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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第二部 もう一度あなたを抱きしめたくて
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第一話 (一)

第一話 氷結の歌姫と血染めの舞姫


 瞼を焼く様に照らすのは、一日の始まりを知らせる強き光。

 朝は得意ではないカイトにとっては、いささか強すぎる刺激だった。どうやら寝る前にカーテンを閉め忘れたらしい。

 こんな初歩的な失敗をしてしまう自身に溜息を吐きつつも、カイトは瞳を閉じたままゆっくりと上体を起こしていく。だが、その動きは思ったよりも鈍くて重い。まるでぬかるんだ地面に全身を埋めて、そこから這い出るかのように、ずっしりとした重さを感じたのだ。

 重さの原因はただ朝が苦手だからという訳ではない。先ほどまで見ていた夢が、カイトから確実に生きる気力を削いでいるのだ。

(何回目だろう……この夢)

 もはや数える事すら諦めてしまった、過去の記憶を辿る夢。

 時が経てば心の傷は癒えるというが、こうも頻繁に見てしまっては癒えるものも癒えはしないだろう。しかし、これでいいと思っている。

 自身の命よりも大切な人の事を忘れるなんて事はあってはならないのだから。それに、いつかはソフィを取り戻すつもりなのだ。あの日の出来事を忘れてしまった怠けた心では、この身は動きたくても動いてはくれないだろう。

 それならば毎日見ても構わない。それで心が壊れたとしても、再びソフィを抱きしめる事が出来るのならばそれでよかった。

 そう。

 毎日カイトに甘えてベッドに潜り込んで来た、あの愛しくて仕方がない義妹を取り戻す事が出来るのであれば、どんなに苦しくても耐えられるのだ。

「……起きないとね」

 自身が生きる理由を再確認したカイトは、確かな決意をもって瞳を開く。

 ――すると。

 予想通りに右側に見える窓を覆うはずだったカーテンは全開となっており、容赦なく眩い光が襲う。目覚めというものが嫌いな人間にとっては、まさに地獄のような体験だった。

 しかし、それもすぐに終わる。

 ようやく朝の輝きに瞳が慣れてきたのだ。その事実に安堵したカイトは無表情のままベッドから抜け出る。その様は上体を起こした際の緩慢なものではなくて、しっかりとしたもの。如何に苦手だろうと、体は勝手に順応してくれるという事だ。これならば朝から鍛冶の仕事をしても質が落ちる事はないだろう。

「よしっ――やろう!」

 あえて声を張り上げる事で全身に気力を充実させたカイトは、凝り固まった右肩を解しながらも一歩、二歩と自身の部屋を歩いていく。その歩みに従って、両親から受け継いだ築十年を超える家は悲鳴を上げる。

 いつか腐りかけた木の床を踏み抜いてしまうのではないかと不安にはなるが、当然建て替えるお金はない。それに今は「共に暮らす」人がいないのだから、建て替える意義もない。その人を取り戻したならば、隣の岩造りの工房と共に建て直すのもいいだろう。そこで二人でゆっくりと暮らすのだ。

 まさに夢の世界のような出来事に思考を走らせたカイトは、緩む頬を引き締める事は出来なかった。たったこれだけの事を思い浮かべるだけで至福の時を過ごせる。

 カイトはソフィさえいれば幸せなのだ。

 だからこそ取り戻す。どんな手を使おうとも、例え国の「忠犬」となろうとも。

 日々の生活にカイトという「個性」が見えなくなろうとも、彼女さえ取り戻せるならば他に望みはない。それが良いのか悪いのか、それは分からないのだけれど。

 そんな事を考えながら歩いていると。

 目と鼻の先には古びた木製のドアがあった。あまりにも考え事に没頭してしまったらしく気づくのが遅れたらしい。

(……重傷だね)

 そんな自分に呆れながら、ドアノブに手を差し伸べようとすると。

「起きているかね?」

 ドアの向こうから渋みを感じる中年男性の声が聞こえた。

 どうやらもたついている間に「客」が来てしまったらしい。まだ開店していないというのにせっかちなものだと思うが。

「起きてるから……少し待って」

 このまま放って置くのも問題だと思ったカイトは、外へと声を届けると共にドアを開け放つ。

 すると。

「早朝からすまない。少し急いでいてな」

 ドアを開け放った先にいたのは、一言で言うならば中年紳士だった。

 カイトの頭二つはでかい長身を、黒を基調とした礼服で包み、その上には渇いた墨のような色合いをしたロングコートを身に纏った男。名はアールグリフ・フォン・クレイスターといい、貴族でありながら傭兵団の団長でもあるという変わった肩書を持つ男だ。

「ちょうど……今ね。槍だっけ」

 自身よりも三十は年上の相手ではあるが、カイトは気にした様子もなく声を掛ける。

 商売をする上では年齢は関係ない。年上だからといって、下手に顔色を窺えば不利になってしまうという事は鍛冶屋を営んでから学んだ事だ。

 当然、相手を見て態度を変える事も必要ではある。特に偉ぶった貴族にこんな扱いをしようものならば、店を潰されてしまうだろう。

 だが、この男は違って。

「ふむ。君は優秀だが……少々、物覚えが悪いな。私が注文した物は長剣だ」

 特にカイトの態度を気にした様子もなく、肩まで伸ばされたウェーブがかった髪と同色である茶色の顎鬚に触れながら唸っていた。

 その顎鬚は口元で整えられた口髭共々整えられていて、彼の几帳面な性格を語っているような気がする。そんな気真面目な彼は、カイトが心配で堪らないらしい。

 それは嬉しくは思うのだけど、カイトはこの国にいる者に対して心を開く気はなくて。

「そう。なら、付いて来て」

 淡々とした言葉を返すと共に、台所と居間が一緒になった部屋を視界に収めずに歩いていく。向かうべきは、隣接した工房である。

 物さえ分かれば大よその検討が付くため、さっと渡して帰ってもらおうという事だ。

 ついでに言うならば、生活に使う一軒家の隣に鍛冶をするための工房を構えており、武器の類はそちらに全て保管している。

 おそらく彼はこの態度に対して不快に思うというよりも、さらに心配を深くさせるのかもしれない。それを証明するかのように。

「他人の好意くらいは素直に受け取ったら……どうかね?」

 アールグリフは温かみを感じさせる茶色の瞳をカイトの背中へと注いでくれた。

 まるで父親が子供を叱りつけるかのような言葉。人によっては大きなお世話だと思うのかもしれないが、カイトは彼の言葉を素直に「ありがたい」と思っている。

 叶うならば、もっと彼から人として多くを学びたいと思ってしまう程だった。

 出来る限り早く帰って欲しいという気持ちと、彼から学びたいという気持ち。

 自身でも矛盾しているのは気づいている。それでも、カイトは素直にはなれなくて。

「そうしたのは……誰なのか分かって聞いてる?」

 本来は国へと向けなければならない言葉を彼へとぶつけてしまった。

 アールグリフからすれば八つ当たりに等しい言葉であっただろう。おそらく十人いれば八人程はカイトという人間にこれ以上関わりたいとは思わないのかもしれない。

 しかし、どこまでもお人好しな彼は――

「私は汚染者であっても気にはしない。傭兵にとって信頼出来るのは……仕事が出来る者と裏切らない者だ。カイト……君はその両方を兼ね揃えている。違うかね?」

 真っ直ぐな言葉を届けてくれた。

 それだけではなくて、差別の対象である汚染者であったとしても、人として扱おうとしてくれる。

 世界の誰もが恐れる、触れたものを凍らせる氷雪種の能力。その力は生命あるもの全てに有効な力だと、一年と一ヶ月前までは思っていた。

 だが、この世界には「絶対」というものないらしく。

 カイトは氷雪種を形成する死の霧に触れたというのに、なぜか凍る事がなかったのである。しかも、それだけではなくて、まるで氷雪種になってしまったかのように、彼らと同じ能力が使えるようになってしまった。

 つまりは、カイトは触れたものから生命を奪う事が出来る。生命が無い衣類越しでは効果はないけれど、生身で触れてしまえば意図せずとも凍らせてしまうのだ。そんなカイト達の事を世界は――氷雪種によって汚された者――汚染者と呼んで差別をしている。自らと違う者を恐れ、排除しようとするのは当然の話ではあるだろう。

 しかし、好きでこんな体となった訳ではないカイトにとっては、世界の冷たさに愕然とした事を今でも覚えている。

 人と距離を取るのは、言わば自身の心を守るため。もうこれ以上失う事も、心が痛む事も嫌なのだ。

 だからこそ、返す言葉は決まっていて。

「仕事だけの付き合いにしてよ」

 もう何度言ったかも分からない拒絶の言葉だった。

 相手の好意を無下にするのは心を引き裂かれたような痛みを伴うが、信じた挙句に拒絶される方が痛いと思う。彼のような大人でも、カイトの力を目の当たりにすれば離れてしまうのは分かりきっているのだから。

「ふむ。他者との友情は……焦らず築いていくものかもしれんな」

 だが、彼は諦めていないらしく。

 穏やかな瞳を変える事なく、カイトの背中を見続けてくれる。その視線は言外に、いつかは心を開いてくれるという期待が込められている気がした。

(……どうすればいいのか分からないよ)

 信じればいいのか。このまま拒絶すればいいのか。

 その答えがカイトには分からなくて。まるで逃げるようにして、自身の家を飛び出した。


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