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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第二部 もう一度あなたを抱きしめたくて
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第一話 (五)

 眼前を埋め尽くすのは強風によって、空へと舞い上げられた雪だった。

 早朝は気にもならなかったというのに、昼を過ぎた頃から急に勢いを強めたのだ。たまたま吹雪に見舞われただけに過ぎないのだが、こうも計ったようなタイミングで進路を阻まれると、人ではない「何か」の力が働いているのではないかと思ってしまう。

 そう。

 例えば他国から「血染めの舞姫」と呼ばれている、クエリア神国が信じる神に近しい力を持った何者かが歩む足を鈍らせるために気象すら操ったのかもしれない。

 おそらく、神という存在を信じていない者が聞いたならば嘲笑を浮かべるような思考だろう。しかし、皆とお揃いの藍色のローブを身に纏った少年、キルアは自身の思考は正常だと信じている。

 赤き甲冑を身に纏う自身の神は人の力を凌駕しており、あの憎き者達に断罪を下してくれる。人を駒としか思っていない人の皮を被った悪魔である教皇に断罪を下してくれるのだ。

 もうあの悪魔の命令を聞いて、人を殺める事も仲間が無残に死ぬ事もない。キルア達には希望の光と言ってもいい、戦の神が味方についているのだから。

 もう自分達は自由なのだ。元はフィーメア神国の住民であった事を思えば、故郷を滅ぼす事となってしまうのは良心が痛む。

 だが、人の皮を被った悪魔をこれ以上野放しには出来なくて。

「我らの神は……この先ですか?」

 勢いを増した吹雪に負けないように、男性にしては高めの声を隣に歩く者へと届ける。

 キルア自身もそうだが、フードを目深に被っているために表情は窺えない。

 しかし、まだ十代半ばである成長途中のキルアとは違って、彼の体付きは一言で言うならば戦士の肉体。時折、ローブから覗く腕はキルアの二倍はありそうな程に太く、胸板は何かが仕込まれているのではないかと思う程に分厚い。

 まさに戦士としては理想的な体格をしているといえるだろう。我らの神を支える戦士になりたいと願うキルアにとっては、まさに目標とするべき人物だった。

 しかし、彼はキルアの事など眼中になくて――

「翌日には合流出来るだろう」

 冷徹ともとれる淡々とした言葉を返すのみだった。

 しかし、キルアは不快には思わない。こうして憧れの人物と会話出来ただけでも喜ばしいと思ってしまう程で、自身のまだ幼さが抜けない表情は自然と緩んでしまった。

 正直な事を言うならば、被っているフードによって表情を隠す事が出来るのは良かったと思う。目標とする人物に「話せただけで満足」だと思い、気を抜いている所など見せたくはないからだ。

 しかし、これで会話が終わりというのは味気ない気がして。

「――敵は動くと思いますか?」

 再び問いを投げてみる。

 しかし、この問いを投げるのは、もう少し慎重であるべきだったのかもしれない。

 そう思った理由は、総勢五千を要するクエリア神国の者達の様子が一変したからだ。ある者は内に溜めた怒りを両の眼に宿らせ、ある者は身に刻まれた痛みを思い出したのか肩を震わせている。フィーメア神国によって地獄を見せられた者達は、彼らを八つ裂きに出来る機会を待ち望んでいると言っても過言ではない。

 その機会が迫っているというのだから、黙っていられる訳はないのだ。

 そして、それは彼も同じなのだろうか――

「当然、動くだろう。彼らにとっては……我らの神は危険だろうからな」

 返した言葉はどこか固くて、普段は淡々と話す彼にしては珍しく感情が入っているような気がするが、その感情の正体が何であるのかは幼いキルアには分からなかった。

 だが、その疑問も徐々に薄れていって。

「そうなんだ。やっと……この胸に溜まったものをぶつけられるんだ」

 キルアの心を埋め尽くしたのは怒りだった。

 どうやら周囲の感情に影響されて、自身を制御する事が出来なくなってしまったようだ。これでは獣と何ら変わりはないような気がするが、今はそれでもいいと思う。

 この恨みを晴らすまでは人としての道は歩めないと思うから。その途中で「狂信者」と呼ばれたとしても構いはしない。むしろそう呼ぶ者を一人残らずこの世界から消し去りたいと思う。

 そうしなければ心が晴れる事はないのだ。そんなキルアの心を彼は分かってくれるのだろうか。そう疑問に思ったキルアは、フードによって隠された漆黒の瞳を右隣へと送る。

 すると、彼は視線に気づいたようで。

「存分に力を振るうといい。俺も……俺の心を満たすために全力を尽くそう」

 言葉を返すと共に、しっかりとキルアを見てくれた。

 しばし重なったのは漆黒の瞳と、彼の燃えるように赤い瞳。

 その瞳から受け取ったのは真摯な気持ちで、何か根拠がある訳ではないが信じるに値する瞳だとキルアは確信した。もしかしたら、自身は情に流されやすいのかもしれない。

 だが、それもいいかと他人事のように思う。

 この道を選ばずにフィーメア神国に残っていたのならば、少年少女だけで組織された部隊の一員として北の強国へと進軍していた事だろう。少年少女だけの部隊など戦力になるのかと思うかもしれないが、実は侮れない効果がある事を今では知っている。

 如何に屈強な兵士でも、まだ成熟していない少年少女を殺し続ければ、いつかは心が壊れてしまうからだ。体の傷は治せるけれど、心が壊れた兵は二度と戦場に立つ事は出来ない。それを知って、あの悪魔は少年少女だけの部隊を平気で作る。

 自身は手を汚さずに、人の心を壊し続けているのだ。フィーメア神国の勝利のため。そう言えば聞こえはいいかもしれないが、物事には限度があるような気がする。

 キルアからすれば教皇の方が狂った者に見えてしまう。そんな者の命令を聞いて命を散らそうと思う事は出来ない。

 ならば、今の方が幾分か増しなのは言うまでもない。どんな形であれ、今は戦う理由があるのだから。どれだけ愚かしいと言われようとも、自身が信じる神のために武器を取れるのだ。

 そして、瞳を重ねてくれた憧れの人のために戦う事が出来る。それは、絶望に身を投じたキルアにとっては唯一の救いであるように思って。

「全力で。ただ……自身が信じたい事のために」

 キルアは心に浮かんだままを言葉に変える。

 それと共に。ただ成すべき事を成すために、鋭い一歩を踏み出した。



 都市サーランドを出て、約十二時間。

 時折、小休止を挟みながらも一定のペースで進んでいくのは傭兵団シュトゥルム・ステイトだった。約半日を移動に費やしている現状ではあるが、灰色のコートで身を包んでいる者達の中からは一言の文句も出てはいない。

(……慣れか。それとも恐怖がそうさせるのか)

 その理由を逡巡したアールグリフは心中で呟いて、団員に瞳を向けていく。

 戦いを生業としているだけあって彼らの中に陽気な者は少ない。だが、本日は必要以上に会話が少ない気がする。それだけでなく、茶色の瞳に映り込んだ彼らの表情は皆固いような気がしてならない。ただの気のせいだと片づけられればいいのだが、一目見ただけで分かってしまうというのだから心配にもなってしまう。

(……一度、気持ちの整理をさせた方がいいな)

 その心配を拭い去るためにもアールグリフは声を上げるために、凍てついた空気を肺へと取り込んで。

「進路を北に。本日はここまでにする」

 気が変わらない内に素早く指示を飛ばす。

 雪原を駆け抜けた声を受け取った団員は一度表情を緩める。僅か数瞬の変化ではあったが、その変化を見逃す様な者は人を率いる資格はないとアールグリフは思う。と言っても、総勢二百名の団員だからこそ出来る事であって、千人規模の部隊となればそれも難しいのだろうが。

 しかし、今は率いている者達だけの事を考えればいい訳で。どうやら気持ちの整理をさせるという判断は間違ってはいなかったらしい。

 その事実に安堵したアールグリフは、一度安堵の息を吐きだす。おそらく誰も自身の事を見てはいないと思っていたのだが。

「皆の事……よく見ているんだね」

 左隣から見上げる視線と、透き通った声がアールグリフへと届けられた。

 アールグリフは元々長身ではある。だが、屈強な戦士が多い傭兵団の中で見上げられる事も、そして、こんな「少女」のような声を出す者も少ない。当然、誰に声を掛けられたのかはすぐに分かって。

「それが仕事みたいなものだ。それに、自身の財で作った傭兵団だとしても……団長は私だからな」

 視線を左へと向けると共に言葉を返すアールグリフ。

 言葉を受け取ったカイトは、アールグリフの半分にも満たない小さな手を顎へと当ててしばし考えているようだった。人の上に立った事がない者にとっては、こちらが自然だと思っている事も想像しにくいのかもしれない。

 その予想が正しかったのかは分からないが。

「そうなんだ。僕の事を必要以上に気にしてくれるのも……臨時要員だから?」

 カイトはどこまでも澄んだ青い瞳を、アールグリフの瞳へと重ねて問うた。

 周囲から「汚染者」と呼ばれているカイトだが、一体どこが汚染させているというのだろうか。こんな澄んだ瞳を持った者など、アールグリフは片手で数えられる程しか知らない。可能ならば、この瞳が世界の冷たさによって曇る事がないようにしていきたいと思ってしまう。

 だからこそ、必要以上に構ってしまう。もしかすれば、煩わしいと思っているのかもしれないが放って置く事など出来ないのだ。

 これは父親の心境に近いものがあるかもしれないが、両親を失っているカイトの父親代わりを務めるのも悪くはないと思っている。当然、当人の意思も大切なのだが。

 その想いを伝えるかどうか。しばし迷ったアールグリフだったが。

「お前は危なっかしくて放っておけんからな。臨時要員でなくても……気にしていただろう」

 心の内にある素直な言葉を届ける事にした。

 年齢を重ねると胸の内をなかなか語れないものだが、なぜかカイトの前では素直になれるから不思議だ。

 そんな事を考えながら緩やかな傾斜を登っていくアールグリフ。

 そして、その背中を追いかけるように登ってくるのは、小さな体に強い想いを込めたカイト。強い気持ちは前へと進む力になるのだろうが、いつか内なる器を超えた想いはカイトの体を破壊してしまうような気がしてならない。

 しかし、そんな危険がある事を分かっていないのか。

「心配される程に……弱くはないよ」

 カイトはアールグリフの背中に強気に言葉を返した。

 自身は大丈夫なのだと。そう言外に言っているような気がする。そういう所が危なっかしいと思ってしまう理由なのだと、本当に分かっているのだろうか。

 おそらく分かってはいないのだろうと、アールグリフは一つ溜息を漏らす。

「なにかな? その溜息は?」

 少々わざとらしかったようで、漏らした溜息に気づいたカイトは背中に言葉を届けた。しかし、それを無視したアールグリフは視線を前へと送る。

 本日、一時的に厄介となる丸太を組んだだけの一軒家が並ぶ集落へと。

 雪が降る事が多いフィーメア神国では野宿する事が事実上不可能なために、一夜を過ごすための簡易的な家々が用意されているのだ。と言っても数には限りがあり、目視で確認出来る数は二十程か。

「十人ずつに分かれて――三人ずつで見張りを立たせるように!」

 微調整は必要だが大まかな指示を伝えるために、アールグリフは再度声を張り上げた。

 団員は了解を示すために、各々が片手を上げる。これで本日における団長の仕事は終わりだろう。

 ――そう思った瞬間。

 背後から睨むような視線を感じて、なぜか嫌な汗が背を伝った。

 現在の天候は吹雪。前を歩く者すら判別しにくい程に雪が舞い、コート一つでは身が震える程だというのに汗が伝ったのだ。

 その原因たるカイトは――

「子供扱いしなくてもいいのに」

 何故か拗ねた子供のような言葉を呟いていた。

 どうやら無視されたのが気に食わないらしい。普段は距離を取りたがるのに、時折心を寄せてくるカイト。おそらく、どちらも本音なのだろう。

 だが、相反する想いをぶつけられるアールグリフからすると、対応に困る事があるのは事実だった。しかし、この程度の手間ならば気にする程度の事ではなくて。

 後で不平不満くらいは聞いてあげようと思ったのだった。


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