第四話 (三)
カルティシオン大陸の北東に位置するクエリア神国。
低山を利用して作られた国家の頂上に位置する神殿にて。
「いつまで待てばいいのですか!」
感情のままに声を張り上げたのはキルアだった。
普段は神が体と心を休める神聖な場所であるために、耳が痛い程の静寂が埋め尽くしている神殿。だが、今はキルアという若さが溢れた者によって、俗世の街並みを思わせる騒がしい場所と成り果てている。
「頭に響くから……そう叫ぶな」
しかし、それを良しとしない我らの神である「血染めの舞姫」は、岩造りの台座に腰を降ろしたまま言葉を返した。そんな彼女の人形のように整った表情は苦渋に満ちていて、神というよりは一人の少女を思わせる。だというのに、戦いとなれば人が変わったように冷たくなるというのだから「人」というものは分からないものだ。
しかし、今はそんな事はどうでもよくて。
「先日の戦いにおける負傷者の手当ては終わりました。もう一度――フィーメア神国を攻めましょう!」
今すぐにでも飛び出したいキルアは立て続けに叫ぶ。
当然ではあるが、舞姫が首を縦に振るまで叫び続けるつもりだ。そうでもしなければ、この胸を焦がす程の怒りが収まる事はないのだから。
傍目から見れば舞姫に八つ当たりをしているように見えるのかもしれないが、自身でも未熟だと感じている心は止まってはくれなかった。
だが、それを見かねた者は当然存在していて――
「そこまでだ、キルア。気持ちは分からんでもないが……少々口が過ぎる。お前が叫び声を浴びせているのが誰であるのかを――もう一度考えたらどうだ?」
キルアの左隣に立ち尽くしている男は腕を組みながら、淡々と言葉を吐き出した。
その声には感情が込められていないような気がするが、普段よりも口数が多い事を考えると内心では「何か」に怒りを感じているのだろう。その怒りの矛先は自身すら制御出来ないキルアに対してなのか、仲間を殺したフィーメア神国の騎士達に対してなのかは分からない。
しかし、彼のようになりたいと、そう密かに思っているキルアは口を閉ざす事しか出来なかった。彼とは真逆の行動を取っていれば、近づく所か逆に遠ざかってしまうと思ったからだ。
そんなキルアの想いを知ってか、知らずか。
「その辺りにしておけ。キルアはまだまだ若いのだから……これくらいでいい。だが、何も答えないというのは、少々拙いか」
話題の中心である舞姫は言葉を紡ぐと共に、台座から優雅に見えてしまう程にゆっくりと立ち上がった。ついに我らの神が動くのかと、キルアは一度漆黒の瞳は輝かせる。
だが、その期待は数瞬で砕け散ってしまう。
「北のグシオン連合国と動きを合わせるのか?」
期待を粉々に破壊せしめたのは、姿勢はそのままに確認の問いを投げた彼だった。
どうやら説明など受けずとも大よその流れは把握しているらしい。それだけ世界を見る目があるという事なのだろう。キルアは彼の名前も素性も知らないのだが、もしかすればどこか異国の将か貴族だったのではないだろうか。
若干、そうであって欲しいという願望も含まれているが、自身の考えはそう遠くはないとキルアは思う。そうでなければ、国の動きを言い当てるなどという芸当は出来ないのだから。そんな彼に対して、我らの神はどう答えるのか。キルアは今の今まで忙しなく動いていた口を引き結んで絶対者の言葉を待つ。
すると。
「そうだ。こちらの意思は伝えてある。私達は……ただ復讐したいだけだとな」
我らの神である舞姫は、彼へと真紅の瞳を向けると共に心の内を語ってくれた。
(復讐か……)
指導者の口から「復讐」という言葉が出てしまうというのは冷静に考えれば問題だとは思う。だが、その短い言葉に込められた「負の感情」がキルア達を突き動かす唯一のものだ。
全うな人間から見れば、どこまでも歪んでいると思うだろう。しかし、仮にそうだとしても復讐以外に生きる道を知らないのがクエリア神国の者達なのだ。
そして、ついにその機会が訪れようとしている。しかも、強国であるグシオン連合国と共に憎き教皇と戦えるというのだから、これ以上の舞台は他に存在しないだろう。
その舞台上で一人の兵士という役を演じきった際の末路がどうなるのか。それは考えるまでもなく理解出来る。皆、復讐の果てに明るい未来など存在しない事も、己に死が振りかかる事もすでに理解しているのだから。
僅か数秒で覚悟を決めたキルアは――
「それなら……待ちます。どれだけでも待ち続けます」
進む道を決めた舞姫の真紅の瞳をしっかりと見つめて、言葉を紡いだ。誰に何と言われようともキルアだけは、ずっと共にあると伝えるために。
そんな迷いのない真っ直ぐな瞳を受け取った舞姫は――
「そうか。私としては……お前のような者をここまで導いてしまった事を後悔しているよ」
全てを射抜く事が出来るのではないかと、そう思えるような強き瞳を薄っすらと湿らせていた。一瞬見間違えかと思ったキルアだが、舞姫は現在も両肩を震わせながら、内から漏れ出るものを必死で堪えているように見える。
その姿は祀られている神ではなく、一人の弱々しい少女を思わせた。
――強くあろうと、皆の神であろうと。
ただ想いを受け止める器たらんとする少女がその場にいたのだ。
(……なんだろう? この気持ち?)
神として崇めるだけだった存在が初めて見せた人らしい弱さを瞳に収めたキルアは、内から湧き出る気持ちの正体が分からなかった。理由は分からないが、いつもよりも頼りなく見える両肩をそっと抱きしめてあげたいと思ったのだ。
しかし、正体の分からない気持ちに従って動く訳にもいかないキルアは、内に浮かんだ疑問を霧散させていく。今やるべき事は、自身が信じる神に言葉を返す事だと思ったからだ。
「僕は望んでこの場所にいます。だから後悔する必要はありません」
と言っても、返したのは否定の言葉だった。
キルアがクエリア神国に所属しているのは個人的な理由で、舞姫が原因では無い事を分かって欲しかったからだ。確かに舞姫が保有している人外を超えた力には、無意識の内に頼ってしまう事はある。
しかし、仮に彼女がいなくてもキルア達は戦い続けたと思うのだ。敵わないという事は分かっていても、ずっと抗い続けたと思う。
ならば、彼女が気にする事などは何もない。ただ自身が歩みたい道をひたすらに進めばいいのだ。その想いは伝わらないと思っていたけれど。
「そうか。お前は優しいのだな。ならば、共に来てくれ。叶うならば……ずっと」
どうやら舞姫は想いの一端を理解してくれたらしく、瞳を閉じると共に言葉を返してくれた。それもキルアにとっては最も欲した言葉を送ってくれたのだ。
憧れと崇拝。そして、新たに生まれた熱い気持ちを強く、強く感じたキルアは何を言えばいいのか自然と分かったような気がして。
「ずっと……この命が枯れ果てるまで」
心に浮かんだままの言葉を内から外へと解き放つ。
数多の想いが内で暴れていて、何が本当の気持ちなのかは分からない。それでも、彼女と共に進みたい気持ちは本物だったからこそ、紡ぐ事が出来た言葉なのだと思う。
結果としては、言葉を受け取った舞姫の表情は特に変化する事はなかった。それでも、湿った瞳はすでに渇いており、再び一つの目標のみを見ているような気がする。
キルアの言葉が励ましになったと思う事は傲慢に思えるかもしれないけれど、少しでも力になれたならば良かったと思う。そして、叶うならば神として祀られた少女の瞳が二度と曇る事がないように、そう願わずはいられないキルアだった。




