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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第二部 もう一度あなたを抱きしめたくて
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第二話 (一)

――第二話 再会と別れ――


 一夜を共にした集落を出て、約五十分。

 膝丈程度まで雪が降り積もったフロスト雪原を、真東へと進んでいくのは傭兵団『シュトゥルム・ステイト』だった。通常であれば集落から、クエリア神国との国境線に辿り着くためには大よそ一時間半の時間を要するのだが、少数という利点を最大限に活かしたカイト達はその時間を短縮する事に成功している。

 それは一秒でも早くソフィに会いたいと願うカイトにとっては願ってもいない事だった。だが、隣を進むアールグリフが進軍を早める理由は他にあるような気がする。

 戦術などというものには疎い者には分からない、何かがあるのだろう。それを問う事も一応考えたが、おそらく理解は出来ないと判断したカイトは黙って自身が成す事に集中していく。

 そんな中で――

「見えてきたか。皆は鶴翼かくよくの陣を維持しつつ――前進! カイトと私を援護せよ」

 すでに部隊を率いる顔になった団長が声を張り上げた。

 相手はただの一人だが氷雪種に近い存在だ。実際の戦争に近い形で陣を組む事を選んだのだろう。

(……鶴翼の陣は確か両翼に分かれる陣だよね)

 戦場に兵士として駆り出された経験があるカイトはおぼろげな記憶を呼び起こしつつ、雪原を蹴る。それと時を同じにして、総勢二百名の傭兵達は右翼と左翼に分かれて陣を「Vの字」型に整えていく。

 アールグリフの案は唯一舞姫と戦闘可能なカイトを突撃させて、その援護を陣の両翼が行うというものだろう。前方へと張り出していない中央は予備選力といった所か。

 大よその作戦を把握したカイトは陣の中央から一歩、二歩と離れていく。この作戦はカイトが進まなければ何も始まりはしない。本音を言うならば、化け物相手に一人で突撃などしたくはないが、他に汚染者がいないと言うのならば仕方がないと思う。

 それに目的を達成するには個人の方が幾分かやりやすいだろう。そうして、震える心を強引に落ち着かせたカイトは青い瞳を前方へと向ける。

 噂に聞いた「血染めの舞姫」をこの瞳へと収めるために。しかし、視界へと収まったのは「舞姫」ではなくて。

(あれは――ソフィ!)

 会いたいと願った、その人だった。

 確かに予感めいたものは感じてはいたが、まさか本当に会えるとは思っていなかった。胸を掠める直感を幾度も信じたいと願ったけれど、そんな事はないと冷静な自分が何度も何度も浮かぶ希望を霧散させていった時間。

 しかし、彼女はそこにいた。

 夢でも、幻でもなく。確かにそこにいたのだ。

 しかし、再会を喜んでいられる状況ではない事はすぐに分かった。彼女の体は見た事もない真紅の突撃槍に貫かれており、そんな彼女に止めを刺すためなのか空へと形成されているのは同じ赤き刃だった。

 ソフィに会った時は歓喜に舞い踊りたいと密かに思っていたが、カイトの小さな胸を覆い尽くしたのは燃えたぎるような怒りで。気づいた時には、その想いは喉から解き放たれ、大切な人の名前を叫んでいた。

 しかし、叫ぶだけでは救えない事は当然であり。カイトは神が与えてくれた、たった一つの奇跡にすがる想いを胸に抱いて、自身で製作した刃を内なる力と結びつけて展開する。

 それは一言で言うならば、禁忌の力。

 氷装具という名前で呼ばれる、汚染者の力を格段に向上させる専用の装備だ。それだけを聞けば喉から手が出る程に欲しい武器に思えるかもしれないが、使用するにはある種の覚悟が伴う武器でもある。

 ある種の覚悟とは、汚染者が力を使う代償として支払う対価が二倍、三倍に膨れ上がる事だ。命を代償として支払うものであれば、一年も経たない内に死してしまう諸刃の刃。

 それでも、この力を使うのは自身が成したいと思う事があるからだ。カイトの場合は、当然ソフィを取り戻す事。そのためならばどれだけの代償を支払っても構わない。

 そんなある意味では、どこまでも澄んだ心を胸に抱いた少女に世界が与えた代償は「記憶」。人と物を凍らせる度に。氷装具を使用すればする程に記憶が薄れてしまうのだ。

 しかし、記憶が薄れると言ってもそこに規則性がある訳ではない。つまりは幼い時から今に至るまでの記憶が順に失われる訳ではなくて、今日であったり、一週間前の記憶であったりと無秩序に消えてしまうのだ。

 では、なぜカイトが現在も自我を保っていられるのかと言えば、それは失った記憶を補完出来るからに他ならない。忘れても、日記や誰かから情報を得れば、おぼろげながらも記憶を繋ぎ合わせる事が出来るのである。

 とは言っても大切な記憶が脳内から消え去ってしまうのは、決して軽いものではない。特にソフィが浮かべた笑顔を、ほんの些細な仕草ですら覚えていたいと願うカイトにとっては、失うという事は身を引き裂かれるような思いがする。

 それでも彼女が隣にいなければ心が照らされる事はない。例え過去の全てを失っても、彼女と共に明日を歩んで行きたい。それがカイトの望みだった。

 その願いは内なる力と結びついて、一つの形を成す。

 形はカイトがあえて望んだものではないが、不思議と手に馴染む一つの武器。その形状は騎士剣程の長さ程の筒状の物で、北の強国グシオン連合国が秘密裏に開発している「小銃」と呼ばれるものだ。

 だが、厳密な事を言うならば、カイトが手にしている物は「小銃」ではない。そう断言出来るのは、どんな優れた鍛冶師でもこの武器をここまでの精度で作る事はまだ出来ないからだ。つまりはカイトが持っているイメージを、氷雪種が形として顕現しているに過ぎないのだ。

 それを説明するかのようにグシオン連合国の銃とは違い、手にした氷装具は先端に刃渡り二十センチほどの透き通った短剣が装着されており、接近戦まで可能な優れものだ。この発想は、とりあえず銃と呼ばれる武器を作ろうとしている鍛冶師にはないだろう。

 そういう意味では大陸の最先端を突き進む武器を、地面と平行に構えたカイトは迷わず引き金を引く。

 その瞬間、雪原に轟いたのは鼓膜を破壊する程の轟音。

 氷装具に装填された氷弾を解き放った際に出た爆音である。放たれた氷の弾丸はボウガンから射出される矢の速度を軽々しく凌駕して、ソフィを狙う突撃槍に向けて、狙い違わず突き進んでいく。

 ――刹那。

 鳴り響いたのは、どこまでも澄んだ音色。氷弾と赤き槍が空中でぶつかり削り合い、その結果砕け散った音色だった。

(……何とか当てれた)

 とりあえずの危機を救ったカイトは両足を前へ、前へと押し進めながらも安堵の息を吐く。

「カイト! 舞姫を退けるまで油断するな!」

 しかし、それを「良し」としない団長の声が即座に背へと届いて。

 カイトは休まず動く体はさらに前へと進ませる。だが、ふと疑問に思う事もあって。確認のために、そっと振り返るカイト。

 届いた声があまりにも近かったためだ。その答えは振り向いた先に、見慣れた礼服があった事ですぐに分かってしまう。

(……本当にこの人は)

 どうやらカイト一人で突撃させるのが心苦しかったらしく、彼だけは後に続いてくれたようだ。それは嬉しいのだけど、相手は隣国で「神」として祀られる程の実力者な訳で。ただの一般人である彼では戦いにならないのではないだろうか。

 そんな想いを、瞳を重ねただけで理解したらしいアールグリフは――

「心配されるほど老いてはいない」

 胸の内を明かすと共に、カイトを追いこす勢いで雪原を駆け抜けた。

 そんな彼の正面に立ち尽くしているのは、真紅の甲冑を身に纏った少女。初めて見るが、彼女が「血染めの舞姫」と呼ばれる存在だろう。

 そんな彼女との距離は足を止めずに駆け抜けた事もあって、すでに三十メートル。ボウガンならいざ知らず、世界最速の攻撃を避ける事は難しい距離だろう。

「援護するから――死なないでよ!」

 もはや止める事は不可能と判断したカイトは、焦る心を落ち着かせて引き金を引き絞る。それと共に零れ落ちるのは記憶。戦っている中で消えゆく記憶の一つずつを確認する事は出来ないが、失う事に対しては今でも慣れはしない。

 だが、戦場で震えている訳にもいかず。

(……逃げては駄目。ソフィはすぐ側にいるんだから!)

 自身を心中で叱咤したカイトは記憶の詰まった氷弾を青い瞳で追っていく。

 空気を切り裂くような氷弾はカイトが意図した通りに、アールグリフの右隣を横切っていく。しかし、カイトはその事実だけを確認して、もう一度引き金を引き絞る。

 ただの一発で倒せるなどと思う程に、自身の力を過信してはいないからだ。その判断は正しかったらしく。

 舞姫は自身に向けて突き進んでくる氷弾を、右手で握る突撃槍を振り上げて粉々に破砕させて見せた。

 しかも、それだけではなく。今まさに眼前へと迫ったアールグリフの騎士剣を、左手で握った刃で彼女から見て右から左に横薙ぎに払う事で受け止めた。その動きからは焦りというものは窺えず、迫る危機を淡々と受け流しているようにも見えるだろう。

 そう。

 まるで一定の流れに沿って、動いているように見えたのだ。だからこそ、舞姫と呼ばれているのだろう。だが、その流れるような舞いも、今はアールグリフの剣を受け止める事で止まっている。

 そこへ飛来する物といえば、後方で展開する傭兵団の右翼、左翼が放つボウガンの矢と、カイトが放った氷装具の弾丸だ。ボウガンの矢は蠢く霧によって凍結してしまうために、届く数は些細な数だろう。しかし、同じ氷雪種の力を基礎にしている汚染者の弾丸ならば彼女へと届く筈だ。

(どこまで効果があるのか……分からないけどね)

 今まさに舞姫に触れる寸前の弾丸を視界に収めたカイトは、氷装具を握り直して心中で呟く。叶うならば、この一発で戦いが終わる事を切に願って。

 ――だが。

 舞姫はそんなカイトを嘲笑うかのように、口元を吊り上げた。

 今まさに防ぎきれなかったボウガンの矢と弾丸が迫っているというのに。その不可解な様子はカイトに底知れぬ恐怖を植え付ける。人では決して彼女には敵わないのだと、そう心に刻み込まれたような気がしてならない。

 しかも、それは現実のものとなって証明されてしまう。確かにその場にいた筈の舞姫が赤き霧となって霧散したのだ。当然、霧を貫いた矢と氷弾は舞姫に傷をつけてはいない。

「……嘘でしょ?」

 前面に展開された光景を目の当たりにしたカイトは、全身の震えを止める事が出来なかった。

 確かに彼女達がその身を霧散させる事は知っている。カイトはソフィが霧となって消えてしまう所を見た事があるからだ。しかし、こんな人離れした光景に普段から戦っている者ならばいざ知らず、ただの臨時要員に慣れろという方が無理な話だった。

 ただの氷雪種ならば、この手で仕留めた事はある。だが、眼前にいる彼女は全くの別物で。

(……勝てない)

 カイトは素直にそう思った。

 しかし、それでも震える足を前へと押し進める。耳障りな歯と歯が噛み合う音を身近に感じながらも。傍目から見れば殺されにいくようなものだが、その死地には一人の男が立ち尽くしている。

 蠢く霧に触れただけでも即死してしまうにも関わらず、悠然と立ち尽くしているのだ。

「カイト。すまないが……時間がない。次で決めるぞ」

 それだけでなく、彼はカイトが「勝てない」と思った相手に勝つつもりでいる。

 それは苦し紛れの言葉ではなくて、彼の穏やかな茶色の瞳には確かな意志が感じられた。言葉通りに次で決めるつもりなのだろう。

 その言葉に挑発されたのか、それともただ姿を現しただけなのか。それは分からないが、舞姫はアールグリフの左隣に再び姿を現す。

 目標となる相手を霧にて包囲し、突如として姿を現すと共に奇襲する。それは舞姫が強敵と戦う際の常套手段なのかもしれない。

 だが、それは確かな効果を発揮したようで。アールグリフのような戦い慣れた者でも、このような特異な攻撃には対応しきれないらしく、突き出された槍を受け流すだけで手一杯という様子だった。

(……僕がやらないと)

 もうこれ以上は彼に頼る訳にはいかないカイトは、雪が覆う地面に足を取られながらも疾走する。銃という武器が接近戦ではなく、遠距離で扱う武器だという事は重々承知している。しかし、次で確実に仕留めるためには接近する他に手段はないように思えたのだ。当然ではあるが、接近すればする程に命中率が向上するからだ。

 次の瞬間、迷いを振り切ったカイトを見つめたのは二つの瞳。

 一つは新たな脅威に反応した赤き瞳。そして、もう一つは待っていたと言わんばかりの穏やかな瞳だった。

 ――殺気と期待。

 真逆と言ってもいい異なる視線を受け取ったカイトは一つ深呼吸をして、氷装具を左手でしっかりと握り締める。引き金に指をかけている右手ではなくて、氷装具を支えるために添えている左手に力を込めたのは、咄嗟の事態に備えるためだ。

 咄嗟の事態。

 それは舞姫が目標を突如カイトに変更する事。または別の攻撃手段にて攻撃してくる事だった。

 存在そのものが未知なる存在なのだ。少々用心深い気もするけれど、予想が出来ないような手段を用いる可能性も視野に入れるべきだと判断したのだ。

 しかし、その用心深さがカイトの命を繋ぎ止める。

 まさに可能性の一つとして懸念していた事が、眼前に展開されたからだ。しかし、展開されたと言っても最初は鮮血色をした霧が、カイトの前方と左右に蠢いただけだった。

 だが、その霧は舞姫の姿を形作るだけではなくて、彼女の手にしている刃も形成するものであって。そこまで理解しているならば、舞姫の取る攻撃手段は幾らか想像可能だった。

(彼女が空に形成するものは……槍だよね)

 見てからでは間に合わないと判断したカイトは、姿勢を低くすると共に雪原を蹴りつける。数秒という僅かな時間のみを思考に回しただけの小さき汚染者は、難なく左右から攻城兵器さながらに射出された突撃槍を前進する事ですり抜けて。

 次の瞬間には短い叫び声を上げると共に、目と鼻の先に肉迫した凶刃を氷装具の先端に装着された氷の短剣で横薙ぎに振って弾き飛ばす。

 しかし、さすがに短剣で射出された突撃槍を吹き飛ばすには無理があったようで。カイトの両手には言いようのない激痛が駆け抜ける。

 だが、その程度の痛みが何だというのだろうか。

(……ずっと痛かった)

 ソフィが隣にいない事が、汚染者として差別される事が痛かったのだ。

 痛いのは体ではなくて、心だったけれど。それでも、こんな両手が痺れる程度の痛みではなくて、もっと全身を引き裂かれたように心が痛かった。

 その痛みと比べれば、この程度の痛みが何だというのだろう。こんな痛みで立ち止まるのならば、今はこの場にいない。

 その想いをカイトは眼前にて団長と刃を交えている舞姫へと、蠢く霧から射出された十本の突撃槍を氷弾によって、全て弾き飛ばす事で証明して見せる。

 そんなカイトを信じていた団長は――

「迷わず放て!」

 鋭い声を張り上げた。

 それは有無を言わせない命令。普段であれば抵抗を示していただろうが、今のカイトは不思議と素直に従ってしまう。

 すでに舞姫との距離は五メートル。

 銃という武器を使うにはあまりにも近い距離。しかし、この距離ならば外す事はないだろう。

「霧に――戻って!」

 絶対の自信を持ったカイトは全てを終わらせ、そして彼女を取り戻すために氷装具の引き金に指をかける。

 舞姫が霧に変わるよりも回避の動作に移行するよりも速くに、想いと記憶が詰まった氷弾が届く事を祈って。

 ――だが。

 カイトの全てが詰まった氷の弾丸は、一瞬の時間だけ及ばなかった。

 舞姫は射出した突撃槍をカイトが掻い潜ってくる可能性すら予測していたようで、早々にアールグリフから距離を開けたのだ。

 そんな彼女は氷弾をすでに見てはいない。赤き瞳が見つめているのは、戦いに慣れた団長のみだった。それもその筈で、カイトが放った氷弾は両者の間にある空間を横切るだけに過ぎないのだから。

 カイトは唯一の好機を虚しくも取り逃がしてしまったのだ。

 だが、それでもカイトは諦めない。最悪は先端についた短剣か、それとも氷装具自体で殴打する事も出来るのだから。半ば自棄になっている気もするけれど、命が掛かっているのだから何をやってでも生き延びたいと思う。

 そんなカイトの考えを、もしかしたら彼は知っていたのかもしれない。そう思ってしまう程に団長の動きは速かったのだ。つまりは、無茶をしてカイトが命を落とすくらいならば、自身が命を掛けた方がいい。そう言っているかのような行動だったのだ。

 その結果、鳴り響いたのは二つの音色。

 一つは甲冑の破砕音で、もう一つは物体が凍りつく渇いた音色だった。

 前者はカイトが放った氷弾が舞姫の腹部を貫いた音で、後者は退避が間に合わなかった舞姫の突撃槍を無謀にも左手で引き寄せた団長の手が凍りついた音だ。

 アールグリフは自身の片手を捨てて、カイトの道を切り開いてくれたのだ。舞姫を退けて、そして大切な人を取り戻すための道を。

 正直な事を言うならば、こうして冷静に物事を見てしまう自身に吐き気を覚える。しかし、彼が命を掛けて作った道を進まずに止まってしまう自分はもっと許せなくて。

 カイトは意味を成さない叫び声を上げると共に、狙いもつけずに引き金を引き続ける。当然、狙いは氷弾を受けて半歩後退した舞姫だ。

 氷弾が直撃した腹部からは血を思わせる鮮血色の霧が溢れている所を見ると、致命傷ではないが効果はあるらしい。ならば、続けて氷弾を撃ち込めば撃退出来ると思ったのだ。

 その予想はどうやら正しいらしく。腕に足を貫いた氷弾は舞姫の体から目に見えて霧を立ち昇らせているようだった。

 あと一押し、そう思った瞬間。

「後は……何とかする。お前は俺の左腕を斬り落としてから進め」

 いつの間にか目的を違えてしまっているカイトへと、諭すような言葉を届けたのはアールグリフだった。そして、彼に賛同して舞姫へと絶えず矢を放つのは傭兵団の皆。

(……行ってもいいの?)

 こんな状況で自分を優先してもいいのだろうか。

 そんな疑問が胸を駆け抜ける。けれど、その迷いは――

「さっさと行け! 間に合わなくなる」

 再び上がったアールグリフの声によって、霧散した。

 なぜそこまで彼が時間を気にするのかは分からない。それにどんな道を選んでも間違っているような気がする。ならば、自身の胸にある確かなものを信じる以外に道はないように思って。

「――ごめんなさい」

 カイトは謝罪の言葉を届けると同時に、右手のみで氷装具を保持すると。

 氷の結晶へと変わっていく彼の左腕を、正確に言うならば左上肢を腰に吊った鞘から解き放った騎士剣によって綺麗に両断する。この方法以外にアールグリフを救う方法がないからだ。

 だが、切断した確かな手応えと、頬だけでなく胸にまでこびりついた付いた血はカイトの心を確実に破壊せしめた。敵だと認識した相手、特に仲間を殺めた相手を斬ったならば、まだ良心が許してくれる。

 しかし、先ほど切断したのはカイトの事を想ってくれる人の腕で。浴びた血の生温かさは、そのまま彼の優しさのように思えたのだ。

 叶うならば悪い夢であって欲しいと思った。それでも、頬を流れる液体は嘘偽りもない本物で。カイトは一生をかけても償えない大罪を犯してしまったように思えてならない。

 心の中で、もう終わりにしようと囁く声が聞こえる。もう十分に傷ついたのだから、誰も咎めはしないのだと。そうして、カイトの全身を止めようとする声が聞こえてくる。

 これは自身の心の弱さが原因で聞こえる言葉。それでも、今はどんな言葉よりも強烈だった。この言葉に負けて、カイトは止まってしまうような気がする。

 しかし、それでも体は動いてくれた。自身の青い瞳は真紅の突撃槍に貫かれても、なお生きようと抗う少女に注がれていたのだ。

 だからこそ、カイトは動く事が出来た。全ての罰はソフィをこの手に取り戻した時に受ける覚悟を持つ事が出来たのだ。

 だからこそ、叫ぶ事が出来たのだと思う。

「――ソフィ!」

 自身がずっと大切に想っている人の名前を。

 そして、その人を救うためだけに禁忌の力を解き放つ事が出来たのだ。ただ無我夢中だっただけなのかもしれないけれど、言葉には出来ない複雑な想いを込められた記憶の弾丸は確かに雪原を切り裂いて。

 氷が砕け散る渇いた音色を響かせたのだった。


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