表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第二部 もう一度あなたを抱きしめたくて
61/109

第二話 (三)

 フロスト雪原を東に。すでに国境線すら踏み越えて進むのはカイト。

(……全身が熱い)

 ただひたすらに走り続け、大切な人の名前を叫び続けた自身の体は燃えるように熱くなっていた。辺り一面は強風によって舞い上がった雪で、埋め尽くされているというのに。この身は冷える所か燃えたぎっていた。

 その理由は自身でもはっきりと分かっている。

 数秒前までソフィの体を貫いていた赤き突撃槍はカイトが放った氷の弾丸によってすでに砕け散っており、さらに眼前に二人を阻む者はいない。

 ずっとソフィを抱きしめられる日を待っていた。今日この瞬間に胸が熱くならないのならば、カイトはどうかしてしまったに違いない。そう断言出来る程に目の前にいる少女に会いたかったのだ。

 自身の唯一の家族に。まるで暖炉の前にいるように心を「ぽかぽか」にしてくれる愛おしい人に会いたかったのだ。

「――カイトなの?」

 その少女は腹部を貫いた槍が消失した事でようやく動けるようになったらしく、掠れた声を絞り出した。届いた声は何かにすがるような甘えた声で、揺れる氷色の瞳は確かにカイトを見てくれる。もしかしたら、もうソフィには会えなくて、カイトから大切な人を奪った「何か」と話す事になるかと思っていたが、今ここにいるのは自身がよく知っている少女だろう。

 確かな確信がある訳ではない。でも、唯一の家族を見間違えるなんて事はないのだ。どんなに姿を変えても、絶対に見つけ出す事が出来る自信があるのだから。

 その確かな自信を胸に抱いたカイトは手にした氷装具を霧散させて、血に塗られた騎士剣を強引に鞘へと戻す。彼女に会うのに、こんな無粋な物はもう必要ないのだから。

 ただ言葉と決して嘘は言わない胸の鼓動を伝えてあげれば、それでいいのだ。一度はカイトの側を離れた彼女が受け取ってくれるのかどうかは分からないけれど、伝えなければ決して分かってはもらえない。

 だからこそ、カイトは雪原を駆け抜けて。

 一年と一ヶ月の時間を埋めるために、彼女の小さな体にその身を飛び込ませる。受け止めたソフィは飛び込んだ衝撃と人一人の重さに苦渋の声を漏らしたが、文句は言わずにそっと背に腕を回してくれた。

 触れた瞬間に感じたのは、夢で見た時と変わらない、ふわりと浮くような幸福感と、ずっと触れていたいと願う温もりだった。やはりこれがないと、カイトは人として前に進んではいけない。

「ソフィ。ようやく会えた。ずっと……ずっと会いたかったんだから」

 その想いは自然と言葉に変わって。気づいた時には小さな体を強く、強く抱きしめていた。再び苦しそうな声が耳へと届いたが、今日は容赦しない。

 思う存分に彼女を抱きしめていたいのだ。もう二度と彼女が離れていかないように、ずっと側にいられるように。叶うのならばソフィも同じ想いでいてくれる事を切に願って。

 でも、カイトとソフィでは内に浮かべる想いが異なっている事はすぐに分かってしまった。カイトの鼓動は全力疾走した事もあるのだろうけれど、耳にうるさい程に鳴っている。おそらく抱きしめられたソフィは、この激しい鼓動の音を聞いている事だろう。

 そして、この音が大切な家族に出会えた事に対する歓喜の鼓動だと分かっている筈だ。それが分からない子ではない。そう断言出来る程にカイトはソフィの事をよく知っているのだから。

 だというのに、ソフィからは同じ鼓動の音は聞こえない。出会えた事に喜んでいるのは、伝わった声と触れた温もりで分かる。でも、ソフィはカイト程に再会を喜んでいる訳ではないらしい。

 それは、やはり「やるべき事」がまだ終わっていないからだろうか。おそらくそうなのだろうが、彼女の言葉で真相を知りたくて。カイトはソフィの言葉を待ち続ける。

 無限にも思える数秒の間を置いて。

 ソフィはようやく口を開いて――

「私も嬉しいよ。でも、私にはやる事があるの。だから……まだ戻れない」

 具体的ではないけれど、はっきりとカイトを拒絶した。

 そんな彼女は出会ったばかりの幼い少女ではなくて、はっきりとした意志を感じさせる一人の少女だった。冷静に見たならば、もしかしたらカイトの方が幼く見えてしまうのかもしれない。そう思ってしまう程に彼女は大人びていた。

 それは嬉しくもあって、同時に知らない所で成長してしまった事が悲しくもある。そんな複雑な心境を胸に抱きつつ。

「そう。なら、約束して。ソフィが帰ってくる場所は……ここだよ」

 カイトは震えた声を、揺るがない意志を貫こうとするソフィに届ける。

 カイトが成長を妨げる者となってしまわないように。そして、叶うならば彼女に追いつけるように。そんな祈りを信じる神へと届けながらも。

 次に会えるのがいつになるのかは分からないけれど、今日ここで会えた事はカイトにとっては確かな一歩になったと思う。本心を語るならば、強引にでも連れ帰りたい。

 しかし、肝心のソフィに戻る意思がないのであれば、元の生活に戻る事は不可能だろう。それでは意味がない事はさすがに分かる。ならば、ソフィが成すべき事を成すまで待つか、それとも会う度に「帰りたい」と思ってくれるように想いをぶつけていこうと思う。

 カイトからすればこの胸では抱えきれない想いの全てを伝える事で、ソフィが戻ってくれる方が嬉しいのだけど。相反する二つの想いは言葉では伝えなかったけれど、さすがに共に暮らした事があるソフィはちゃんと分かってくれたようで。

「お兄ちゃんの言葉は……ちゃんと受け取るよ」

 はっきりとした口調で胸の内を語ってくれた。

 それと共に彼女の体は役目を終えたと言わんばかりに霧散していく。おそらくこれ以上この場にいると心が揺らぐと思ったのかもしれない。それほどまでにしてソフィがやりたい事は何なのか。

 それが分からなければ、取り戻せないと思ったカイトは――

「ソフィがやりたい事は?」

 白き霧へと向けて、一つの問いを投げる。

 答えてくれるかは分からないけれど、それでもカイトは問わずにはいられなかったのだ。

 すると。

「私とソフィの目的は――この大陸から争いを無くす事。そして、氷雪種と人が共に暮らせる地を作る事だよ」

 どういう原理なのかは分からないのだが、大人びた声が霧の漂う場所から届いた。

 この声と口調はソフィではなくて、おそらくこの霧の所持者だろう。どこから聞こえたのか確かめたいと思うが、四方に霧が漂っているために場所は特定出来なかった。だが、今はそれよりも彼女達の目的が明確になった事の方が重要だろう。

 と言っても、その目的はあまりにも規模が大きすぎる。言うならば、ただの個人がやる事ではなくて、大陸を統一した覇者が目指す様な理想のように聞こえたのだ。

 それがソフィを奪った者の目的。そして、その理想と共に進むのがソフィだというのだろう。確かに戦いというものが嫌いなソフィらしい理想だ。

 そう思うカイトも全てを失う戦争は嫌いだ。叶うならば、この大陸から無くなればいいと思う。しかし、数多の国が乱立するこの大陸では、それは叶わぬ夢だという事を知っている。それでも、彼女達はこの大陸に住まう者達が新たな一歩を刻むために迷わず進んでいくというのだろうか。その中で「不可能だ」と何度言われても迷わず、信じた道を突き進むというのか。

 ならば、カイトも迷わず進もうと思う。

 内なる熱が冷めない限りは進み続けようと思ったのだ。しかし、その意志を伝える相手はもういない。想いを伝えるべき人はすでに白き霧となって、決して手の届かない空高くへと昇ってしまったのだから。

 この距離がカイトとソフィの現在の距離だと思うと、心が折れそうになる。それでも止まってしまえば全ては終わってしまうのだ。ならば、今は進もうと思う。

 そんなカイトの青い瞳に映ったのは、藍色のローブを身に纏う集団だった。吹雪のために正確な数は把握出来なかったが、ざっと五千程はいるだろうか。

(アールグリフが焦っていた理由は……これだね)

 ようやく事態を把握したカイトは、今を生きるために振り向くと同時に雪原を蹴りつける。その手に形成したのは内なる力を最大限に引き出す氷装具。代償を払う事で人を凌駕する力を得られる、禁忌の力だった。

 しかし、たった一人で五千の数に対抗出来る訳もなく。カイトが選んだのは身体能力を向上させる事で、この場まで一緒に来た傭兵団に合流する事だった。

(……この距離なら戦闘になるかな)

 しかし、合流を果たした所で総勢二百名しかいない傭兵団で応戦する事は不可能だろう。あの団長の事だから何か考えがあるのかもしれないけど、状況は思ったよりも悪い気がしてならない。

 それでもカイトは雪を踏み固めながらも両足を前へ、前へと押し進めていく。ソフィに再び会えるその日まで生き残れる事を切に願って。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ