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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第二部 もう一度あなたを抱きしめたくて
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最終話 (三)

 足首まで覆う、穢れを知らない白き雪を踏みしめながら走るのは一人の少女。

 自らを『氷結の歌姫』の代弁者と名乗り、現在も雪を連想させる儚き乙女のために一直線に走り続けている少女だった。

 その正体は言うまでもなく、鍛冶師であり傭兵団の臨時要員でもあるカイトだった。肩書だけを見れば特別な存在ではないカイトは、それでも自身の精一杯の言葉を内から外へと解き放つ。

「――ソフィ!」

 叫んだのは、いつも通りに大切な少女の名前だった。

 事ある事に同じ名前はかりを叫ぶカイトは、知識が豊富な人物から見れば、馬鹿の一つ覚えのように見えてしまうだろう。

 だが、彼女の力になる。そう決めたカイトは、叫ばずにはいられないのだ。

 解き放った叫びは迫る死の恐怖を弾き飛ばして、確かな力となって震える足を前へ、前へと押し進めてくれるのだから。

「――邪魔をしないで!」

 しかし、そんなカイトを止めようとするのは、女性にはしては低い声だった。

 その声には聞き覚えがある。だが、どこか違和感を覚えたカイトは、澄んだ水を思わせる青い瞳を正面へと向ける。

 ――すると。

 目測で十歩程の距離を空けて、同じ雪原を走っていたのは真紅の甲冑に身を包んだ少女――『血染めの舞姫』だった。しかし、身を血で染めたとも揶揄される彼女はいつもの覇気が足りないような気がする。

 言うならば、カイトと同じ年相応の少女のように見えたのだ。

「――君は違うね」

 だが、内に浮かぶ疑問は刹那の時間で解き明かされた。

 他人の心などただの一般人であるカイトが鮮明に分かる訳はないのだが、雪原へと舞い踊る白銀色の粒子が、自身の体へと触れる度にカイトに必要な事を教えてくれるのだ。

 歌姫がソフィの体を必要としたように、血染めの舞姫が必要とした少女の想い。

 少女が体験した過去の痛みも、現在の燃え滾るような怒りも全て余す事無く、まるで吹雪に身を晒しているかのようにカイトの心に流れ込んでくるのだ。この人間らしい感情の本流は、あの涼やかな舞姫の心ではないだろう。

 そう直感的に悟ったカイトは、青い瞳を真紅の瞳に重ねる。

 ――一歩、二歩。

 僅か十歩の距離しか空いていないにも関わらずカイトは、瞳を重ねたまま直進する。その間にも心を金槌で殴打されたような衝撃が身と心を打ちつけるが、カイトは震える両足を叱咤して前へと押し進める。

 そんなカイトの背に届くのは、歌姫とソフィの温かな気持ちだった。

 ただ歌う事しか出来ない自分達のために進むカイトを祝福する想いと、無事に戻って皆が笑い合える事を願う気持ち。どちらもカイトの心を「ぽかぽか」にしてくれる優しい気持ちだった。

 そんな日向ぼっこをしているかのようなほっこりする気持ちを戦う事しか出来ない少女に伝えたい。素直にそう思ったカイトは、形成した氷装具を両手で精一杯握り締める。

 右手はいつも通りに小銃の形を模した引き金に、左手はいつでも先端についた短剣を振るえるように氷装具を強く握り締めたのだ。

「これ以上――来るなら!」

 対する赤き少女は、頬を涙で濡らして突撃槍ランスを振り回す。

 突撃槍という武器は本来であれば馬などの乗り物に騎乗し、加速を付けて貫くための武器である事は鍛冶師でなくても知っている事だ。少女の振るう槍の速さは素人目で見ても、遅くはない。むしろ、戦い抜いた事で得られた膂力によって振るわれた真紅の刃は、直撃すれば人の骨くらいは容易く破砕せしめるだろう。

 ならば、正式な使い方。ここで言えば突撃槍を小脇に抱えて助走を付けて、真っ直ぐに突き出したならばどれほどの威力があるのか。それは想像したくはなく、また受け止めるつもりもさらさらないカイトではあるが、少女の不可解な行動は何らかの伝言であるように思えた。

「僕は進むよ。そして、想いをあなたに届けたい!」

 だからこそ、カイトは浮かんだ言葉を少女へと返す。

 しかし、言葉を受け取った筈の彼女は止まる事無く。

「――止めて!」

 悲鳴に近いような叫び声を上げて、突撃槍を振り回し続けた。

 一撃目は右手に握った突撃槍を、カイトから見て右上から左下に振り降ろすような一閃を。そして、二撃目は左へと向けた力を利用する事で一回転し、薙ぎ払うような一撃を放った。

 しかし、あまりにも精度に欠けた二振りは、氷装具によって身体能力を向上させているカイトに届く事はない。銃を扱う者にとっては不利な間合いであるにも関わらず、それぞれに対して、半歩下がる事で事なきを得る事が出来てしまったのだ。

 どこか淡々とした物言いとなってしまったのは、それだけ余裕があったという事である。そこまで言い切れる程に、難なく回避に成功したカイトが引き金を引き絞る事は当然可能だった。だが、氷弾を射出する代わりに選んだのは――

「止めて欲しいと思うなら……どうして泣いているの?」

 内から溢れては消えない疑問をぶつける事だった。

 怒りに身を任せたいと願い、復讐を心に誓った少女が、何故頬を濡らしているのか。

 その答えが分かれば、おこがましいとは思うけれども、彼女を救う事が出来ると思ったのである。これはカイトの予想でしかないけれど、少女が浮かべる涙は迷いであると同時に、痛みでもあるような気がしたのだ。

 叶うならば、そう断定したい所ではある。しかし、少女は心を固く閉ざしており、伝わってくる想いも制限されているような気がした。やはり人を遥かに超えている歌姫であっても、神のような絶対者ではないという事なのだろう。

「――泣いてなんかいない。泣いてなんか!」

 それを証明するように。カイトの問いに対して、叫び声を上げる事で返した少女の心はさらに遠のいた気がする。しかも、それは気のせいではなくて。

 敵であるカイトが成そうとする事を理解出来ない少女は、何かに怯えるように弾かれたように後方へと跳躍。それと共に心を護るかのように、両手に握る突撃槍を構え直した。

 その構えには隙などはなく、一歩でも近寄ったならば串刺しにされてしまう事だろう。しかし、その構えが時折緩むのは、少女にとっては未知の心が流れ込んでいるからだろう。

(……伝えられる。それなら)

 伝わっているというのならば、迷う事はない。

 そう結論付けたカイトは雪原に一歩を刻み込む。そんなカイトの周囲では、命を掛けた戦いが展開されている。皆が皆、自身の譲れない気持ちを胸に抱きしめて、恐怖を咆哮で吹き飛ばして剣を振るっているのだ。

 そこに悪も正義もないのだとカイトは思う。

 冷静なアールグリフに支えられた傭兵団と騎士団の混成部隊は、指揮官である団長を先頭にした偃月えんげつの陣を。つまりは、主力部隊である傭兵団が前へと突出し、逆に騎士達が中心である両翼は後方へと下がる指揮官の突撃の陣を取って、陣すら組まずに真っ直ぐに突き進む狂信者を一人ずつ地へと沈めていく。

 まるで虐殺をしているかのように見える光景ではある。しかし、彼らは共に戦う仲間と友を。そして家族と笑い合うために戦っているに過ぎないのだ。そんな彼らを非難出来る者がいる訳はないと思う。

 しかし、だからといって、教皇が生み出してしまったクエリア神国の者達が無残に殺されていいとも思ってはいないのだ。叶うならば二つの刃を止めたい。

 だが、そう願っても戦いは止まらない。戦場の中で、ただ一人が懸命に叫んだ所で誰も聞いてはくれないからだ。

 それでも、気持ちを伝えられる人がいる。少女はカイトの気持ちを受け取って、心を揺らしてくれる。少女の揺れた心は皆へと伝わって、振り下ろされる凶刃が一つでも減るというのであれば、カイトは言葉を届けようと思うのである。

 もしかすれば、そんなカイトの事を『偽善者』と呼ぶ者がいるのかもしれない。

 だが、カイトは偽善者であってもいいと思う。大切な事は、固く閉ざした心へと光を届ける事なのだから。

「泣いてるよ。君の心は……ずっと泣いてる」

 そう信じたカイトは、自身の手を少女へと差し伸ばす。

 繋ぐ事を求めるのは絆。言葉と想いだけでなく、人の温かさを持って分かり合いたい。そんな願いを込めて、カイトは柔らかく微笑む。

 すぐには繋いでくれないと分かっていても、いつか分かってくれると信じて。

 だが、差し出された手が感じたのは、雪原を駆け抜ける凍てついた冷気だけだった。

 言葉を受け取った少女は、やはり答えてはくれなかったのだ。しかし、これは予想の範囲内だ。こうもあっさりと分かり合えるならば、戦争など起きる事はないのだから。

 そう心を強引に納得させたカイトは次の言葉を届けるために、肺へと震え上がりそうな空気を送り込む。

 それと同時に少女も動く。

 ――貫かれる。

 一瞬、そう思ったカイトであったが、少女の取った二つの行動は予想外のものだった。

 まず一つは後方へと跳躍。これはカイトの様子を窺うためのものであり、まだ理解は出来る。問題は次からだ。

 後方へと下がった少女は、手にしていた突撃槍を地へと突き刺すと。まるで天へと祈る様に両手を胸の前で組むと、瞳を閉ざすと共に一つの歌を奏でたのだ。

 そう。

 まるで氷結の歌姫のように戦場へと歌を送ったのである。

(……なに、これ?)

 しかし、奏でられた歌を耳にした瞬間にカイトは眉根を寄せる。

「――あの時の想いをもう一度、意志を貫けますように」

 内から外へと紡がれた少女の言葉を最初に、奏でられた歌は正直な事を言うと理解出来なかった。他国へと行けば文字も違い、言葉も異なるカルティシオン大陸ではあるが、少女が発する言葉はどこのものでもないように思う。

 おそらく別大陸か、それとも別世界の言葉なのだろう。大陸に存在する全ての言葉を知っている訳ではないけれど、あまりに異質で異端な言葉の数々を受け取ったカイトは、とりあえずそう結論付けた。

 否、正確に言うならば、悠長に考えている暇などなかったというのが正解だ。

 ――一体、何が起きているのか。

 それを説明するには、上空と後方を見ればすぐにでも理解出来る。

 まずは上空。先ほどまでは疎らに雪が降るだけの白と、灰色に彩られた雪雲しか存在しない筈であったのだが、一転して紅く塗り替えられていたのだ。

 世界を染める真紅の正体は、少女が顕現した突撃槍。少女の小さな体から溢れ出る紅の霧が、空で形を整えて、人を殺める刃となって顕現したのである。

 当然、空へと出現しただけで終わりでない事は、この場にいる誰でも理解している事だろう。そして、やはりと言うべきか。

「――来るぞ!」

 いち早く異変に気づいた団長アールグリフが、歌声に負けない警告を発した。

 陣の先頭を突き進んでいた彼は、クエリア神国の狂信者達の中心人物と思われる男と剣を交えながらも叫んでいるようだった。だが、そんな彼を、いや、フィーメア神国の者達を嘲笑うかのように空から射出されたのは鋭利なる刃。しかも、ただ鋭いだけではなくて、一度触れれば死へと誘う、絶対の刃が豪雨さながらに降り注ぐ。

 歌姫と同じように歌を奏でた血染めの甲冑に身を包んだ少女ではあるが、歌の種類も目的も明らかに異なっているように思う。一方は分かり合うために、一方は拒絶するために。

 元は同じ人という存在を元にして出来た存在でありながらも、あまりにも違う両者にカイトは戸惑いを覚える。

 しかし、そんなカイトが平静を取り戻すのを待ってくれる訳もなく。

 降り注いだ突撃槍は、目標を凍らせていく。さすがに数千という数を一度に形成した事もあってか、その狙いは幾分か甘い様に思える。だが、避けた瞬間に砕け、砕けた破片に肌が触れただけで、死へと至るのだから防ぐのは至難の業だろう。

 幸い、この地は極寒の地だ。肌を露出させているような者は少ない。であっても、攻城兵器さながらの速度で地へと叩きつけられた刃の破片は軽装程度であれば、易々と貫く程の威力を持っているようだった。確かな威力と速度を併せ持った少女の歌は、まさに神の力に思えるのかもしれない。

 それを証明するように――

「勝てる。皆、勝てるぞ!」

 歓喜に満ちた少年の声が戦場へと轟いた。

 まだ十代の半ば頃だと思える少年は、まるで自身の身を捧げるように剣を振りかざして、目標である教皇へと真っ直ぐに走っていく。それだけでなく雄叫びを上げて、少年の背を追うのは狂信者と呼ばれる者達だった。

(……どうして、そこまで)

 なぜ人はここまで、人を恨む事が出来るのだろうか。どうして、ここまで歪んでしまうのだろうか。その答えは分からない。

 けれど、止めたいとは思う。痛みと絶望しか生まない歌を止めたい。歌姫の歌を通して伝わる悲しい気持ちを止めたい。

 しかし、その方法が思い付かない。このまま戦いが続けば、おそらくフィーメア神国の部隊はものの数分で駆逐されてしまう事だろう。それ程までにクエリア神国の狂信者達は勢いに満ちていた。

 そう。

 まるでこの場で自身の身を捨てて、氷の結晶となる事で苦しみから解き放たれたいと願う気持ちが戦場を覆い尽くしていたのだ。常人にはまるで理解出来ない気持ちではあるが、理解出来ないからこそ恐怖を生んで、フィーメア神国の者達の勢いを確実に削いでいく。素人目で見ても、この状況から建て直すには何か奇跡の力でも用いない限りは不可能だろう。そんな非現実的な事を考えていると。

『――撃って』

 カイトの心に直接、言葉が届いた。

 確認などせずとも、声を届けたのはソフィだろう。しかし、彼女の事をよく知っているカイトではあるが、すぐに言葉の意味を理解する事は出来なかった。

 ソフィの代わりに言葉を尽くそうとしているカイトが、一体何を撃てというのだ。自然に考えれば、戦いの流れを変える程の力を保有している少女だろう。

 だが、少女を撃ち抜いて、終わらせてしまっては何の意味もないように思う。それでは誰も納得などしない。それに何も変わりはしないだろう。

『――氷装具を上空へ。引き金を引いて』

 しかし、そんな事は語らずとも分かっているソフィは、カイトが撃つべき対象を立て続けに指示した。後は指示通りに引き金を引けばいい。

 その筈なのだが、カイトの心は晴れる事はなかった。それもその筈で、汚染者専用の武器である氷装具ではあるが、千を超える刃に対抗出来る力はないからだ。それが分かっていても、一人でも多くの者を救えというのだろうか。

「――迷っている暇はないよね」

 迷っている間に、身を引き裂かれんばかりの絶叫が聞こえてくるのだ。それらを放置して。考え事に没頭している暇はない。そう強引に自身を納得させたカイトは、指示通りに氷装具の銃口を空へと向ける。

 その瞬間、なぜソフィが上空へと銃口を向けるように指示したのかを正確に理解する。

 いつの間にか氷装具を、そして、その所持者を包んだ真っ白な霧は、一度カイトの内側へと溶け込んで、忙しなく外へと飛び出したのだ。

 蠢いて顕現したのは、カイトが手にしている小銃。それだけでなく、新たに生まれた銃口はまるで生きているかのように、その矛先を降り注ぐ槍へと向けた。これはソフィが操っているのか、それとも氷雪種の力が働いているのか。

 それは分からないけれど、数千を超える銃口を手にした今のカイトならば、望む事を現実とする事が可能だろう。

「――止まって!」

 そう判断したカイトは、戦いの流れを変えるために引き金を引き絞る。

 寒空を切り裂いた無数の氷弾が、戦いを止めたいと願う気持ちが、振るう刃を止められる事を強く、強く祈って。

 ――刹那。

 戦場に轟いたのは、どこまでも澄んだ心地良い音色だった。


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