第一話 (二)
カルティシオン大陸の北東に位置する国家の名は、フィーメア神国。
神国という名が冠されている事から幾分か想像出来るかもしれないが、国内にはこの大陸で一番巨大な大聖堂が建てられており、その大聖堂のトップである教皇が国の政治を司る宗教国家だ。
その宗教国家の現状は、北から五倍強の国力を誇る軍事大国に睨まれ、東に位置する別の「神」を崇拝する宗教国家との対立が続いている。他には交戦状態には突入していないものの、南と南西には聖王国という名を冠する両国が領土を拡張しており、一時の油断も許されはしない。
北と東に敵を持ち、なおかつ南にも西にも侵攻出来ない。冷静に見れば、勝利する他に生き残る術がない追い込まれた国家。
その中心都市サーランドの南西に位置する鍛冶屋の工房にて。
「これでいい?」
白を基調としたウェアと砂色のズボンという、有り合わせの服装をしたカイトは手袋越しに両刃の長剣を掴む。
うろ覚えだが、重量は気にしなくてもいいから出来るだけ切れ味がよい物を、という注文だった気がする。
「ふむ。結構だ。それでは……大陸一の鍛冶師の腕を見せてもらおうか」
どうやら注文内容に間違いはなかったらしく、アールグリフは騎士剣を受け取ると共に地面と平行に構える。
比較的扱いやすいとされる剣ではあるけれど、さすがに工房で振り回すのは止めて欲しい。だが、武人にとって武器は自身の命を預ける物。受け取ってすぐに試してみたいと思うのは自然な反応だろう。
それを説明するかのように。
カイトの背には炉が煌々と燃え、滝のように汗が流れているにも関わらず、彼は長剣を一度真っ直ぐに突き出し、次には横薙ぎに走らせる。もはや流れ出る汗など気にしてはいないようだ。
「大陸一の鍛冶師は聖王国ストレインの鍛冶師セドリックだね。それに僕よりも優れた鍛冶師なんて他にもいると思うけど」
もはや止める事すら諦めたカイトは、さりげなく受け取った言葉を否定する。
一人の鍛冶師としては悔しいが、ここフィーメア神国から南西に位置する聖王国ストレインの鍛冶師と、北に位置する強国グシオン連合国の鍛冶師にはまだ追いつけていない。武器一つが戦局を分ける時代ではないが、扱う者の技量が並んでいるのであれば扱う武器の差は致命的なものとなってしまうだろう。それは言うならばカイトが敗北したと言っても過言ではないのかもしれない。
「カイトよ。お前の作った武器は強度と信頼性に置いては一番だと聞く。過度な謙遜は時には嫌味に聞こえる事がある。よく覚えて置く事だ」
どうやら言葉だけは聞いていたらしいアールグリフは、銀閃を振り上げると共に言葉を返す。ここまで評価してくれる事は、国の命令に従って打っているとしても嬉しく思えてしまう。
さすがに声に出しては言わないけれど、頬はほんのりと紅潮している気がする。もしかしたら、ついつい微笑んでしまったりするのだろうか。自分の事だというのに、今どんな顔をしているのか分からなかった。
(……気付いてないよね)
カイトは慌てて表情を引き締めようとするが、自身よりも数十年長く生きた男は見逃してくれなくて。
「そうやって笑う方がいい」
薄っすらと口元を綻ばせて、アールグリフは呟いた。
(……敵わないよね)
先ほどまで剣を振り回していたと思ったら、ちゃんとこちらを見ているというのだから驚いてしまう。もしかしたら、彼はカイトが偽名を使っている事も、実は女だという事もとっくに知っているのではないだろうか。
と言っても、親の助けを借りずに生きるためには「男」であった方が、都合がいいために偽名を使っているだけであるので、ばれた所で生活が極端に変わる事もないのだけど。
そんなカイトの気持ちを知ってか、知らずか。
「剣も新調した事だ。そろそろ行くとしよう」
アールグリフは剣を予め腰に吊っていた鞘に納めると共にわざとらしく述べた。
これほどあからさまに言われると「どこに行くのか」と突っ込みたくなる。しかし、カイトは口を引き結ぶ。直感に近いものだが、何か厄介な事に巻き込まれる気がしたのだ。
しばらく聞かなかった事にしていると、アールグリフは一つ咳払いをしてから。
「……実は東の方で動きがあってな。教皇から傭兵団『シュトゥルム・ステイト』に偵察を命じられた。あくまで偵察だが……交戦の可能性が高いだろう」
何事もなかったかのように淡々と聞きたくもない情報を伝えてくる。
おそらくこれ以上無視しても結果は同じで。彼は独り言を呟くような形でカイトに必要な情報を与えていく事だろう。
(……どうせ聞くなら同じだよね)
この場を逃れる方法が思いつかないカイトは深い溜息を吐く。それから、言葉を発するために燃えるように熱い空気を肺へと取り込んで。
「東という事は……クエリア神国?」
息を吐きだすと共に必要事項を確認する。東から迫る勢力など、彼の国しかないために会話のきっかけを提示しただけなのだけど。
だが、その確認への返答はカイトの予想を超えていた。
「クエリア神国というよりも……舞姫が動いたようだ。偵察に向かった部隊は誰一人として帰ってこなかったと報告を受けている」
淡々と語る彼の言葉から、聞きたくもない名前が出たからだ。
聞きたくもない名前とは「舞姫」という単語だ。その響きだけならば、フィーメア神国に関係がない者が聞いたならば、おそらく何の恐怖も感じないだろう。しかし、現実はそんなに優しくはなくて。
「だから……僕の所に来たんだね」
カイトは声を震わせながら、彼へと確認する。
その確認に対して、アールグリフは一つ頷いた。言外に「拒否権」はないと言うかのように。偵察部隊をたった一人で殲滅出来る化け物に対抗するには、汚染者と呼ばれる化け物をぶつけた方が早いという事だろう。
それがよく分かっている、カイトは――
「それが……この国で生きるための条件なんだよね? 分かってるよ」
まるで他人事のように言葉を返した。
と言っても拒否権など最初からないのだ。フィーメア神国で「汚染者」が生きるためには国の命令には逆らえない。戦えと命令されれば戦い、武器を作れと命令されれば作る。この国にとってカイトとはそういう存在なのだ。アールグリフ以外の者が「カイト」という名前ではなくて「白犬」と呼ぶのは、カイトが白を好む事と、国に忠実な奴隷だからだ。
「そう悲しい事を言う者ではないな。カイト……お前も我らが傭兵団の一員なのだからな」
しかし、それを良しとしないのがこの男で。
純粋に汚染者を戦力として有無を言わさずに連行するが、どこかで人として扱おうとしてくれる。彼が「白犬」ではなくてカイトと名前で呼ぶのは、そういう意味が込められているのだろう。もしかすれば、この男がいるからこそカイトは自身を人として保っていられるのかもしれない。
それでもやはり素直になれないカイトは――
「仲間になってないよ。化け物が出た時の……臨時要員でしょう?」
見えない壁を作ってしまう。
心さえ開けば、彼は正式に仲間として扱ってくれるのかもしれないというのに。だが、世界から居場所を失った者からすれば敷居が高いように思う。
「ふむ。今はそれで構わん。行くぞ、臨時要員!」
おそらくそんな事はすでに分かっている彼は、カイトの背を一度強く叩く。どうやら気合を入れろという事らしい。
「叩く事ないのに……」
おそらく腫れている背中を気にしながら、カイトはその大きな背を追っていく。その手に白犬と呼ばれる所以たる、真っ白なロングコートを掴んで。




