第一話 (四)
城塞都市シェリティアの南東部。
騎士または貴族の中でも、とりわけ上流階級に価する者達が住まう地域に建てられた豪奢な館の執務室で。
「確実に仕留めて下さい」
涼やかな声を漏らしたのは、礼服に身を包んだ貴族の男。王ラディウスの参謀役として数々の助言をしているカーマインである。
「参謀殿が……まさか姫の暗殺を依頼するとはな」
言葉を受けたのは、闇に溶ける様にして佇む一人の男。
引き締まった無駄なき体躯にピタリと合った漆黒の衣類を身に纏い、灰色の面を被るという姿は人間らしさ、または個性というものから逸脱しているように見える。
しかし、それは闇に生きる暗殺者の基本的な姿。ただ依頼された人物を殺して、生活の糧を得るという彼らの生きる姿だ。
執務室には他に人はいない。
いや、正確に言えば執務室へと続くドアの前には、カーマインが信用できる者を二名ほど控えさせてはいる。しかし、唯一の光源と言ってもいい窓を背に立つカーマインと暗殺者との間には執務用の机しかない。おそらく事が起きてからでは、外にいる者は間に合わない事だろう。だが、大金をまるで捨てるようにばら撒く貴族を、暗殺者が殺すとは到底思えない。他の対立する貴族が放った刺客であるのなら話は別だが。
そして、当然ではあるが依頼内容についても、次の仕事を得るためにも決して漏らす事はないだろう。
だからこそ心の内を隠すつもりはない。むしろ隠していた秘密を語りたくて仕方がない。そう思ってしまうほどだった。
「あの方は邪魔なのです」
浮かんだ欲求に従いカーマインは言葉を発する。
「ほう。まあ、俺のような者に仕事を依頼する者の理由だ。その程度のものだろうな。しかし、邪魔というのであれば……王ラディウスではないのか?」
言葉を受けた暗殺者は興味を持ったのか、それともただの暇つぶしなのか一度貴族に問う。
「いえ。ラディウスは確かに優れた王です。民を飢えさせない政治、そして強国グシオン連合国の介入を許さない油断のない軍事。王としての能力だけならば……おそらくこの大陸一でしょう。しかし、彼はただの凡人に過ぎません」
カーマインは、まるで大陸の流れが見えていない暗殺者に呆れて肩を竦める。
「その二つを兼ねそろえた王が凡人か。これは異な事を」
やはり分かっていない闇の者は溜息混じりに呟いた。正直どうでもいいとでも言いたげだった。
「ラディウスは、臣下を惹きつける王たる魅力に欠如しています。にも関わらず近しい者をすぐに信用してしまう。周囲を固める者が全て善良なる人間であれば成功するでしょう。しかし、そう上手くはいきません。いずれ臣下に裏切られて、この世を去る事は火を見るより明らかです」
カーマインは、常に無表情を張り付けている表情を歪めて断言する。
大陸一の男を殺すのが自身だと言うのだから、笑いを堪える事など出来る訳はない。そして、自身の行動一つで大陸の歴史が変わり、自国に戻った時は英雄として扱われる。
それを喜ばない人間などいる筈がないのだ。よほどの無欲な人間か、善良なる人間でない限りは。
「面白そうな所すまないが……話が見えぬ。まるで姫を殺す理由に結び付かんのでな。まあ、理由など分からずとも依頼通りに消すが」
愉悦に浸っていたカーマインに呆れ果てた暗殺者は身を翻してドアへと向き直る。もう話す事はないとでも言いたげな背中だった。
「あの姫は未熟ですが……人を見る目は確かです。命すら捨てる事を厭わない近衛騎士、揺らがぬ忠義を尽くす参謀。そして、次は切り札となり得る汚染者の少女を引き入れようとしています。もし狙ってやっているのであれば末恐ろしい少女です」
最後まで語りたいカーマインは暗殺者の背に向けて言葉を掛ける。
しかし、暗殺者は振り向く事なく、足音を鳴らす事もなく進んでいく。もはや頭には仕事の事しかないのだろう。
「まあ、仕事だけしてくれれば構いません。あなたのような低俗な者には決して理解できないでしょうから」
せっかくの講義を無下にした暗殺者に鋭利な瞳を向けて吐き捨てるカーマイン。
何か反応を返すかと思ったが、暗殺者は対話を拒絶するかのように気配を殺し、まるでこの場にいなかったかのように消えてしまった。
(まあいい)
カーマインは暗殺者の変わり様に若干戸惑いながらも心中で呟く。
仮にあの暗殺者が失敗したとしても、音に、想いに惹かれて、彼らが姿を現すのだから。それに今回は退けても幾重にも手は用意してある。いずれは倒れる事だろう。
「さて。結果を待つとしようか」
あえて言葉を発する事で平常心を取り戻したカーマインは、ゆっくりと椅子へと腰掛ける。そして、期待通りの結果が訪れる時を静かに待った。