エピローグ
エピローグ
王ラディウスの参謀カーマインによって仕組まれた、聖王国という名を掲げる両国の戦争。一時は前哨戦という範囲を超えて、全面戦争になるかと思われた戦いだったが、戦場を覆い尽くす白銀色の輝きのおかげで、最悪の事態だけは避ける事が出来た。
ある種の奇跡を起こしてくれた、真っ白な少女は以後姿を見せてはいない。そのため戦乱を集結されたのは新たな女王の平和を想う気持ちのおかげ、という事で幕を閉じたのである。
それ以降は、一言で言うならば「多忙」だった。
多くの兵を、そして要たる王を失ったストレインがやる事は数えれば際限なく出てきたためだ。新しく国を支える事となった女王イリフィリア・ストレインは、ほぼ不眠不休で復興作業に着手する事になったのは言うまでもない。
そんな彼女を支えたのは、新たな参謀ゼイガンと、アイザックの意思を継いだ将軍シオン、そして近衛騎士から隊長へと変わったアリシアだった。権力を持った者が大きく変わった事に反発があるかと思われたが、戦果をあげた三名の実力を疑う者は少なく自然と馴染んでいったように思う。
だとしても復興というものは上手くは進まないもので、特に氷雪種という未知なる獣によって人口が減ったこの大陸において、兵を集める事は至難の業だった。しかし、もう一つの聖王国たるルストとは同盟関係を結ぶ事に成功したため、南部に位置するリシェス共和には睨みを利かせる事が出来たのは幸いと言うべきだろう。
しかし、敵はリシェス共和国だけではなく、北のグシオン連合国に対抗する事が最終目的だ。そう思うならば、まだまだ油断できない状況である事は言うまでもない。
全ての者がやるべき事に追われた慌ただしい毎日を過ごしていたためか、ふと気づいた時には一ヶ月という時間が流れていた。
そんなある日――
「ようやく国らしくなってきたわね」
謁見の間に響いたのは、イリスのどこか安心した声だった。
「ええ。臣下だけでなく……民も新しい体制に慣れてきたようで。そして、騎士達もシオン殿とアリシア殿を認めた様子。目立った問題は見当たらないかと」
王の言葉にすかさず同意を示したのは、ゼイガンだ。
王の言葉には絶対服従というのが常だが、この参謀は間違った事を述べた際はすかさず突っ込んでくれる。お飾りの参謀は不要だと思っているイリスにはありがたい存在だ。
しかし、最終決定は当然イリスが下さねばならないのだが。
「問題はなし……ね。でも、そうは言っていられないわ」
「本日でしたな。リシェス共和国がどう動くのかは知りませんが」
問題はないと述べた参謀に対して、イリスは本日の懸念事項を口に出す。
だが、さすがの参謀も、窮地に追い込まれたリシェス共和国がどう動くのかは予想出来ないらしい。
全面戦争か、降伏か。はたまた聖王国に向けて、他国が侵略してくるのか。どれも漏れなく予想して、対策をとっておかねばならない事だった。
そんな事を考えていると――
「イリス。準備が出来たよ」
爽やかな声がイリスへと向けられた。
声に導かれて、深緑の瞳を前方に向けると。そこには真紅の絨毯を落ち着いた足取りで歩く童顔の騎士がいた。そして、その右隣を歩くのは軍法衣を身に纏う将軍の姿。
本日からリシェスに向かって、出兵する二人だ。
「ありがとう、アリシア。では、参りましょうか」
そして、さも当然な口ぶりで玉座から立ち上がったのはイリス。
目的はリシェス共和国の説得以外にはない。全面戦争という愚かしい展開になる事を未然に防ぐために、王たる自身が言葉を紡ぐ必要があるからだ。姫であっても、王であってもイリスは変わらない。王である前に、イリフィリア・ストレインという個人なのだから、それは当然なのだが。
「止めても無駄ですよね?」
そんなイリスに、確認の問いを向けたのはゼイガンだった。
分かっていても問う辺りが彼らしいとイリスは思う。しかし、当然止まるつもりはない。
だからこそ――
「守りは……シュバルツ殿とゼイガンに任せるわ」
イリスは言葉を残して、自身の道を突き進む。自身の王道が、皆の笑顔に繋がる事を信じて。
*
城塞都市シェリティアの北側。
メイン通りを隔てて数多の店が並ぶ、活気溢れる商店街にて――
「おばさん、今日も美味しかったよ」
落ち着いた声を発したのは、カナデ。
何が美味しかったかと言えば、それは小振りな碗に盛られていたクリームシチューだ。祖国ロスティアにいた時から慣れ親しんだ味は何も変わっていなくて、今もこうして立ち並ぶ店の間に置かれた移動式屋台に赴いてしまうのだ。
いや、牛乳とバターの甘ったるい匂いに誘われているのかもしれない。
「はいよ。そう言ってくれる子がいるのはありがたいねぇ」
素直な賛辞を受け取って、機嫌をよくした恰幅のいい女性は満面の笑顔を浮かべて、カナデを見つめてくれた。そんな彼女の瞳には以前の怯えはない。
ついでに言うならば、それは他の住民も同じだ。確かに今でも汚染者に対して抵抗を持っている者は存在する。それでも以前と比べれば幾分かましである事は言うまでもない。
そうなるに至った理由は二つある。
まず一つは、カナデが一ヶ月前の戦いで命を張って戦ったからだ。
漆黒のローブを鮮血に染めて帰還した姿を見て、彼らも思う所があったのだろう。カナデからすれば自分で決めて、自分が成したい事をしただけなのだが、そう思うよりも深く、人々の心に刻まれたらしい。
そして、もう一つは善戦したカナデへと、女王イリフィリアが褒美として、何でも与えると述べた事が原因だ。命を掛けて結果を出した褒美という訳である。
欲がある者ならば金か、地位か、権力か。
いろいろと思いつくのだろうが、カナデが選んだものは「汚染者」に対する差別を禁じる事だった。当然、それはカナデだけではなくて、他の汚染者においても同じだ。
そんなものをわざわざ選ばなくとも、イリスであればいつかは成し遂げてしまう事だと思う。それでもカナデは選びたかった。汚染者と人が共に歩める未来を自身の手で掴み取りたかったのだ。一生の内でもう二度と得る事は叶わないだろう、絶対者たる王の褒美を失ったとしても。
「それは良かった。私も元気が出たよ。今回は……また戦いになるかもしれないから」
自身の在り方を再認識したカナデはとりあえずの報告として、碗を渡したセナへと言葉を返す。
「また戦争かい。次はリシェス共和国なんだってねぇ。カナデちゃんみたいな子が……隊長になれたら世界は変わるかしらね」
カナデが選んだ褒美を知っているセナは、表情を曇らせて一言。
隊長になりたい、確かにそう望む事も出来たのだろう。そして、兵を動かす力があれば自身が望む形へと戦いを動かす事だってできる。それを望む者は大勢いるように思う。
だが、カナデは選んだ道を後悔してはいない。むしろこれでいいとさえ思っている。
「アリシアにシオン殿もいる。私は……この国には不要だよ。それにイリスがいればこの世界は変わっていく。私は彼女を影で支えられれば十分だ」
だからこそ、カナデは雲一つない快晴を思わせる、爽やかな笑顔を浮かべて言葉を返す。
「カナデちゃんは昔から一途だからね。あら、噂をすれば……」
カナデの笑顔を受けてにこやかに笑ったセナは、不自然に言葉を切る。
疑問を感じたカナデは、彼女の視線を追って振り返ると。
「カナデ、時間よ。あなたの力を振るう事がない事を祈るわ」
メイン通りの中心で、イリスが静かに立っていた。
その背後を固めているのは、シオンとアリシア。どうやらゆっくりしている間に時間が迫っていたらしい。
「そうだな。イリスなら出来るさ」
「ありがとう。なら……行くわよ。私達が進む道を世界に示すために」
カナデが返した言葉は短いもの。対するイリスが述べた言葉も、どこか確認事項を述べるかのような言葉だった。
しかし、重なった瞳だけでお互いの想いを確認し合った二人は一度微笑みあう。全て分かっていると、そう伝えるために。
世界を変える力を持っている王と、歴史にその名を刻む事がない少女。
まさに光と影のような二人は、揃って同じ道へと一歩を踏み出した。
第一部 完
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