第四話 (四)
マベスタの森を南へと抜けて、約二時間。
短い草が生い茂るストラト平原を黙々と南下するのはカイト達だった。その道筋は案内役であるカナデがいるにしても至って順調で、団長の一声で緊迫していた事が馬鹿らしく思える程だった。
と言っても、さすがに自らを代行者と名乗った少女を信じきっている者はカイトしかおらず、時折窺うような視線を背後から感じるのだけれど。
(視線……気にしないのかな?)
同じ組織の一員であるカイトでさえ気になるのだ。
部外者という言葉を使うのが正しいのかは分からないけれど、ただ一人だけ所属が異なるカナデは晒し者となったような気分なのではないだろうか。生じた疑問はカイトの中で時間を置く度に深くなっていき。
カイトが気づいた時には、共に先頭を進む彼女の端正な横顔を見つめていた。
「――なんだ?」
すると、カナデは視線に気づいたらしく、漆黒の瞳を向けると共に問いを放った。元はロスティアの騎士だったという事もあってか、気真面目な彼女は不必要な事は話さない。
そんな彼女が口を開いたという事は、それ程までにカイトは彼女の横顔を見てしまったのだろうか。仮にそうだと言うのならば、それはそれで恥ずかしい気がする。
だが、今はそれよりも問いに答える方が先だろう。
そう判断したカイトは――
「視線……気にならないの?」
隣を歩く彼女へと小声で話し掛けた。
目測で三歩後方には団長が歩いているが、おそらく聞こえる事はないだろう。最悪聞こえたとしても問題がある訳ではないのだけど。
そんな事を考えながら、しばしカナデの言葉を待っていると。
「気にならないと言えば……嘘になるな。だが、数時間前に会った人物を易々と信じるという事はないだろう。カイト達の反応は……正常だと思っている」
腰に右手を当てた彼女は溜息交じりに言葉を返してくれた。
やはり気にはしていたらしい。だが、わざわざ事を荒立てるつもりはないという事だろう。その事実に安堵したカイトは話題を変えるために視線を彷徨わせる。これ以上余計な事を述べて、場の空気を悪くしないためだ。
そんなカイトの気持ちに気づいたのか。
「あれが……カストア砦だ」
隣を歩くカナデは視線を前方へと戻して、目的地の一つである施設の名を口に出した。
何気ない一言ならば無視されただろうが、さすがに防衛の拠点とされている施設の名前が出た事で、皆の視線はカナデから一つの砦へと注がれていく。
それはカイトも例外ではなくて。高さ十五メートルはあろう石造りの城壁によって、円形に囲まれた堅牢なる砦を見つめていた。
確認せずともあれが、カストア砦だろう。聖王国ストレインとルストはストラト平原で激突したために、ほぼ無傷な状態でそびえ立つ砦は、ただその場にあるだけで見下ろされているような威圧感がある。
だが、その威圧感を凌駕する「もの」が眼前へと広がっていた。当然ではあるが、その威圧感を感じたのはカイトだけではなくて。
「これは……どういう事かね?」
今の今まで無言を貫いていたアールグリフが、皆を代表して案内役へと確認していた。
皆の命を預かる身であるためか、その声はどこか固くて苛立ちにも似た感情が込められているような気がする。
普段は冷静な彼がここまで感情を露わにする「もの」とは一体何なのか。
それは一言で説明するならば、軍勢だった。おそらく万を超える騎士が、兵を横三列に並べる横隊と呼ばれる陣を組んで待ち構えていたのだ。
彼らは石像のように身を固めて、微塵も動く気配はない。だが、あの兵団が一度動き出せばカイト達など数分で駆逐されてしまう事だろう。その恐怖に抗う事が出来たのは数秒で、生唾を飲み込んだカイトは無意識の内に一歩退いていた。
そんなカイトを追ったのは漆黒の瞳。
だが、案内役である彼女の瞳はカイトではなくて、その後方へと注がれているような気がする。おそらく代表として問いを放ったアールグリフを見ているのだろう。
「数刻前にも述べたが……私は貴殿達と戦う意思はない。そして、騙し討ちの類は――」
「答えになっていない。あれは……何だと聞いている」
しばし視線を交わしていた二人だが、先に口を開いたのはカナデ。
だが、要領を得ない返答に不信感を強めたアールグリフは彼女の言葉を遮った。声を荒げなかった所はさすがだと思うが、彼が握った手は微かに震えている。もしかすれば、団長も単身で現れたカナデを、どうにか信じてみようと思っていたのかもしれない。
だが、築いた信頼はものの数秒で粉々に砕けてしまう事もある。今回で言えば、眼前に展開している軍勢を見た瞬間に「裏切られた」と思ってしまう者もいるだろう。そうは言っても、これが戦争だというのならば致し方ないのかもしれない。
しかし、そんなカイトの考えは数瞬で否定される。
「あれは出迎えだ。女王イリフィリア・ストレインがフィーメア神国のために用意した兵と言えば分かるか? 総兵力は一万だ」
今まさに疑いの視線を向けられている少女によって。
だが、カナデが発した言葉はすんなりと心へと沁みる事はなかった。頭では理解できたのだが、その内容が信じられなかったのである。それは言うならば、即座に飲み下したいけれど、喉へと詰まって、なかなか飲み込めない感覚に近いような気がする。
それは団長も同じだったのか――
「馬鹿な! 交渉もせずに一万も……? いや、だがそれだけでは足りん。兵を無駄死にさせるつもりか!」
珍しく声を荒げて、カナデへと詰め寄る様に歩を進めた。
五倍強の国力を誇るグシオン連合国に一万で挑むというのだから、援軍だとしても少ないという事は理解出来る。何か策があるのだとしたら話は違うのだろうが。
浮かぶ疑問を解決するために、皆が一人の少女へと視線を送る。
その視線をたった一人で受け止めたカナデは、再び信頼を取り戻すために口を開く。
「無駄死にさせるつもりは――」
「こんな平原のど真ん中で話す事はあるまい。城のように小奇麗ではないが……二百名程度ならばくつろげるだろう」
だが、カナデの言葉は、どこか横柄な言葉によって遮られる。
頭が追いついていない中での突然の乱入者。その人物へとカイトは慌てて視線を送る。
まず目を引いたのは、眩しいばかりに輝く金糸をあしらったロングコートに似た真紅の軍法衣。その衣服だけを見れば美しさすら感じさせるのだが、その法衣に包まれし人物は一言で言うならば野蛮な獣だった。
腰まで伸ばされた茶色の髪は、後ろだけでは飽き足らず、前方の両目にまで掛かっていて、その髪から覗くぎらつく瞳が餓えた獣を思わせるのだ。だが、彼を「獣」などと呼ぼうものなら命はない事だろう。
なぜかと言えば、彼は聖王国ルストの王――シュバルツ・ストレインだからだ。つまりは、カイト達が会って説得しなければならない、その人である。
そこまでを脳内で処理したカイトは驚きのあまりに目を見開くだけでなく、数歩後ずさってしまった。しかも、恥ずかしい事に意図せずに下がった事で態勢を崩し、平原に尻餅をついてしまうという醜態を晒してしまう。さすがに状況が状況だけに笑い声が上がらなかった事は唯一の救いだったけれど。
それを説明するように、カイトを気にする余裕がないアールグリフは、もはやルストの王しか眼中にないらしくて。
「ルストの王だと? 申し訳ないが……状況を説明していただきたい」
案内役であるカナデから、王へと視線を移して言葉を紡いだ。
「そうだな。さすがにこの状況は予測出来ないだろうからな。カナデ……こいつらを砦に案内して欲しい」
すると、団長の提案を了承した王はカナデの背中へと一声掛けた。
「案内しろ」という命令ではなくて、なぜか彼女へと「お願い」するような言い方である事に内心で首を傾げるカイトだったが、この辺りの事情には首を突っ込まないのが賢い選択だろう。
そんな無駄な事を考えている間に。
「分かった。一時間後に……代表二人をそちらに向かわせればいいか?」
「構わん。人選はフィーメア神国側で決めてくれ」
一言二言を交わした二人は、それぞれの行動に移っていく。
王シュバルツは役目を終えたと言わんばかりに砦へと踵を返して、指示を受け取ったカナデは案内役の役目を続行する。これから彼女に続いて砦に行くのかと、おぼろげながら思っていたカイトだったが。
「いつまで……そうしているんだ?」
呆れたようなカナデの声が頭上から降り注いだ事で、徐々に覚醒していく。
てっきり団長の元に向かうと思っていた彼女は、尻餅をついたまま固まっているカイトを見かねて手を差し伸ばしてくれたのだ。助けなど借りなくても難なく立ち上がる事は出来る。
だが、差し伸ばされた助け合いの手は、再び絆を結びたいと願っているように見えた。確かな絆は決して裏切らない信頼へと変わっていく事を、カナデはよく知っているのだろう。
「――ごめん」
そんな彼女へと返したのは謝罪の言葉だった。
何について謝罪したのかと言えば、当然一瞬でも彼女を疑ってしまった事だ。カナデを心から信じていれば、自身が死ぬかもしれない、あの場面でも信じる事が出来た気がしたのだ。
カイト達は自身が不利になった瞬間に裏切られたと思ってしまったが、先に彼女を裏切ってしまったのはフィーメア神国の側なのだ。それが情けなくて、恥ずかしい。
まさに合わせる顔がない状況だった。
「構わない。また……こうして共に歩めるのなら」
だが、そんなカイトすら彼女は受け止めてくれた。
心を落ち着かせる柔らかい笑みを浮かべたカナデは、ただ差し出した手が繋がれる事を待っていてくれたのだ。その想いに応えたいと思ったカイトは、そっと自身の右手を伸ばしていく。
次の瞬間。
再び繋がれたのは白と黒。
お互いの存在を象徴する革の手袋は一度引き締まった音を奏でて、お互いの内から生じる確かな熱を伝え合う。お互いに共に歩めることを祈り、それでいてこの想いが世界へと広がる事を願っている二人。
友の代行者たらんとする少女と、大切な家族の代弁者となるために異国へと来た少女。目的も想いも異なる二人だが、根っことする部分は同じなのだと思う。
そうは言っても確信はない。それでも、カイトを引っ張り上げてくれたカナデを信じたいという気持ちは偽りではない。
そして、カナデも同じ想いなのだと信じたかった。
だからこそ、カイトは繋がれた手に確かな力を込めて――
「次は信じるよ。何があっても」
心に浮かんだ言葉を伝えた。
もっと適した言葉が他にあるような気がするけれど、これがカイトの精一杯だった。
「ならば、私も信じよう。一人の騎士として……そして、一人の友として」
だが、精一杯の言葉は、いや、精一杯の言葉だったからこそ彼女の心へと届いたようで。カナデはカイトと同じ力で握り返してくれる。
それが嬉しくて、また誇らしく思ったカイトは小躍りしたくなる程に弾んだ心を必死に抑えたのだった。




