第四話 (五)
カストア砦の城門を潜って約三十分。
とある一室に案内されたカイトは、何故か心が騒いで仕方がなかった。
その理由は二つある。
まず一つ目は、案内された部屋があまりにも豪華だったからだ。砦内の一室であるにも関わらず、何故か足に優しい毛皮の絨毯が敷かれていて、部屋の中央には体を埋められそうな程に柔らかな布団が敷かれたベッドが二つ。
極めつけに頭上を見上げれば、煌びやかなガラスの照明がある始末だ。さすがに王族の私室程の広さはないにしても、カイトが暮らしている自室の二倍の広さはあるのではないだろうか。親から引き継いだ家に住んでいるカイトからすれば、まさに夢の空間だった。
正直な事を言うならば、こんな豪華な部屋でただの一般人が寝泊まりしてもいいのだろうか。
だが、この部屋の使用を許可されている少女は――
「……前に来た時よりも豪華になってるな。見苦しい部屋ですまない」
なぜか苦笑いを浮かべていた。
この苦笑いの奥に王とカナデの関係を読み解く鍵があるような気がするが、現状では少々情報が不足しているような気がする。
それに今はもう一つの理由によって、考える事に集中出来ない。
それは単純にカイトが友人と同部屋で過ごす経験が少ないからだ。性別を偽っていた事もあって関わる人間と言えば、仕事絡みかソフィだけだったのである。
そんな殻に閉じこもっていた人間が友人と共に長時間を過ごすとなれば、緊張するのは当たり前だ。これならば、皆と一緒にベッドが等間隔に並べられた大部屋で寝泊まりする方が気楽というものである。
(……誰か助けて)
カナデを嫌っている訳ではないが、居心地の悪さを感じるカイトは胸中で言葉を紡ぐ。
すると、その声が聞こえたとでもいうのだろうか。
「そう緊張するな。何かあったら遠慮なく言ってくれて構わない」
カナデは岩のように固まっているカイトへと、柔らかい声を届けてくれた。薄っすらと微笑んで余裕すら感じさせる彼女は、まるで姉のように見えて心強い。
(家族だと思えばいいんだ。ソフィも……僕にとっては妹みたいなものなんだから)
カナデはお姉さんで、ソフィは妹。そう何度も心中で繰り返す事で、自身にとって都合がいい存在へと思考を切り替えたカイトは、一度深呼吸をしてから漆黒の瞳を見つめる。
すると、不思議な事に今までの緊張は解れたような気がした。これならば、今後も問題はないだろう。
「ありがとう、カナデさん。そろそろ時間だね」
何とか平常心を取り戻したカイトは言葉を絞り出す。
何気ないやり取りを交わしている間にも、約束の時間が近づいていたのだ。
ついでに、フィーメア神国が王への謁見の使者として指定したのは傭兵団を率いているアールグリフと、汚染者であるカイトだ。団長が選ばれるのは極自然だが、カイトが選ばれたのは教皇が推したのもあるけれど、一番の理由はカナデと友好な関係を築く事が出来たからに他ならない。
もはや答えが出ているような会談だが、少しでも自国にとって有利な方向へと事を運ぶための人選である。と言っても、王シュバルツはすでにこちらの人選は予想済みだろう。
そういう意味では、王自らがストラト平原に出向いたのは、こちらの思惑を測るためだったのかもしれない。
(考え過ぎかな?)
どうも他国についてから疑り深くなっていく自身の心。
自然な反応だと言われればそれまでなのだけど、カナデを信じると決めた心は万力で絞められたかのように痛む。その痛みを何とか心中で留めようとした時に。
「カイト……準備は出来たか?」
遠慮がちに扉を叩く音と共に、落ち着いた声が高さ二メートルはあろう木製の扉の外側から聞こえてきた。扉の外側に立っているのは確認するまでもなく、カイトと共に王に謁見するアールグリフだろう。
カイトがまた余計な事を口走りそうになった所で現れた彼は、まさに救世主のように思えて、こっそりと安堵の息を吐く。
「いつでも構わない。今……外に出る」
対するもう一人の部屋の住人は言葉を返すと共に、漆黒のローブを翻す。
カイトの不審な様子には気づいたけれど見なかった事にしてくれるらしい。そんな彼女に内心で感謝しつつ、カイトも彼女の後に続いて歩く。
歩数にして五歩。
本日を過ぎれば、もう二度と足を踏み入れる事はないだろう豪奢な部屋の床を歩いたカイトは、カナデが外側へと開いていく扉の奥を見つめる。
そこには、表情を引き締めたアールグリフが灰色をした岩造りの壁に背を預けて待っていた。どうやら、声を聞いた瞬間に外側へと開く扉を警戒して、下がったらしい。
「早かったな。一服出来るかと思ったのだが」
しかし、実際は警戒したのではなくて、待ち時間に葉巻を吸いたかったようだ。
普段は冷静で無駄な事を嫌うアールグリフだが、習慣性というのか依存症があるらしい葉巻だけは意味がないと分かっていても止められないらしい。それは、どこか完璧な人物に見える団長に対して唯一親近感が持てる部分なのかもしれないが、噂では健康に害があるらしく、カイトとしては心配に思う時もある。
「吸うなら……城壁の上にしてくれ。私はその匂いは好まない」
だが、彼の事をよく知らないカナデにとっては害ある物を好んで吸っているようにしか思えらないらしく、眉根を寄せて刺々しい言葉を発していた。
礼節を重んじるロスティアの騎士は少々潔癖な所があると聞いた事があるが、これは「少々」という度合いを超えているような気がする。おそらく彼女はロスティアという国にいる者の中でも一、二位を争うくらいの堅物だったのではないだろうか。
さすがにそんな事を考える事は失礼に値するのかもしれないが、カイトはそう思わずにはいられなかった。そして、そう思ったのは注意された団長も同じだったようで。
「これは失礼した。八割方の女性は……嫌うものだからな。ここは夜まで我慢するとしよう。さて、話が脱線したな」
アールグリフは胸ポケットに収まっている木箱に伸ばしている手を止めて、岩壁に預けている背を放した。彼の行動は言葉で述べるよりも早く、それでいて正確に意図を伝えたようで。
「そうだな。そろそろ王も退屈してきた頃だろう」
言葉を受け取ったカナデは、皆の案内するように一歩を踏み出す。
その背中を追うカイトとアールグリフが歩いているのは、カストア砦の二階部分。主に砦を任された将軍や隊長、はたまた王族が体を休めるために用意された部屋が存在する階だ。
砦の構造としては三階建てとなっており、城も砦も例外なく上階に上がれば上がる程に位の高い者が居座る事が多い事を考えれば、三階へと上がった先に目的の人物がいるのだろう。
ついでに、城門を潜った一階部分はどうなっているかと言うと。
砦内で応戦出来るように、目を凝らさねば見渡せない程に広々とした空間が用意されていて、その左右には兵が体を休める大部屋と調理場、そして上階へと向かうための階段が設けられている。
領土拡張のために短期間で建てられたと聞いていたけれど、他の砦と遜色はないように思えた。ある意味では前評判と比べて高評価を与える事が出来そうな砦の中で、他の団員達は大部屋のベッドで眠っているか、逆に心配でそわそわしている事だろう。
舞姫の迎撃のために出発したばかりの頃ならば何も感じはしなかっただろうが、今のカイトは頭に浮かぶ彼らの日常を思うだけで頬が緩んでしまう。
(……温かいな)
冷え切った手を暖炉の前にかざした様な温かさを全身に感じたカイトは、力を取り戻した青い瞳を漆黒のローブへと注ぐ。
しかし、瞳を背で受け取った彼女は何も語らずに、黙々と固い岩が敷き詰められた通路を進んでいく。さすがの団長も案内人が黙してしまっては何も話せないのか、手持ち無沙汰になった右手は自慢の顎鬚の手入れをしていた。
黙したカナデと何を考えているか分からない団長を交互に気にしながら、歩く事数分。
ようやく三階へと上がったカイトは、高さ三メートル以上を誇る強大な扉を有する一室を視界に収めた。どこか淡々とした物言いとなってしまったのは、先ほどカナデに案内された一室と規模が同じだったからである。
夢のような空間も二度見ると順応してしまうという事だ。だからこそ、人はさらなる物を欲するのかもしれないが、今は関係ない事だろう。
むしろ、部屋を見ただけで臆する事がなかった事は一縷の救いとなったように思う。
そんな事を考えていると、一度背後を気にして振り返った漆黒の瞳とぶつかった。どうやら扉を開けてもいいのかを確認したいようだ。
当然、迷う必要性を感じないカイトは無言で頷く。それを違える事無く肯定と受け取ったカナデは前方を向いて、金に塗られた取っ手をそれぞれの手で掴んだ。
(いよいよだね)
すでに一度会っているために、さほど緊張はする事はない。
しかし、国の命運が今まさに決まろうとしていると思うと、さすがに外側へと重厚な音を響かせながら開く扉には注目せざるを得ないだろう。もはや視線を釘付けにされた青い瞳が最初に捉えたのは、これまた金に塗られた豪奢な椅子だった。
玉座を思わせる一般人では決して座る事がないだろう贅沢な椅子に座っているのは、先ほど会った時と変わらない足首までの長さを誇る真紅の軍法衣を身に纏っているシュバルツ。この場においては、生も死も彼の一言によって決められる絶対者たる王だった。
皆が視線を集める絶対者は客人が訪れたというのに、組んだ足を崩す事無く――
「よもや俺を待たせるとはな。カナデがいなかったら……極刑に値する所だ」
ワイングラスを片手に苦笑交じりに呟いた。
おそらく本気で言っている訳ではなくて、彼なりの冗談なのだろう。それはカナデがこっそりと溜息を吐き出した事で分かる。
どこまでも自分の歩みを崩さない王と、世話焼きの女性騎士。
相性が良いのか悪いのか疑問に思ってしまうけれど、ただ見ている分には退屈しない二人だった。
だが、そんな彼らの様子に解されて甘い交渉をする訳にはいかないカイトは、緩みそうになった頬を引き締めて。
「王を待たせた事は――ここに謝罪致します」
まずは当たり障りのない謝罪の言葉を返すと共に頭を垂れるカイト。
これから交渉に入る団長が頭を下げる訳にはいかない事を考えれば、自身の頭など安いものだ。そう考えたカイトであったが、異国の王がどんな言葉を返すのかは予想も出来なかった。
しかし、その答えは一秒の間もなく返ってくる。
「よい。それよりも……さっそく今後の事を話そうではないか」
どうやらこれ以上他愛もない冗談を交わすつもりはないらしく、さっそく本題へと移行したいようだ。言うならば、先ほどまでのやり取りは挨拶のようなものだ。
その事実に安堵したカイトは、そっと右隣で様子を窺っていた団長を見上げる。
すると、アールグリフは視線に気づいたようで、一度全身を包み込むような茶色の瞳を向けてくれたが、すぐに交渉のために一歩を踏み出した。
そんな彼の背を見つめるのは二つの瞳。
ようやく案内役の役目から解放されたカナデの瞳と、共に交渉へと挑むカイトの追うような瞳だ。しかし、いつまでも団長の背を見つめている訳にもいかないカイトは、一度痛いくらいに両腕の拳を握り締めて歩み出す。
きっかり三歩進んだ瞬間に響き渡ったのは、重厚なる音色。
カイトとアールグリフを見送ったカナデが背にある扉を閉めたのだろう。これで「逃げ場」はない。総勢一万の大軍の懐に飛び込んでいる時点で逃げ場などは存在しないが、ここに来てその事実を叩きつけられたような気がする。言うならば、牢屋にでも閉じ込められた気分だった。
実際に牢へと放り込まれた経験はないけれど、そんな幻覚が見えてしまう程に追い詰められたカイトは団長の陰に隠れるように左隣に立って、そっと彼のコートの裾を握り締める。
団長もシュバルツも気づいてはいるのだろうが、そこだけは見なかった事にしてくれたようだった。もはや何のためにいるのか分からないカイトだったが、二人は恐怖に縛られた者を待ってはくれなくて。
「交渉すらしていないというのに……兵数一万を用意していただき感謝致します」
さっそくアールグリフが本題へと触れた。
その瞬間、今の今まで座っていたシュバルツはゆっくりと立ち上がる。それと共に片手で弄んでいたワイングラスは、王の眼前にある円形のテーブルへと置かれた。
どうやら横柄な王から、兵の命を預かりし者へと思考を切り替えたらしい。
「感謝の言葉を伝えるべきは……貴殿達が『魔女』と呼んでいる女王に送るべきだな。俺は彼女の命令に従って動いているに過ぎん。まあ、そうは言っても聖王国ストレインと我が国は一蓮托生――繁栄も滅びも同じだろう。和平を求める使者の首すら刎ねる愚かしい国が頭を垂れるまではな」
そんな王が紡いだ言葉は、どこまでも冷たかった。
今までの飄々としていた姿は幻であったかのような変わり様に、頼りない体は一度身を震わせる。そんな弱い自身を叱咤したカイトは右手で掴んでいる団長のコートを、さらに強く握り締めて。
「使者の首を……刎ねた? それは本当ですか?」
人として問わねばならない事を問うた。
戦争をしているとしても最低限の決まりというものはある。その中でも和平を求める使者は別格だ。共に歩もうと願う者を斬ったとあらば、その情報は瞬く間に他国の王へと伝わり、外交は断絶してしまう事だろう。
聖王国ストレインをどうにかして挑発したかったのだろうが、その見返りがあまりにも少ない事は素人でも分かる事だ。ならば、その裏に何かがあると言うのだろうか。
それを確認するために訊いてみたのだ。
「ああ、本当だ。フィーメア神国の教皇か……または将軍ならば、すでに知っているだろうな。この件については、さすがの俺も度肝を抜かれた。ストレイン、ルスト、リシェスの兵をかき集めても兵数三万が集められるかどうかという現状を考えれば、総勢五万もの大軍を保有するグシオンは一歩秀でている。しかし、こんなあからさまな挑発をする意図が読めん。これでは一刻も早く戦争がしたいと大陸中に周知するようなものだ」
すると、シュバルツは舞台の上でセリフを述べるかのように淀みなく言葉を紡いだ。
彼の述べた事を言い換えれば、グシオン連合国は作物の実らない大地から一日も早く出たいと公言したという事だろう。そして、その手段として選ぶのは侵略のみ。
仮に作物を送って同盟を結ぼうとしても、グシオン王はその提案を拒む事だろう。圧倒的な兵力で豊かな土地を得る事が出来るならば、わざわざ他国に媚びへつらう必要がないからだ。だからと言って、隣接する全ての国と敵対するというのは、いささか度が過ぎると思うのはカイトが幼いからだろうか。
いや、そんな事はないのだと思う。
もしカイトがグシオンの王であるならば和平を求めた聖王国と同盟を結んで、フィーメア神国かクエリア神国に侵略する事を選ぶと思ったからだ。わざわざ敵を増やすだけでしかない、使者の首を刎ねるなどという行為はしない筈だ。
しかし、これは戦略などというものとは縁遠い所にいる一般人の考えでしかなくて。
(……さすがに分からないよね)
幾ら考えても答えが出ないと悟ったカイトは、とりあえず思考を中断する。こんな中途半端な所で止めたのは大人二人の会話を聞いていれば、自ずと答えに近づけると思ったからだ。
「グシオンへと住民として潜んでいる者の話では……五年程前から深刻な食糧不足が進んでいるという話だ。その不足分を補うために機を見ては南下しているといのだから恐れ入る。今回の行動もその延長線と言う事だろうな」
そんなカイトの考えを肯定するかのように、口火を切ったのはアールグリフ。
だが、言葉を受け取ったカイトの胸中に浮かぶ疑問は深くなるばかりだった。深刻な食糧不足が進んでいるというのに、なぜ数万と言う軍勢で戦をする事が出来るのだろうか。
確かに侵略した土地で食料を確保するという手段はある。
しかし、そうだとしても限界があるように思ったのだ。無知は罪だ、そう語る者がいるが今ならば素直にその言葉を受け取れるような気がしたカイトは、小難しい顔をして難問へと挑んでいく。
「延長線か。ずいぶんと舐められたものだ。と言っても、南下を防ごうとした無数の諸国は極短期間で滅ぼされたというのだから油断は出来んがな。今思うと……同じ聖王国で争っていた頃の自身が愚かしく見える」
そんなカイトを見かねたのか、立ち上がった王は説明を加えながらも胸の内を語った。
その語りは、まるで自身の過ちを曝け出しているようで。教会で神へと懺悔する信徒のように見えた。
そう思えるのは、王の表情がどこか悲しげだったからだろう。
「人は過ちを犯すものだと思います。でも……それでも、人は再び正しい道を歩む事が出来ると思うんです。相手は……僕が思っているよりも遥かに強大な相手なのかもしれないけど、皆で挑めば止められます。人は争う生き物だけど、想いを繋ぐ事も出来るから」
その悲しみを受け取ったカイトは、平和を願うソフィならばどう考えるのかを頭の片隅において言葉を届ける。今は謁見をする使者の一人でもあるけれど、ソフィの気持ちを伝える「代弁者」でもあるのだから片時も忘れてはいけない事だろう。
結果としては無視されるか、鼻で笑われるか。
そのどちらかになるのだろうが、ソフィはどれだけ笑われようとも想いを伝える事を諦めはしないだろう。ならば、彼女の姉であるカイトが諦める訳にはいかないのだ。
「――数多の想いを繋いで、ただ分かり合えますように。カナデの手を伝わって流れてきた想いの一つだな。当時の俺ならば鼻で笑っていただろうが……その想いに救われた身としては無下には出来んな」
しかし、意外にも返ってきたのは肯定の言葉だった。
一瞬、聞き間違えかと思ったが、先ほどまで物憂げな表情をしていた王は薄っすらと微笑を称えている所を見ると、幻聴の類ではないらしい。
(伝わるんだ……)
自身で述べた言葉だが、伝わったことが信じられないカイト。
おそらく今のカイトは口を半開きに開けて、どこか間の抜けた顔をしているだろう。そんな情けない顔を自身で見ずに済むのは、正直ありがたい。
本来であれば、乗り気になった王へと畳み掛けるように言葉を返さねばならないのだろうが、今は自身の内面を整理するだけで手一杯だった。
そんなカイトを支えてくれたのは――
「では、カストア砦に待機している兵を派遣していただけると? だが、一万程度の手勢ではグシオンを止める事は不可能という事は理解頂きたい」
しばらく二人の会話を注意深く聞いていたアールグリフだった。
冷静な彼の事だから、自身が言葉を挟む機会を待っていたのだろう。
「それは俺も女王イリフィリア・ストレインへと伝えた。だが、彼女はさらなる援軍を――ストレインの兵をも派遣すると言って切り返してきたがな」
だが、用意がいいのはどちらかと言うと聖王国の側だった。
不敵に笑うと共に答えたシュバルツ・ストレインの言葉を信じるならば、聖王国は形だけの援軍ではなくて、グシオン連合国に勝利するつもりでいるのだから。心中で事態を飲みこんだカイトは驚きを通り越して、関心すらしてしまった。
しかし、それはカイトだけではなかったようで。
「ルストと……ストレインが動く。守りはリシェス共和国に任せるのか?」
何とか状況を確認する問いを投げ返す事が出来た団長の声は、震えているような気がする。その震えの正体は歓喜なのか、それとも恐怖なのか。知りたいような気もしたけれど、知らない方がいいような気もした。
だが、団長が何を思っているのかを確認する前に事態は一歩前進する。
「ああ。我らの女王様はリシェス共和国を信じるつもりらしい。と言っても、リシェス共和国は我らを守らざるを得ないのだがな。状況は理解したか?」
団長の言葉を受けたシュバルツが問いへと答えたからだ。
表情はそのままに常に余裕に満ちた受け答えをする王は、嘘を述べているようには見えない。魔女と呼ばれ恐れられている女王は、ただフィーメア神国のために兵を北へと派遣してくれるらしい。おそらく使者として、この場に立って話を聞かなければ冗談に聞こえてしまうかもしれないが、これは現実に起こり得る事。
つまりは、後はフィーメア神国の動き次第では十分に活路を見いだせるという事だ。
「十分だ。貴殿の話は筋が通っている。後は我ら次第という事になるが……そちらは自身の力で切り抜けるとしよう」
どうやら団長も同じ事を考えていたらしく、王へとフィーメア神国が歩む道を明らかにする。フィーメア神国の代表たる教皇が述べた言葉ではないが、この場で述べた言葉は国の総意として受け取られる事だろう。
言うならば、団長は今ここでクエリア神国を滅ぼすと宣言したようなものだ。
「そうか。俺達が北に進軍したとしても……グシオン連合国はまだ動かせる手勢がいよう。最悪はクエリア神国と一戦交えた後に、グシオン連合国と戦う事になるだろう。それでも屈せず抗うと言うのならば止めはしない。だが、俺は争う以外にも道はあると思うがな」
揺るがない宣言を受け取ったシュバルツは、浮かべていた笑みを消すと。
物憂げな表情を浮かべて、友に別れを告げるかのように寂しげに呟いた。どうやら時間にして十分程話しただけだというのに、彼はカイトとアールグリフを心配してくれるらしい。
ただの一般人が彼を見たならば、王という立場にありながら感情的過ぎると思うのかもしれない。だが、「もの」に触れる事が叶わない汚染者は人に飢えている。
肌が触れ合う温もりを、心を満たす温かさを常に求めているのだ。それが痛い程に分かるカイトは彼を否定する事は出来なかった。
だからこそ、カイトは穢れを知らない青い瞳を、飢えた獣のようにぎらつく赤い瞳へと重ねて。
「ソフィと僕は諦めないよ。生きる事も……分かり合う事も」
自然と心に浮かんだ言葉を紡いだ。
練りに練った飾った言葉よりも、今の彼には心に近い言葉の方が伝わると思ったのである。直感的にそう思っただけなのだが、カイトの判断は間違っていなかったらしく。
「その言葉を聞ければ十分だ。むしろ、ただの交渉だけで終わるのであれば何の意味も成さなかっただろうからな」
明らかに言葉足らずであったにも関わらず、同じ汚染者たる王の心には確かに届いたようだった。そう判断したのは、先ほどまで浮かべていた物憂げな表情は幻であったかのように消えていたからだ。
代わりに浮かべていたのは、人懐っこい柔らかい笑顔。
カイトよりも年上である筈なのに、なぜだか幼い少年のように見えてしまう。見方によれば、どこかあどけなさすら感じさせる笑顔をシュバルツは浮かべていたのだ。
その笑顔を見る事が出来ただけで、カイトが使者として派遣された意味はあったのだと思う。ソフィが望むのは、彼が浮かべるような笑顔を世界へと広める事だからだ。そういう意味ではカイトはソフィの「代弁者」としての役割を一つこなす事が出来たと言えるのかもしれない。
もしそれが正しいというのならば、カイトは飛び跳ねて喜びたい所だ。
そんなどこまでもお気楽な事を考えていると。
「――どうやら私は必要なかったらしいな」
右隣から苦笑交じりの言葉が届く。
頭上から降り注いだ声に導かれて視線を送ると。そこには子供の成長を見守るような温かな視線が確かに存在していた。どうやら父親代わりを務めてくれている彼は、カイトの第一歩を祝福してくれるらしい。実際は団長がいなければ震え上がって、何も述べる事は出来なかったというのに。
それでも彼は震えながらも想いを届けたカイトを認めてくれるらしい。
(……優しすぎるよ)
団長も交渉の相手である王も優しすぎるとカイトは思う。
だが、この優しさが世界中に広まればソフィが成そうとしている事は必ず達成出来るだろう。いや、そうであるに違いないとカイトは強く、強く信じたいと思った。
その想いを込めた青い瞳は刹那の時間煌めいて。
「皆、必要なんだよ。この世界にいらない存在なんていないから」
確かな言葉を団長へと返す。
自身の成果を驕る事無く、共に歩む事で成し遂げていく。それがカイトの進むべき道だと思ったからだ。
言葉を受け取った団長はもはや語る必要はないと判断したらしく、黙して一つ頷いてくれた。共に歩めば歩むほどに絆を強くしていく二人。
そんな二人を苦笑しながらも見守ってくれたのは、昨日までは敵と認識していた王だった。




