第三話 (一)
――第三話 揺れる心と揺らがない意志 ――
フィーメア神国の都市サーランドにおいて、目立った特徴として挙げられるのは二つ存在する。一つは東西南北に存在する門から都市の中心へと伸びた、サーランドを四分割するメイン通り。そして、もう一つはその終着点。つまりは、国を動かす中心と言っても過言ではない高さ四十メートルという規格外の強大さを誇る大聖堂だろう。
その誰しもが注目せざるを得ない神聖なる聖地にて。
「……予想以上に苦戦したようですね?」
教壇から見下ろすように問いを投げかけたのは教皇だった。
その声は意図した訳ではないが硬質な石を思わせる程に固くて、それでいて寒空を駆け抜ける風のように冷たい。
なぜこうも冷徹な声が出てしまったのかと言えば――
「そうだな。昔読んだ兵法書に命を捨てる覚悟を持った者とは戦うな……と書いてあった気がするが、まさにその通りだった」
肩を竦めて報告した老将ヴォルドの様子を見れば分かるだろう。
身に纏う甲冑は所々砕けており、その内側は赤黒い。つまりは、兵を率いる立場にいる将軍が傷を負う程に、あの忌々しい狂信者共は抗ったという事だ。
と言っても、ヴォルドの性格を考えれば自ら前線に立ったと容易に予想出来るために、必ずしも苦戦したとは断定出来ないのだが。
それらを確認するために教皇は一つ咳払いをして、彼が述べた言葉を霧散させると。
「結果は? こちらと相手の損害を。その他の情報は不要です」
必要な事のみを問う。
なぜこうも無駄を省くのかと問われたとするならば、今すぐにでも次の策を用意しなければ、周囲を取り囲む国々は好機と見て押し寄せてくる可能性があるからだ。少々、被害妄想が進んでいる気もするが、人の上に立つ者はこれくらいが程よいような気もする。
そんな必要なのか、不必要なのか分からない事を考えている中で。
「こちらの損害は二千。相手も同数だ。剣でどれだけ切り裂こうとも……あいつらは進んでくる。なあ……お前はあいつらに何をやらせたんだ? 元は同じフィーメア神国の者達だったのだろう?」
ヴォルドは必要事項を報告をすると共に、低い声で訊いた。
彼が知りたいと願う事は大よそならば想像出来る。おそらく教皇である自身に復讐するために血走った眼で襲い掛かってきたのだろう。もはや獣に近い彼らなど正規の騎士であれば楽に殲滅出来ると思っていたが、やはり猪突猛進しか頭にない将軍では逆に押し返されてしまったようだ。
(……アールグリフがいてくれればな)
現在は傭兵団を率いている彼であれば、千程度の損害で三千は削ってくれた事だろう。
単純に数だけを勘定すれば戦争に勝てる訳ではないが、こちらの兵が減れば減る程に北の強国が動く可能性が高まるのだから気にせずにはいられなかった。
(現状の兵数は……)
フィーメア神国の兵力は騎士、徴兵した兵士、傭兵を合わせても一万三千。対するクエリア神国は八千という所か。
「どうするんだ? 教皇様?」
しばし頭の中で整理していると、報告を受けても固まっている教皇を見かねたのか、腕を組んだ姿勢でヴォルドが確認の問いを投げた。おそらくこの問いは彼だけでなく、この国に住んでいる全ての者が持っている疑問だろう。
だが、教皇は即答する事は叶わなかった。
血染めの舞姫という神の領域に足を踏み入れた規格外の戦力を保有しているクエリア神国ではあるが、兵力ではフィーメア神国の方が勝っている。そう考えれば総力戦に持ち込みさえすれば勝機はあるように思う。
しかし、そんな強引な手を北の強国は許してくれるだろうか。
だからと言って、防戦一方では国民の疑念は深まるばかりだ。教皇という地位など現時刻を持って捨てても構わないが、まとめ役を失った国など即座に瓦解してしまう。
ならば、この地位にしがみ付くしか他に道はない。如何に醜い姿を晒そうとも、どれだけ「外道」と罵られようとも。しかし、この想いは決して外へは出してはならないのだ。
握った拳に全ての想いを収める事で、内へと戻していくしかないのである。だが、一見すると痛みだけを伴う無駄に思える行為も、思考を冷静にするには役立ったようで。
「ここは……防戦に徹する」
勝つ事は出来ないが負ける事もない。
現状を維持するには最も適した方法を選ぶ事が出来た。どこか消極的に見える手を選んだ教皇ではあるが、全てを諦めている訳では決してない。守りながらでも反撃の機会を探すつもりなのだ。
そんな教皇を黙って信じてくれるのは、やはり昔からの友人で。
「了解した。先ほどの問いは……今は胸の内にしまっておこう。そして部下の不満は俺が全て受け止めよう」
すでに役目を終えた彼は背を向けながらも、いつもと変わらない真っ直ぐな言葉を届けてくれた。明らかに言葉が足りていない教皇を彼は愚直なまでに信じてくれたのである。
(……すまない)
何があっても変わらない友人に内心で感謝しつつ、教皇は眠るように瞳を閉じる。
これは窮地に立たされた際の教皇の癖だ。視覚情報を遮る事によって、思考に集中する儀式のようなものである。
そこまでして何を考えているのかといえば。
当然、勝利をこの手に掴むための手段だ。
――しかし。
そうは言っても、この現状を打開するための手段は限られている。最も効果的と考えられるのは他国から援軍を派遣してもらう事だろう。その対象となる国は二つの聖王国。
(彼らにとっても……グシオン連合国は脅威の筈)
ゆえに共同戦線を張ろうという事だ。
だが、フィーメア神国がクエリア神国を潰して、領土を拡張する事を聖王国は許してくれるだろうか。それも交渉次第のような気がするが、数ヶ月という短期間で聖王国ルストとリシェス共和国の両国と同盟関係を構築した『魔女』イリフィリア・ストレインが、こちらの思惑通りに動いてくれるとは考えにくい。
先ほど魔女という言葉を使ったが、彼女は空想の世界が舞台となっている物語のように魔法が使える訳では決してない。ここで言う魔法とは、例えば手から炎を出したり、雷を落としたりする異能力の事だ。
正直な事を言うならば、まだそちらの方が対処出来た気がする。
汚染者や氷雪種をただの人が殺せるように、如何に万能な力を持っていても必ず何らかの弱点が存在するからだ。ゆえに、ただ強力な能力を持っているだけならば脅威とはなり得ないのである。
では、なぜ聖王国ストレインの王が「魔女」と呼ばれているのかと言えば。
先ほど述べたように、たったの数ヶ月で両国を味方へと引き入れたからだ。争い、奪い、屈服させて領土を拡張したのならば話は分かる。だが、届いた情報では彼女は「対話」によって両国を説き伏せたのだという。ただ胸に浮かんだ真っ直ぐな言葉を届けただけで、自身の味方としてしまったというのである。
その報告を聞いた時は全身が震えた事を今でも鮮明に覚えている。
それもその筈で。フィーメア神国の中で「神の僕」と呼ばれている教皇でさえ、それは不可能だからだ。そもそもどんな言葉を使えば、それが成せるというのだろうか。
全くもって想像出来ない、奇跡にも似た力を扱う小国の王。それは恐怖以外の何ものでもなくて、畏怖の感情を込めて「魔女」と呼んでいるのだ。
だが、その「魔女」に教皇は頼らなければならないらしい。フィーメア神国が国として、その存在を保つために。
(……どうしたものか)
答えは分かっていても、どのように進めればいいのか。使者を出すにしても誰が適任なのか。頭に浮かぶのは難題ばかりだが、孤独な教皇はその一つ一つを丁寧に処理していく。それがフィーメア神国のためになると、心から信じて。




