。
一度の攻撃で相手の戦力の多くを削るためには、防御を固めた歩兵隊よりも接近すれば脆い遠距離の武器を持った者達を対象にした方がいい事は素人でも分かる。しかし、それと同時に接近する事は至難の業という事も分かるだろう。
(それでも勝利を掴めるならば……それに、道を切り開く切り札はあるから)
効果は高いが、危険要因も多数存在する道を進む事に心が一瞬だけ臆したが、そんな自身を心中で鼓舞したイリスは、号令を出すために冷えた空気を吸い込んでいく。
これからは参謀であるゼイガンではなくて、王たるイリスが指揮するのだ。姫としての戦を終えて、今日この時が王としての初めての戦。
当然、恐怖はある。それでも、自身と同い年の少女が最前線で戦っているというのだ。ならば王を名乗る者が止まる訳にはいかない。
そうして、心を固めたイリスは――
「第一射は予定通りに、セドリック殿が防いで!」
自身が一番に信じると決めた人へと指示を送る。
「心得た。不肖セドリック――行かせてもらおう」
すると、間髪入れずに言葉を返したセドリックは、両手に凍てついた騎士剣を形成すると同時に戦場を駆けた。元はイリスの後方に控えていた彼であったが、人外の力を氷装具の力によって引き出したようで、放たれた弾丸さながらの速度で平原を駆け抜けていく。
――時間にして、僅か十秒。
ちょうど小銃の射程範囲に入った瞬間に、彼は列の最前列へと躍り出ていた。
「――氷壁を!」
目標地点まで問題なく届いた彼に向けて、イリスは鋭い一声を上げる。
王の命を受け取った騎士達は、遠く離れたセドリックに分かるように、胸の甲冑を叩いて合図を送る。
その意図は正しく彼へと伝わって。
次の瞬間にはセドリックの手からは、全てを凍てつかせる刃が投擲されていた。
彼が投擲した騎士剣の目的は二つ。
一つは氷壁を展開し、グシオン連合国が放った弾丸を防ぐため。では、もう一つの目的は何なのか。それは、再びイリスが叫ぶ事で明らかにされる。
「――陣を変更。予定通りに魚鱗の陣!」
イリスが指示をしたのは、中心が前方に張り出し、両翼が後退した三角形の陣だった。
特徴としては、数百単位の兵が魚鱗のように密集する事で、個別ではなく、一つの集団に情報を伝える事が可能なために伝達が早い事だ。なぜ、この陣を選んだかと言えば。敵に接近した瞬間に、陣を分離したいと思っているからである。
氷壁を展開して陣を変更する事など、敵に優秀な将がいれば易々と見抜かれてしまうだろう。ならば、さらに予想出来ない策をぶつける。それが、イリスとゼイガンが導き出した答えだった。おそらく戦術の教本に脳内を縛られた者が頭上から戦況を見れば、失笑するような事をしているのかもしれない。
だが、誰でもが予想出来る策しか用いる事が出来ない指揮官は、必ず限界が来ると思うのだ。これはゼイガンの教えでもあるのだが、勝ち続けるには必要な事であるとイリスは考えている。
そう考えている内に、予め陣の変更を知らされていた騎士達は新たな陣を整えたようだった。そして、眼前に迫る氷の城壁に向かって突き進んでいく。
もしかすれば砦の城壁よりも頑丈なのではないかと思える氷壁を視界に収めたイリスは、ここまでは順調だと確かな手応えを感じた。後はシオンとイリスが率いる別動隊が北に向けて分離し、対応が遅れた敵を殲滅すれば勝利は確定する。
そう信じて疑わないイリスは――
「セドリック、氷壁を砕いて!」
壁を形成せしめた当人へと指示を飛ばすと共に、自身が模範となるように北へ向けて進路を取る。そんなイリスに続くのは兵数四千の部隊。
この場に残り、一時の間防御を固めるのは同じ四千の部隊だ。その隊を率いるのは参謀として絶対の信頼を置いているゼイガンである。彼ならば劣った兵数であっても、イリスが攻撃するまで耐えてくれる事だろう。
だが、その考えが如何に甘かったかをイリスは数秒の内に理解する。
(……銃を持っていない? あれは剣?)
遠距離の攻撃に特化した小銃の部隊であれば、不用意に突撃しない限りは安全だと思っていた聖王国ストレイン。しかし、そんなイリス達を嘲笑うかのようにグシオン連合国は銃を捨てて、弾かれたように突撃してきたのだ。
奇策には奇策を。
それが相手の出した答えだったようだ。ルストとの交戦によって、僅かに兵数が減っているように見えるが、目測で八千を有する元小銃部隊は勝利をその手に掴むために前へ、前へと突き進んでくる。
それを受け止めるのは、その半数の四千を率いるゼイガンの部隊だ。
(――戻らないと!)
即座に引き返す事を選んだイリスは、慌てて両足を止める。
だが、それを止めたのは――
「そのまま前進を! 凌いで見せましょう!」
細身の剣を鞘から抜き放ったゼイガンだった。
そして、その想いに応えるように残った騎士達は、剣と盾を構えて地を蹴りつけた。自分達が信じる王ならば、必ず間に合わせてくれると。彼らはそう言外に述べているような気がした。
(……落ち着いて。あちらにはセドリックがいる。だから、私は――!)
汚染者がいたとしても、甚大な被害が出る事はすでに分かっている。
それでも、今戻っても結果は変わらない。ならは、真っ直ぐに突撃した敵の側面を貫くのが正解だろう。今この時は仲間を見捨てる事となってしまっても。
「――進む!」
身が引き裂かれるような痛みを全身に感じながらも、イリスは力の限り叫ぶ。
王が諦めてしまえば、立ち止まってしまえば戦いは終わってしまうのだから。それだけは何としても避けるために。
「王を信じて、進め!」
その想いを受け止めてくれたのだろうか。
シオンは続けて指示を飛ばすと共に、自身を先頭にして突き進んでいく。その背中はどんな重みを背負っても、決して崩れる事がないように見えて。
イリスはその背中を通して、自身の未熟さと甘さを痛い程に感じたのだった。




