第四話 (一)
第四話 ―― 歌姫の代弁者 ――
カルティシオン大陸の最北。
北に行けば行く程に寒さを増していく、この大陸においては最も人が住みにくい国の名前は「グシオン連合国」という。領土は渦中の国から見て南西に位置する、聖王国ストレインを中心とした同盟国家の二倍はあり、兵力に至っては五倍強もある。
そんな、この大陸において決して目を離す事が出来ない軍事国家の王城にて。
「聖王国が動くか。それとも神国が動くか」
早朝の静まり返った空へと上がったのは、国王ドレスティンの野太い声だった。
後一時間もすれば城下の騎士達が鍛錬に励む声を上げるのだろうが、今は耳に痛いくらいの静寂が屈強な体を包み込んでいた。
――グシオン王、ドレスティン。
国を治める王でありながら毎日欠かさず特注の軽装を身に纏う男で、二メートルを有に超える長身と、鍛え抜かれた分厚い胸筋が特徴的だろうか。今年で五十に届く年齢ではあるが、額にかからないように上げられた髪は漆黒のままで老いを感じさせはしない。
当然、その動きは緩慢ではなくて。今すぐにでも兵を率いて戦場に立てる程に雄々しく、それでいて逞しい。
そんな彼が現在立ち尽くしているのは、王族だけが使用を許された私室の隣に設けている灰色の岩を隙間なく詰め込んで作られたベランダである。
王ドレスティンは考えをまとめる際や、限られた忠臣とだけ話をしたいと思った時にこの場に立つ事が多い。今回もその例外ではなくて。
「両方であると……愚考しますが?」
この寒空の中で、王が最も信頼を置いている男は言葉を返した。
眩しさすら感じる紅いローブを身に纏った細身の男で、切れ長の目と肩まで伸びた銀髪がよく目立つ。名をクレヴァスといい、戦時下においては一万の兵を率いる将軍だ。
その将軍が現在立っているのは、王の私室。ドレスティンからすれば同じ場所に立って話をしたい所だが、彼は何度言ってもベランダに足を踏み入れようとはしない。
そんな見方によっては堅物に見える彼を、なぜ王がここまで信頼しているのかと言えば。
その理由は驚く程に単純で、ただ彼が他よりも秀でているからだ。一万人に一人か二人いれば多い方だとされる人外の力を有しているだけでなく、彼は王がぽつりと漏らした言葉のみで自身の考えを述べる程の知略を有している。
他国では汚染者を遠ざけているようだが、ドレスティンからすると愚かしいとしか思えない。汚染者の力を有効に活用する事で、他国との戦争をいくらでも優位に進める事が出来るからだ。
と言っても、力を使う事で代償を払わなければならない事を考えれば、力を好んで使う者はいないだろう。だが、それは各個人が求めている「もの」を与えてあげればいいだけだ。
例えば、この男の場合は揺らぐ事のない信頼だ。
決して裏切る事なく、決して偽る事なく。いかなる時も彼を信じる気持ちを貫いてくれる事。それが汚染者クレヴァスの望みだった。
財を持て余している王からすれば、金貨を与えるだけで忠義を尽くしてくれる方が助かるのだが、この男はそれを許してはくれない。
それを説明するように。彼は今も切れ長の目を細めて、王の返答を待ち続けている。
もしこの場で、嘘偽りを述べるならばクレヴァスは国を去る事はないだろうが、落胆する事だろう。
それは何としても避けたい王は――
「フィーメア神国が使者を送り……聖王国が動く。俺はそう考えている」
自身の頭に浮かんだ考えを述べた。
敵と認識しても間違いではないフィーメア神国のために聖王国が動くとは常識では考えられない。だが、奇策を用いているつもりなのか、常軌を逸した行動ばかりする女王ならば何をするのか分からないというのが本音だ。特に、その常軌を逸した行動を目の当りにしたドレスティンからすれば、常に目を離す事が出来ない人物だと言っていいだろう。
歴戦の王すら釘付けにする行動とは一体何なのか。それは一言で説明するならば「和平」だった。
聖王国ストレインの女王イリフィリア・ストレインは、リシェス共和国と同盟関係を結ぶと同時に、グシオン連合国にも和平の使者を送ってきたのだ。過去に前王ラディウスと一戦交えたドレスティンからすれば、和平の使者など頭の片隅にすら置いてはいなかった。
だが、あの女王はさも当然とばかりに使者を寄越したのである。
その返答としては、今も敵対している事を考えれば自ずと理解出来るだろう。ドレスティンは過去の一戦を理由に使者の首を刎ねて、少々度が過ぎるとは思うが、それを解答として送り返したのだ。
さすがに平和を願う女王も、この返答には少なからず怒りを覚えた事だろう。言うならば、これから起こり得る一戦はドレスティンが招いたと言っても過言ではない。
と言っても、感情的に進軍してくる事がない所を見ると、敵にはよほど冷静な参謀がいるのだろう。それとも十六歳の小娘でありながら、すでに王としての器があるのか。
それは分からないが、下手な行動は自身の首を絞める事になるだろう。
それをよく理解しているクレヴァスは――
「私も同意見です。復讐しか頭にないクエリア神国を利用する事で、フィーメア神国を討ちたい所ですが……ここは勢いに乗った聖王国を抑えるべきかと」
整った顎へと、女性のように細い指を触れさせて淡々と語った。
どこか優雅に見える所作をする彼だが、その声は冷水を思わせせる程に冷徹。
この鍛え抜かれた体ならば誰にも負ける事はない、そう自負している背中に冷汗が一筋流れ落ちる程に鋭利で冷えた殺気を彼は放っているのだ。
おそらく言葉としては一つの意見を述べるという形を取っているが、彼は短期間で領土を拡張した聖王国ストレインと一戦交えて見たいのだろう。
一国の王ではあるが武人でもあるドレスティンとしても、彼の国と戦う事は大変興味深いと思っているために、彼の気持ちは無視できないのは事実だ。
しかし、フィーメア神国から聖王国へと。ただ注意を惹きつけるためだけの誘いに乗って、領土拡張の機会を逃がすのは惜しい。
圧倒的な国力を持ってはいるが、この大陸において最も過酷な地を領土とするグシオン連合国。具体的に言うならば得られる作物は少なく、それでいて進軍をしたいと願っても吹雪という名の自然が足を鈍らせる過酷な大地だ。しかし、今ならば進める。
最大の懸念事項だった「氷結の歌姫」も近頃は姿を見せず、天候も安定しているからだ。
ならば、何も迷う事はない。そう心中で決意した王は――
「聖王国はお前に任せる。俺は……長年の悲願を達成するとしよう」
久方ぶりに雪雲一つない空を見上げて、言葉を発した。
空を覆う清々しい程の青は、ドレスティンの進む王道を祝福してくれているように見えて仕方がない。長年の悲願である作物が育つ南の大地へと、王である自身を導いてくれているように見えたのだ。
気のせいだと、そう言われればそれまでの事。
だが、天を味方に出来たのならば負ける事はないのだと、そう思えるのだ。
「お互いに……生きて。またこの場所で会いましょう」
考えている事は同じなのか。
同じ空を見上げた忠臣は言葉を紡ぐ。数日後には戦場に赴く者同士を結ぶ約束。
どこか不吉な気もするが、ドレスティンは再び会えるようにと。厳つい顔を一度だけ和らげて天へと祈る。
そんな王の耳に届いたのは、ようやく眼下で早朝鍛錬を開始した騎士達の掛け声だった。




