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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第二部 もう一度あなたを抱きしめたくて
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第四話 (二)

 カイトの青い瞳に映ったのは、針のように細い葉だった。

 それはフィーメア神国から西へと三時間程進んだ先にある、マベスタの森と呼ばれる森林地帯に生茂る木々から落ちた何気ない葉だ。

(……これが緑か)

 しかし、雪原地帯に囲まれたフィーメア神国に住む者にとっては、緑豊かな自然は珍しくて。ついつい魅入ってしまうカイト。

「足元に……特に幹には気をつけた方がいい」

 そんな好奇心旺盛な少女を見かねたのは、当然アールグリフだ。

 関わってから何度目かの溜息を吐き出した彼は、いつでもカイトを支えられるように半歩程離れた距離を維持していた。いろいろと気にしてくれるのは嬉しいのだけど、さすがにここまで来ると病気ではないだろうか。

 しかし、子育てというものを経験した事がない団長は、カイトの世話をする事が生きがいのようなものとなっているようなので、そう邪険には出来ないだろう。

 それに、まだ国境線すら超えていないのだ。

 自国内で足を取られて、おめおめと帰国するのは一生の恥だろう。先ほどから視界に映る未知なる景色は大変興味深いけれど、今は前方を見るべきだろう。

「分かったよ。あと……何時間くらい歩けばいいの?」

 内心で決意を新たにしたカイトは、木目が比較的真っ直ぐな木々を避けながら隣へと問う。過去に聖王国へと使者として出向いた事がある彼ならば、ある程度正確な時間が分かると思ったのだ。正確な時間とは地図上の時間という意味ではなくて、総勢二百名という人員が周囲を警戒しながら進んだ際の時間だ。

 この問いに正確に答えるためには部隊を率いた豊富な経験と、実際の地理に詳しくなければ不可能だろう。

 そういう意味では難問に思える問いだが――

「ふむ。南に一時間半を要して森を抜け……ストラト平原をさらに二時間程南下すればカストア砦が見えるだろうな。本日はそこで休ませていただこう」

 彼は無表情のままで、澱みなく答えた。

 あまりにも返答が早いために適当に答えたのではないかと思ってしまうが、嘘を言うような人間ではないためにカイトは自然と信じてしまう。そうは言っても、ある程度の誤差があっても目に見えた支障はないのだろうけれど。

 そんな事を思っていると。

「問題があるとしたら……私達を快く思わない者がいて、奇襲を仕掛けてくる可能性がある事。または砦に辿り着いた瞬間に捕らえられてしまう事だろうな」

 安心して気が緩みかけた者を叱咤するようなアールグリフの声が上がった。

 周囲を警戒しているためか、木々で羽を休めている小鳥達の鳴き声さえ鮮明に聞こえる中で発せられた一言は、瞬く間に二百名の傭兵達へと伝わる。

 その瞬間にカイトは言葉では表現出来ない寒気を感じた。空を覆う木々のせいで天候ははっきりと分からないが、雪は降ってはいない。つまりは、震える程の寒さではないにも関わらずカイトの体は震えていたのだ。

 自身の歯が重なり合う耳障りな音を聞いて、灰色のコートを抱き寄せたカイトは警戒の瞳を素早く左右へと走らせていく。

 だが、地を覆う葉が擦れる音も、森に住む動物の影すらも感じる事はなかった。

(……団長が脅かすから)

 勘の良い団長の事だから敵を察知したのかと予想したが、どうやらそんな事はなくて。ただ皆の心を引き締めるために述べただけらしい。

 ついでに、カイトを襲った寒気の正体は傭兵達が放った殺気だ。カイト同様に周囲を警戒した際に走らせた視線が掠ったのである。

 味方すら恐怖させる殺気を放つというのはどうかと思うのだが、今は彼らを頼もしく思う事にしたい。それよりも重要な事は、団長が述べた事だ。

(使者として出向いて……捕まったら終わりだよね)

 国の代表として派遣されたとしても、笑顔で出迎えてくれる事は稀だ。それくらいの事は外交の経験がないカイトでも容易に想像出来る。そもそもフィーメア神国と聖王国ルストは国交がない。

 言わば敵と言っても過言ではない関係なのである。もしかしたら、団長が述べた事は脅しではなくて真実なのではないだろうか。

 そう思うと葉を踏みしめる両足は鈍ってしまうが、カイトはそんな自分を叱咤する。自身の命よりも大切な人が頼ってくれたのだ。実際に訪れてもいない恐怖に負けて立ち止まる訳にはいかない。

 その想いは鈍った両足へと伝わって、カイトの体を前へ前へと押し進めていく。感情的になると列など気にせずに突き進んでしまう癖があるのだが、これだけは治る事はないと思う。

 そんなカイトの背中に注がれるのは皆の瞳。

 皆が皆、内なる恐怖と戦って前を向いた瞬間に身勝手に進む背中を捉えたのだろう。

 さすがに注意されるかと思ったのだが、二歩程進んだ時に上がったのは――

「カイトに倣って前進だ。遅れるなよ」

 団長の背中を押してくれるような声だった。

 それと共に先頭を進むカイトを追い抜く程の速さで歩くアールグリフ。まるで進む先には危険がないのだと、そう説明しているかのような動きは、先に述べた言葉と矛盾しているように思う。

 だが、そう考えるのは早計だ。

 団長は草食動物のように視界へと入るもの全てを警戒する姿勢を保ちつつ、なおかつ獰猛な獣のように臆せず突き進む事を望んでいるのである。なかなかに難しい注文ではあるが、どちらも成せるのが人という存在だ。

 ならば、注文に応えて結果を出すべきだろう。

 その想いは皆も同じなのか、カイトの背に葉ががさつく忙しない音が届く。またそれだけでなく、前方に注がれていた殺気は全方位に展開されたように思えた。

(これなら……大丈夫だよね)

 まるで見つけて下さいと言っているかのように殺気を放っているようだが、これならば雇われた野盗程度が相手ならば逃げ出す事だろう。おそらく正規の騎士が相手でも一度作戦を練り直すために帰還するのではなかろうか。

 その事実に安堵しそうになる心を再び引き締めたカイトは、疎らに乱立している木々を避けながら突き進んでいく。

 時間にして一時間半。

 先にアールグリフが指定した時間を南下したカイトは、瞳を焼くような光に一度開いていた瞳を細める。今の今まで葉の間から漏れる微かな明りを頼りに進んでいたために、木々のカーテンが開けた瞬間に直撃した光に対応出来なかったのだ。

 しかし、奇襲するには適した空間である森林地帯を抜ける事が出来た事は喜ばしい限りだった。

「無事に抜けられたね」

 その気持ちを素直に言葉にしたカイトは、常に自身の右隣を歩くアールグリフを見つめる。常に冷静で落ち着いた彼でも、目標へと一歩近づけた事を喜ぶと思ったのだ。

 ――だが。

 傭兵を取りまとめる団長は表情を緩める所か、逆に険しく歪めて。

「油断をするな。出迎えだ」

 低い声で警戒を促した。

 それと同時に背後から鳴り響いたのは金属が擦れる音。おそらく鞘から長剣を抜き放ったのだろう。

 音に反応したカイトは咄嗟に内なる力を呼び起こして、一つの形として顕現させる。氷装具と呼ばれる、氷弾を外へと射出する小銃を模した武器だ。

 敵が複数ならば武器を構えた意味はないが、単体ならば代償を払ってでも追い返すつもりである。第三者から見れば好戦的に見えるカイト。

「こちらは争う気はない。だが……その武器で仕掛けてくるのならば対応させてもらう」

 対する出迎えの使者は涼やかな声を外へと解き放つと。

 短い草が生い茂るストラト平原を、武器を持たずに一定のペースで進んできた。

 その人物は一言で言うならば、世界の端に住んでいる者のようだった。

 そう思った理由は、まるで光の届かない影に身を隠していたい、そう願うように漆黒のローブで身を包んでいたからだ。

 だが、カイトは直感的に暗殺者の類ではないのだと思った。

 ただの勘を信じるのは危険だと思うが、彼女の漆黒の瞳はあまりにも真っ直ぐで澄んでいたからだ。その存在を見ているだけで、心が浄化されていく感覚を味わったカイトは自然と手にした武器を霧散させていた。

「感謝する。カストア砦までは私が案内しよう。騎士の誇りに誓って……卑劣な手段は用いないと誓おう」

 武器を収めた事に安堵した彼女は一度柔らかく微笑むと共に、握った右拳を左胸へと当てた。その動作に何の意味があるのかは分からないが、誠意を持って対応しようとしてくれているのはよく分かった。

 そんな事をおぼろげながら考えていると。

「貴殿はロスティアの騎士か? すると、ストレインの汚染者か?」

 カイトに倣って剣を鞘に戻したアールグリフは、代表として歩を進めると共に立て続けに問うた。

 彼女の仕草だけで国名を言い当てる彼の知識は驚愕に値するが、それよりも気になったのは「汚染者」という単語だった。

 今の今まで人外の力を持っている事で虐げられてきたが、同じ境遇に立たされた者を見るのは生まれて初めてだからだ。

 その瞬間。

 なぜ彼女が漆黒のローブで身を隠しているのかを、この場にいる他の誰よりも深く理解する事が出来た。カイトはあえて反抗して真っ白なローブを着ていたが、彼女は世界の冷たさに打ちのめされてしまったのだろう。

 それは「弱さ」だと。そう言い切る者もいるかもしれないが、おそらく彼女が取った行動が自然なのだとカイトには思える。それと共に彼女となら自身の全てを曝け出して語り合えるかもしれないと、そう思う事が出来た。

 だが、それはカイトが勝手に思っていた事に過ぎなくて。

「ああ。元はロスティアの騎士だった。これは昔からの癖だな。だが、私は汚染者ではない。聖王国ストレインの女王イリフィリア・ストレインの……いや、友イリスのために武器を取る『代行者』だ」

 彼女は誇らしげに耳慣れない言葉を言い切った。

 汚染者ではなくて友のために武器を取る代行者なのだと、そう彼女は語る。だが、それがどういう「もの」なのかはカイトにはよく分からない。

 ただ汚染者という言葉を嫌って別の言葉を用いているのか、それとも汚染者ではないのか。その答えを持っているのは、この場では漆黒のローブを身に纏う彼女だけだろう。

 それを確かめるために――

「僕とあなた。何が違うの?」

 カイトは胸に手を当てて、問いを投げてみた。

 もし汚染者ではないならば失礼だろうが、細かい事を気にしていられる余裕はない。彼女の答え一つで、カイトは新たな一歩を進めるような気がしたのだ。

「どうだろうな。使える力は同じだ。だが、心を埋め尽くす想いは違う……ただそれだけだと思うのだが」

 問いを受けた彼女は急に言葉を発したカイトに驚いてから、自身の力を示すように力を解放して見せた。彼女の氷装具は、目測で二メートルはある柄に曲線を描いた刃を有した氷の大鎌。黒い装束と鎌の組み合わせは童話に登場する死神を思わせるが、彼女からは不吉な空気は感じる事は無くて。

 むしろ透き通った刃は彼女の心を具現化したように見えて、自然とカイトの瞳は吸い寄せられていた。

 だが、いつまでも呆けている訳にもいかずに――

(心を埋め尽くす想いか。この人は友のため……。なら、僕はソフィのためだよね)

 受け取った言葉を心の中で整理していくカイト。

 自身ではない誰かのために刃を取る事は同じだが、この胸に広がる想いはそれぞれ違う。そう彼女は言いたいのだろう。

 おぼろげながらも理解出来たカイトは一つ頷いて。

「間違っていないと思う。僕とあなたは一緒だけど……違う。でも、いつか一緒の道を歩めると思うよ」

 彼女へと手を差し伸ばす。

 同じような境遇を経験して、大切な誰かのために戦う事を選んだ人なのだ。必ず絆を結んでくれるのだと信じる事が出来た。

 いや、正確に言うならば信じてみたいと思ったのだ。人と氷雪種が分かり合う事を望むソフィは間違っていないのだと、世界に証明するためにも。

「すでに言葉は不要だな。私はカナデ。カナデ・エーデルワイスだ」

 その想いに応えてくれたカナデは、差し出した手をそっと握り返してくれた。

 浄化と高貴なるもの。名は体を表すという言葉が存在するが、二つの可憐な花の名を冠する少女は花言葉の通りだと思った。

 黒と白の手袋越しでも分かる温かさ。繋がれた絆はソフィを抱きしめた時のように心をぽかぽかにしてくれる。

 この日向ぼっこをしているような安らかな気持ちを広める事が出来れば、大陸を覆う雪すらも溶かしてしまうのではないだろうか。そんな奇跡を目の当たりにすれば争う事など馬鹿らしく思えるに違いない。

 そんな夢物語に近い事を思い浮かべたカイトは自然と微笑んでしまう。急に笑い出したならば変わった人だと思われるかと思ったが、カナデは特に気にした様子はないようだった。それだけでなく、漆黒の瞳はしっかりとカイトの青い瞳を見つめてくれる。

 その視線はまるで何かを待っているような視線だった。

 そう思った瞬間――

「ぼ……僕はカイト・ラーバスティンだよ」

 名乗っていなかった事に気づいたカイトは慌てて名乗る。

 しかし、名を知った彼女は納得する所か、不思議そうに小首を傾げた。その仕草は歳相応の少女のようで

(……やっぱり無理があるのかな)

 手を繋ぐ事が出来る程に接近し、しかも相手は女性だ。

 さすがに「男性」の名を名乗っても気づいてしまうのだろう。今後の事を考えるならば本名を名乗った方が良かったのかもしれない。

 そんな事を考えていると――

「そうか。あなたが……カイト殿か。我が国にいる鍛冶師とはまるで違うんだな」

 カナデは聖王国にいる鍛冶師を思い浮かべたようで、苦笑交じりに述べた。

 当然ではあるが、一度も会った事はない大陸一の鍛冶師がどんな人物なのか気になる所だが、今は彼女がカイトを受け入れてくれた事が嬉しかった。

 しかし、このままでは良心が騒いで仕方がないために。

「本当の名前は……クロエだよ」

 囁くような声で本当の名前を伝える。

 おそらく羽虫が鳴くような声だったために、すぐ近くにいるカナデにしか聞こえなかったに違いない。

「いや……ここは『カイト』という名前を使わせてもらおう。その方が何かと都合がいいのだろう?」

 しかし、彼女は頭を振って。

 カイトが述べた言葉を聞かなかった事にしてくれるらしい。それは、ただカイトの事を想っての事だろう。どこまでも真っ直ぐで、清々しい人物。

 おそらく彼女のような人間を「騎士」と呼ぶのだろう。ただの一般人であるカイトには遠い存在に見えたが、こんな友人が一人くらいはいてもいいような気がした。

 だからこそ、カイトは――

「ありがとう、カナデさん。案内……よろしく頼みます」

 素直に彼女の好意に甘えると共に、対して価値もない頭を下げる。

 何とかして誠意だけでも伝えようと思ったのだ。

 そんなカイトを見たカナデは――

「まるでどこかの女王様みたいだな」

 何故か苦笑交じりに言葉を紡いだ。

 彼女が述べた女王様というのは、おそらく聖王国ストレインの女王イリフィリア・ストレインの事だろう。魔女とまで呼ばれる人物とカイトに何の共通点があるのかは知らないけれども、綺麗に笑う彼女を見ていると不思議と些細な事に思えた。

 カナデと団長がいれば何とかなる。カイトが出来る事はソフィの『代弁者』として、想いを伝えるだけ。

 そう強く心に刻んだカイトは、繋がれた手を離して――

「行こう!」

 背後で様子を窺っていた仲間へと声を掛ける。自身でもはしゃぐ子供みたいだと思うけれども、内から生じる気持ちを止められなかったのだ。

 そんなカイトの様子を見つめた傭兵達は苦笑いを浮かべながらも、前へと進む事を望むカイトのために一歩を刻んでくれた。

(どこまでも進むよ。だから……見ててね、ソフィ)

 その一歩を青い瞳で捉えたカイトは心を埋め尽くす人を想いながら、皆を引っ張るかのように力強い一歩を踏みしめたのだった。


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