第一話 (四)
都市サーランドのメイン通り。
それは都市の中心に位置する大聖堂から、それぞれの方角に位置する門へと緩やかに下る傾斜となって続いている。その傾斜を東の方角に向けて早足で下っていくのは、灰色のロングコートを身に纏った一団。
しかし、緩やかと言っても砂色の岩が引き詰められた坂道の所々には雪が降り積もっており、慣れた者であっても滑る危険性があるのは言うまでもない。
だとしても、総勢二百名を誇る集団の足は緩む事はなかった。仮に滑ったとしたら、坂道の終点まで転がってしまう事を知っていても、歩む足を止める理由とはなり得ないのだ。
そうまでして足を止めない理由は、彼らの足取りを都市の住民が見ているからだ。と言っても、坂道の左右に建てられた住居の窓から盗み見る形なのだけど。
しかし、見られているという事には変わりなくて、今後の仕事を獲得するためには存在を誇示する必要があるという訳だ。
しかし、それは臨時要員であるカイトにとっては重要ではない。ただ食べていくだけならば鍛冶の仕事だけでも十分だからだ。
しかし、今のカイトには急ぐ理由がある。
上手く言葉では言い表せないが、何か言いようのない不安が胸を覆い尽くしているからだ。ただの一般人であれば「勘が鋭い」と言われるだけだろうが、胸の内で騒いでいるのは別の部分。言うならばカイトの内にある「氷雪種」が騒いでいるのだ。
(舞姫がいるから……それとも?)
可能性があるとしたら氷雪種に近い存在である舞姫に反応しているのかもしれない。だが、もしかしたら姿を消した「彼女」に反応しているかもしれないのだ。
これはカイトが「彼女」を求めているからこその胸騒ぎなのかもしれないが、それは確認して見なければ分からないだろう。
その想いは知らず知らずの内に両足へと伝わって。灰色の集団の中で、ただ一人真っ白なロングコートを身に纏ったカイトは列を乱していく。
横に五人ずつ並んだ列の中頃。つまりは二十列目にいたカイトは、気づいた時には十列目にいた。しかし、騒ぐ心はまるで静まってはくれなくて。
ほぼ先頭と言っても過言でない三列目まで来た所で声を掛けられる。
「白犬。これ以上は進むな」
声を掛けたのは傭兵団を率いるアールグリフだった。
一人だけ特異な格好をして、列を乱していれば自然と目立ってしまうのだろう。声を掛けられるのは必然であったのかもしれない。
そして、今は団を預かる身だからなのか、その声は先ほどと比べると冷たい気がする。それは呼び方が変わったからなのかもしれないけれど。
しかし、注意されたくらいでカイトは止まる事は出来なくて。
「いるかもしれないんだ。だから……」
胸の中で暴れる想いを口にする。
今は一秒でも惜しい。早く彼女がいるのかどうかを確かめたいのだ。
そして、叶うならばこの胸に溜まった想いを伝えたい。あの小さな体をもう一度抱きしめたいのだ。
この想いを彼が知っているのかどうかは知らないけれど、今は単独で動く事を許して欲しい。しかし、あまりにも焦った心は必要以上に注意を散漫にしたようで。
雪が溶けて滑りやすくなった坂道を、硬質なブーツで蹴った瞬間に視界が急速に動いた。
「――しっかりしろ」
それと同時に届いたのは、アールグリフの淡々とした言葉。
そして、滑って前のめりに倒れそうな体を、正面から抱きしめるようにして受け止めてくれたのも彼だった。
カイトは彼の胸板に体を預けるような形になってしまったのだが、あまりの固さに驚いてしまった。貴族である彼が、ここまで体を鍛えているとは思ってもいなかったのだ。
女性であるカイトがどれだけ鍛えてもこの逞しさは得られない。汚染者という化け物であっても、体格や腕力では決して男性を超える事は叶わないのだから当然だ。
そんな事をおぼろげながら考えていたのだが。
(……これはまずいよね)
こうも密着していると女性であるとばれてしまうと思ったカイトは、一度深呼吸をして心を落ち着かせていく。
しばし言葉を選んだが――
「ありがとう。気をつけるよ」
カイトは薄っすらと微笑みを浮かべて、自然な言葉を返す事にした。
変に騒いでしまうのは怪しまれるだけだと思ったのだ。
だが、これ以上密着している理由はないため。汚染者に触れる事を警告する意味も込めて、彼を両手で突き飛ばす。これは触れれば氷の結晶となってしまう事を思えば、そう不自然ではないだろう。
それを説明するように。
「衣服越しならば……力の影響はないのではなかったか?」
アールグリフは滑りやすい坂道で器用に態勢を整えながらも問う。
周囲の者も彼の言葉のおかげで、団長を氷の結晶にしてしまう事に焦ったのだと理解してくれたようだ。
(……やはり知ってるよね)
やはり彼はカイトが「女性」だと知っているのではないかと思ってしまうが、今はこの流れに乗るのが賢い選択で。
「そうだけど……扱い方を間違えると衣服越しでも効果があるよ」
カイトは衣服を整えながら、言葉を返す。
と言っても、さすがに彼の瞳を正面から見る事は出来なかったのだけど。今も彼が好んで吸う葉巻の香りがして、変に意識してしまう。
(……女性である事は忘れたつもりなのにな)
人に触れられないカイトは恋愛など出来ない。
だからこそ、唯一の家族である「ソフィ」の事だけを考えていたというのに。
しかし、どうも彼と関わっていると女性の部分を刺激されてしまう。どうせ他者を愛すなら義理の妹であるソフィを愛していたいのに。あの小動物を思わせる彼女を一日中愛でていたいというのに。
だが、彼女はここにはいない。こんなにも想っているのに側にはいないのだ。徐々にアールグリフからソフィへと思考が移行しつつある中で。
「カイト、お前はどうも危なっかしいな。俺の側にいろ」
安定しないカイトを見かねた団長が溜息を吐くと共に、一度自身の胸を叩いた。
どうやらカイトの保護者として側で面倒を見るつもりらしい。何度断っても、いつもこの調子なのだから困ったものだ。
それでも、彼以上に頼りになる人はいなくて。
「――ソフィを取り戻したい」
カイトは自身の目的を端的に述べる。
そんな事はすでに知っているだろうけれど、あえて伝えたいと思ったのだ。そうでなければ、彼も本気で助けようとは思わないだろうから。
「心得ている。行くぞ、少年」
その気持ちに応えてくれたアールグリフは一度微笑む。
しかし、彼の述べた「少年」という言葉は、どこまでもわざとらしかった。そんな彼の様子に表情を緩めたカイトは迷いを振り切った一歩を刻み込む。
国のためでも、傭兵団のためでもなく。
ただ自身の目的のためだけに。その目的が徐々に彼らの目的と繋がりつつある事は感じている。でも、今は自分の事だけを考えようと思う。
(……ソフィ。もう一度あなたを抱きしめたいから)
ただ一途な想いのみを抱いて、傭兵団の一員となって進んでいく。そんなカイトの眼前に広がったのは、空から舞い降りた白が地面を覆い尽くす一つの雪原だった。




