第五話 (六)
フィーメア神国の都市サーランド。
大陸の命運を決める戦争の原因とも言うべき国家の中心に響いたのは――
「無事に戻れたんだね……」
安堵に満ちたカイトの声だった。
旅の道中では異国に行くと言う事もあって、無事に帰ってくる事は叶わないと不安に思っていた一向。ゆえに誰もカイトの言葉を否定する者はいない。
むしろ、誰しもがカイトと同じように安堵の息を吐きだしている所だろう。
「そうだな。だが、これからが本番だ。俺は教皇がどう動くか確認してくる」
しかし、さすがは団長というべきか。
安堵する間もなく、次の行動へと移ろうとしているようだった。確かに聖王国はグシオン連合国を攻撃してくれるようだが、フィーメア神国は自分達で振りかかる火の粉を払わなければならない。そういう意味では、これからが本番だと述べた団長の判断は正しい。
そして、軍事と政治を司るフィーメア神国の絶対者がどう動くのかを把握しなければ動きようがないのも事実だ。
自身がやらなければならない事を再認識したカイトは、左隣りにいる団長へと視線を向けて。
「……僕も行くよ」
一つの提案を投げかける。
例え工房に戻ったとしても仕事が出来るだけの時間はない。ならば、共に教皇の元へと行って、情報を仕入れた方が動きやすいと思ったのだ。
しかし、その考えは数瞬の内に霧散する。
「――ようやく戻ったか」
カイトの思考を吹き飛ばしたのは、耳にうるさい声だった。
声に導かれて、視線を上に。つまりは、西門から都市の中心たる大聖堂まで伸びるメイン通りに移したカイトの瞳に収まったのは、甲冑に身を包んだ老騎士。
確か古参の騎士で、現在も将軍として活躍しているヴォルドという男の筈だ。おぼろげな記憶を呼び起こしたカイトは、同時になぜ彼が出迎えてくれたのか疑問に思う。
「なぜ貴殿が? その恰好を見るに……もう出撃するのだろう?」
その疑問を代わりに訊いてくれたのは団長だった。
そして、カイトを含んだ傭兵団の一員は、固唾を飲んで両者を見守る他に道はない。余計な口を挟んで、もし死地へと向かわなければならない事になったら目も当てられないからだ。
「ああ。伝えるべき事を伝えたら……すぐにでも北へ向けて進軍する。クレイスター卿――貴殿に伝えたい事はただ一つ。今しがた教皇が単身でクエリア神国へと向かわれた。それで戦いが終わればいいのだが……最悪の場合は貴殿達で奴らを止めていただきたい。兵数として貸す事が出来るのは五千までだ」
感情を読み取れない淡々とした声音で語った将軍の話は、驚きが半分で、身を震わせる程の恐怖が半分だった。教皇が単身で向かった事に驚き、そしてたったの五千で舞姫率いるクエリア神国の狂信者達と戦わなければならない事に恐怖を覚えたのだ。
冷静沈着な団長の事は信じているけれど、さすがに今回はばかりは分が悪いような気がする。それは団長も同じ考えだったのか。
「クエリア神国の現在の兵数は……八千だったか? こちらにはカイトという切り札があるが、少々分が悪いな。だが、それは言っても仕方がないか。最善を尽くそう」
一度、白い吐息を盛大に吐き出すアールグリフ。
だが、さすがに皆よりも切り替えが早いようで、勝つための戦略を考え始めているようだった。
「そちらは任せる。出来れば……教皇が生きて戻ってくれる事を願う」
そんな団長に安心した様子のヴォルドは、この場での役割を終えたと言わんばかりに背を向ける。先ほど述べた通りに北へと向けて進軍を開始するのだろう。
老いた将軍が戦うのは五倍強の国力を誇るグシオン連合国。フィーメア神国に対して、どれだけの数を派遣するのかは分からないけれど、生きて帰れない確率はヴォルドの方が高いのは言うまでもない。
(……これが最後かな)
対して関わりがあった訳ではないが彼の声を聞く事も、大きな背中を見る事も、これが最後だと思うと悲しくなってしまう。そして、同時に思う。
なぜ人はこんな悲しい事を延々と続けられるのかと。ソフィのように氷雪種と人が分かり合える道を探す者がいる、この世界で。どうして対話もせずに殺し合いが出来るのだろうか。その答えをカイトはまだ見つけていない。
「戦いを止められるかな?」
だからこそ、カイトは親代わりでもある団長に問うてみた。
答えてくれるかどうかは分からない。それでも、聞かずにはいられなかったのだ。そんな気持ちが伝わったのか。
「どうだろうな。俺は戦う事しか出来ない人間だからな。お前や氷結の歌姫から見れば……野蛮な存在なのだろう。だが、お前達は別の道を進める。答えは……この戦いの中で見つければいいのだと思う」
団長は一度表情を和らげて、精一杯の言葉を返してくれた。
望んだ答えではないけれど、真摯に答えてくれた事に感謝したカイトは一つ頷く。それを肯定と受け取ったアールグリフは父親の顔から、すぐに皆を統率する指揮官の顔へと戻っていて。
「各員、疲れているだろうが……今すぐに東門に移動だ。目標はクエリア神国――何としても食い止める!」
アールグリフは即座に号令を飛ばした。
その号令に従って突き進むのは、カイトを含む傭兵達。皆、大規模な戦闘が始まる事に恐怖しているのか、どこか表情は固いように見える。それでも皆の両足は一定のペースで、早歩きにも似た速度で進んでいく。
戦いを生業として生きるのが傭兵。
そんな者達が戦争に臆して身を震わせていれば、生きていくための仕事は得られなくなってしまう。ゆえに胸を張って、目印となっている灰色のロングコートを揺らしながらも、懸命に突き進んでいく他に道はないのだ。
この場に傭兵団『シュトゥルム・ステイト』がいるのだと、知らしめるように。
(ソフィ……。君は今どこにいる? 想いは同じなの?)
その中で、皆と同じ灰色のロングコートを忙しなく揺らしながら歩くカイトは一人の少女を想う。分かり合う事を、戦いを止める事を切に願う、心優しい少女を。
ソフィを想う心は、カイトの内側から力を湧き出させて。気が遠くなる程に長い上り坂にも怯むことなく両足を前へ、前へと進ませていく。気づいた時には先頭を進んでいたが、もう誰も止める者はいない。
むしろ、小さな背中を追うように皆も歩みを早めているようにも見えた。
(どうか戦いが終わって。また君を……もう一度抱きしめられますように)
背に確かな力を感じたカイトは一つの祈りを、視界に収まった大聖堂へと届ける。
現在教皇は不在だが、都市サーランドの中心と言っても過言ではない大聖堂。神へと向けた祈りが一番届きやすいと言われる聖地へと、カイトは真っ直ぐな祈りを届けたのだった。




