第二話 (五)
フロスト雪原を東の方角に。
つまりは都市サーランドへと向けて進んでいくのはカイトだった。
すでに戦場から離脱して十分は経つのだが、どうしても耳にうるさい音が背へと届く。もしかしたら届いているのは幻聴か何かの類なのかもしれない。そう思うのはあまりにもはっきりと、まるで耳元で鳴っているかのように剣を打ち合わせる甲高い音が、そして苦渋に満ちた声が聞こえるからだ。
(……駄目。駄目だよ)
戦場独特の汚れに体と心を汚染されている気分を味わったカイトは慌てて頭を振る。
戦場で氷雪種を殺した事がある者が今さら善人ぶるのはおかしいのかもしれないが、汚れた心ではあの穢れを知らない少女を抱きしめられないと思ったのだ。
そこまで思考を走らせたカイトは成すべき事へと意識を向けていく。つまりは雪原を走る事に意識を向けたのだ。
(昨日よりかは……幾分かましかな)
カイト達が、そして援軍に来た騎士達が踏み固めた雪原は、先日と比べると幾分か走りやすく足を取られる事も少ない。
ならば足は軽いのか。そう問われたならば、カイトは答えに困ってしまうだろう。いや、正確に言うならば答える事が出来ないかもしれない。その理由はカイトへと注がれる視線を受け止めればすぐに分かる。
と言っても、向けられる視線の種類は複数で。ある者は団長の腕を切断した事に対する怒りを、また別の者はカイトが一人で帰ってきた事に対する疑惑に満ちた視線を送ってくる。当然ながらカイトを支持する視線はないように思う。
団長のおかげもあって少しは打ち解けたと思ったのだが、結局は距離を置かれてしまうカイト。やはりこの世界に自身の居場所はないのかもしれない、そう思ってしまうのは極自然な事のように思えた。
しかし、ソフィ達はこの考えに異を唱えて独自に進んでいる。もしかすれば、彼女達のように諦めない者だけが世界を変えられるのかもしれない。
ならば、カイトもこんな所で腐っている訳にもいかずに。確かな光を宿した青い瞳を一人ずつ丁寧に合わせていく。向けられる怒りと疑惑の全てを受け入れて、可能ならば元の位置に戻れる事を祈って。
そう。
近すぎず、それでいて遠くない。人と汚染者が共に歩むためには適した距離へと戻るために。だが、それは上手くはいかなくて。
ある者は舌打ちをして視線を逸らし、ある者はしっかりと瞳を合わせてくれた。結論から言うと、いい意味で期待を裏切られてしまった。
カイトからすると無視されると思っていたのだ。それでもこちらの想いだけでも伝われば共に歩んで行けると思ったのだが、彼らはカイトを一人の仲間として憤り、またしっかりと視線を合わせた事を認めてくれたのだ。
これは今までにはない反応で。
「……どうして?」
意図した訳ではないけれど、自然と問いを投げていた。
しかし、問いに答えてくれる者はいない。おそらくカイト自身が答えを見つけろと言いたいのだろう。これもある意味では「期待してくれている」と取る事も出来るのかもしれない。さすがにいい方向に取り過ぎている気もするけれど。
(……答えないといけないよね)
拒絶される事に恐怖して、ずっと距離を取り続けてきたカイト。
だが、それはもう終わりにしなければいけないのかもしれない。想いの全てをぶつけて、彼らの心に近づくか。それとも受け入れてもらえないならば、去らねばならないのかもしれないと思ったのだ。
そう判断したカイトは先頭を進む団長の背を見つめて――
「僕は皆を信じて拒絶される事が怖い。僕の力は人を超えていて……皆から見れば『化け物』みたいなものだから。あの力を見たら……皆離れてしまうと思うと。だから、怖くて……心が開けない」
淡々と心の内を語っていく。
おそらくこの程度の事ならば気づいている事だと思う。それでも、改めて口に出す事は最初の一歩である気がしたのだ。
背で言葉を受け取った皆は特には何も語らなくて、前へと進みながらもカイトが語る言葉の続きを待ってくれているようだった。そんな彼らの気持ちに感謝しつつ続きを語るために、一度息を吸ってから。
「僕にとって唯一信じられるのは家族であるソフィだけ。でも、彼女は変わってた。人と氷雪種が共に歩める道を探すなんて言ってて……僕よりもずっと大人になってた。それが嬉しくもあって、それと一緒に僕自身の小ささに気づかされたんだ」
どう伝えていいのかも分からないままに、言葉を紡いでいく。
自身でも要領を得ない言葉だと思う。もっと厳しい人に話しているならば「まとめてから話せ」と言われるのかもしれない。
しかし、今は心に浮かんだ言葉をそのまま伝えるのがいいのだと思って。
「だから進むと決めたんだ。皆が性別すら偽っている僕を……拒絶するのは仕方がないと思ってる。それでも可能なら一緒に進んでいきたい。もう僕は子供のままではいられないんだ。幼いままの僕の言葉はソフィには届かないから。僕は……前に進みたい!」
カイトは内に浮かんだ言葉の全てを吐き出す。
相反する想いを、頼りない肩を震わせながらも懸命に。ただ届くのだと信じて。長い独り言なんかではなくて、ちゃんと届くのだと思いたい。
その想いが伝わったのか――
「それでいい。お前は傭兵団『シュトゥルム・ステイト』の臨時要員だからな。最初から拒もうと思う者はいない。だが、俺達は人だ。怒りを覚える事も疑念を持つ事もある。だから、時には気持ちをぶつけ合う事も大切だろう。しかし、俺個人としては……ようやく本音を語ってくれた事を嬉しく思う」
団長は歩む足を止めて、ゆっくりと振り向いた。
他の団員はアールグリフの意向に従うようで、特には語らない。つまりカイトが気持ちを伝えられる者は団長のみだった。
穏やかに微笑む彼は腕を斬られた事など気にした様子もなく、歩む足を止めないカイトが辿り着くのを待ってくれた。そんな彼に向けて、カイトは短い言葉を届けるために閉じた口を開く。
「――ごめんなさい」
発したのは短い謝罪の言葉。
今まで彼を拒絶した事、必要な事ではあったが腕を切断してしまった事、せっかく道を作ってくれたのにソフィを取り戻せなかった事。他にも謝りたい事はたくさんある。
でも、言葉で全てを伝える事は出来なくて。カイトは短い言葉に全てを詰め込んで、彼へと伝えたのだ。
「構わん。次は……上手くやれるといいな」
言葉を受け取った彼は表情を変えずに、手のかかる子供を励ます様な言葉を届けてくれた。やはり何があろうともアールグリフは変わらないらしい。
だからと言って、カイトが彼の腕を切断してしまった罪が和らぐ訳ではないのだけど。それでも沈んだ心は幾分か軽くなった気がした。
だからこそ、カイトは強引に頬を吊り上げて。
「――絶対に取り戻すよ」
作った笑みを浮かべて言葉を返す。
おそらく作り笑いだと気づいてしまうだろうけれど、もう沈んだ顔は見せたくはないと思ったのだ。
その気持ちを絡めた視線のみで受け取った彼は――
「その意気だ」
短く述べて背を向けた。
だが、その後にぼそりと「世話が焼ける」と呟いた事は見逃さない。もう子供である事は卒業したいカイトからすると見逃せない一言だったのだ。
しかし、実際に世話になっている事もあって反論は出来ずに。不機嫌な視線を彼の背中に注ぐに止める。それと共に自然と内から湧いてきたのは、とある閃きだった。
(……僕も何か恩返しをしないとな)
世話になったならば、何かで返すのが当然だ。
数多くのものを受け取ったカイトが全てを返すには時間がかかるのかもしれない。
だが、何もしないよりかはましだと思ったのである。そこまで考えたならば、後は行動するだけで。カイトはアールグリフの背中を全力で追いかけたのだった。




