第五話 (一)
―― 第五話 大切な人 ――
カルティシオン大陸の最北端。
北に進めば進む程に寒さが厳しくなる事を思えば、大陸の中で最も過酷な場所と言っても過言ではない地にて。
「また戦争が始まるんだね。戦いの果てにボクの前に現れるのは一体誰かな?」
高さ五メートルを有に超える石碑を見上げながら独語したのは、漆黒の法衣を身に纏った一人の少年だった。
極寒の地に紡がれた女性のように高い声音は、奏でられた歌のように耳に心地良い。そんな心を洗うような声を発する少年は、どこか神聖な存在のように見えてしまう。おそらく雪雲の隙間を縫って差し込んだ淡い光によって煌めいた黄金色の髪と、歪みを感じさせない端正な顔立ちが作り物めいた美しさを印象付けたのだろう。
そんな美しさの象徴のような少年は、自身の呟きに返答がない事を気にした様子もなく、肺へと凍えた冷気を取り込んで。
「心を繋ぎ他者と共に歩む事を願う歌姫と、居場所を求めて刃を振るう舞姫。どちらも両極端な道を進もうとしているね。なら、氷雪種という集合体の総意をまとめる存在たるボクはどうすればいいのかな?」
再び誰にも届かない言葉を発する。
聞き手は誰もいないというのに、言葉を紡ぎ続ける少年。その様はどこまでも寂しそうで、まるで想いを受け止めてくれる相手を求めているような気さえした。
そう。
少年は自身が出さねばならない答えを決めかねている。いや、むしろ誰かに決めてもらいたいのかもしれない。だが、言葉をどれだけ発しても、誰にも届きはしない。
ずっと長きに渡って、揺らがない答えを心に秘めている者を待っているというのに。
しかし、大陸の最北端に人が訪れる事は稀だ。本日も誰とも話す事無く、虚しく一日が終わるのだと、そう思っていると。
「今日もここにいたのか。よく飽きんものだな」
少年の背へと地を揺らすような野太い声が届いた。
届いた声は待ち望んだ声ではないのだが、少年は久方ぶりに話が出来る事を喜び、反射的に背後へと振り向く。その様は年相応の子供であるかのような無邪気さが垣間見える。だが、もはや少年の子供らしさを見慣れているグシオン連合国の国王ドレスティンは、さほど気にした様子はなく。むしろどちらかというと、孫の顔を見た祖父のように穏やかな表情を浮かべてさえいるようだった。
「こんな何もない場所に頻繁に赴く君に言われたくはないかな」
王が変わらない態度を取ったために、少年は何事も無かったかのように、いつもの言葉を返す。内心では話し相手が訪れた事に歓喜しながらも。
当然、その飛び跳ねんばかりの喜びは言葉の端々へと多分に含まれており、また自然と緩んでしまう表情から分かってしまう事だろう。
「そうだな。俺は王らしくないのかもしれない。黙って……王座に座っていられる時間など一時間が限界だ」
隠しても隠しきれない感情を受け取ったドレスティンは、岩を思わせる厳つい表情を緩めたままで言葉を返す。王も政治とは無縁の場所にいる人物と話が出来る事が嬉しいのだろう。王と呼ばれる者は臣下に心を開く事が難しく、自然と孤立してしまうのだから。
「そう。それなら、王らしくない絶対者は……氷雪種の総意者たるボクに何の用かな? ただ顔を見に来ただけではないんだよね?」
しかし、仮にも王と呼ばれる者が寂しさを紛らわすために訪れたとは考えられない少年は、とりあえずは確認をする。と言っても、ここに来た目的は大よその検討はついているのだが。
「周辺諸国を滅ぼした時のように……再び力を借りたい。念願の作物が育つ地は眼前に迫っているのだからな。ここで負けるような事があれば……もう後はない。一生他国の属国と成り果てる事だろう」
予想通りに雪が覆いし丘を登る王は、人外の力を求めた。
彼が少年に力を求めたのは、これで三度目だ。
総意者が首を縦に振ったのか、横に振ったのか。それは現在のグシオン連合国の現状を見ればよく分かるだろう。つまりは、最も国土が広く、それでいて兵力においては他の追従を許さない軍事国家の成り立ちは、実は一人の少年が首を縦に振った結果なのである。
それまでは、大陸が悲鳴を上げる事がないように。ただそれだけを想って、人が増えすぎないように調整する事、または人の手には負えない規模の戦争へと介入する事で、世界の均衡を保っていただけなのだが。
そんな絶対者でもあり傍観者でもあった少年が、なぜ一人の王の願いを了承したのか。圧倒的な力の前に屈した周辺諸国を統べる者は立て続けに少年へと問うたが、ただの「気まぐれだった」としか答えられる言葉を持っていない。
そう。
ただ人が訪れない忘れられた丘に佇む少年と孤独な王の瞳が重なり、言葉が交わされた結果に過ぎないのだ。だが、その結果を少年は悔いてもいる。
圧倒的な力は氷雪種という存在を人から遠ざけてしまったからだ。
結果として、その溝を埋めたいと願う「氷結の歌姫」が生まれ、またそれだけでなく、氷雪種というだけで排除しようとする人に抗いたいと願う「血染めの舞姫」が生まれてしまったのだ。
本来であれば大陸の維持も、氷雪種の意思をまとめる事でさえ、少年一人いれば十分だったというのに。それにも関わらず、ただの気まぐれが二つの相反する存在を生み、一切の乱れすら無かった集合意識を乱している。これ以上乱れるような事があれば、氷雪種と呼ばれる存在は、それぞれの「姫」と少年を中心にして三つに分裂してしまう事だろう。
人と人が争うだけで、この大陸は嘆きの声を上げている。その中で氷雪種までもが乱れ、衝突する事があれば大陸は現状の形を維持する事は叶わないだろう。最悪は人が住めない地獄と化してしまう可能性すらある。
本来であれば、少年は自身が犯した罪を払拭するためにも動き出さねばならない立場にいるのかもしれない。だが、少年の心中はすでに決まっている。
「今回は……協力出来ないよ。ボクは力ある者が導き出す答えを見届けなければならないんだ。その答えがボクの導き出した答えと相違なければ動かない。でも、違うというのなら……ボクは持てる力の全てを使って抗うよ」
世界に対して、最も公平な視点で見つめる傍観者でいる事。
それが少年の決めた道だった。全てを破壊する力を用いて、現在の世界を無かった事にするのではなくて、今を生きる者達に答えを出してもらおうと思ったのだ。
今を生きる者達。
どこか曖昧な言葉を用いたのは、その中に「氷結の歌姫」と「血染めの舞姫」が含まれているからだ。自らで考えて、動きている彼女達はすでに人と何ら変わりはしない。
ならば、彼女達が選ぶ答えもしっかりと見届けようと思うのである。
少年の想いは伝わったのか、伝わっていないのか。それは分からないが、王は納得したように一つ頷いて。
「そうか。ならば……俺は俺で抗うとしよう。どれか一つの国にすがるのではなく、グシオン連合国の民が人らしく生きられるように。決して飢える事無く、許しを請う事もなく……胸を張って生きていけるように。それが我が願いだ」
自らが進む王道を語る。
ドレスティンが先ほど語った自国のみに焦点を置く考え方は、世界規模の視点から見ればどこまでも身勝手に思える事だろう。しかし、一国の王が語る道としてはどこまでも正しいと思う。
だからこそ、少年は王の言葉を否定しなかった。それに彼が正しいというのならば、戦争に勝って、再び少年の前に立つのだろうから。
「その願いは確かに受け取ったよ。でも、ボクは答えを焦らない。君達が進む道を見極めさせてもらうよ」
ゆえに、当たり障りのない言葉を返す事にした。
受け取り方によっては、どうとでも受け取る事が出来る言葉だろう。場合によってはどこまでも卑怯な言葉のように思えるが、少年はこれでいいのだと思っている。世界はまだ悩み、考えながら進んでいく過程なのだから。
そして、それは少年も例外ではなくて。少年は再び石碑へと向き直って、そっと瞳を閉ざす。再び一人で静かに考える続けるために。そんな少年の背後に届いたのは、孤独な王が丘を降りる際の音。雪を踏み固める渇いた音だった。




