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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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最終話 (十一)

「なんだ――この不快極まりない状況は!」

 剣響が響き渡る戦場に上がったのは、貴族カーマインの叫び声だった。

 彼の特徴と言ってもいい切れ長の目は驚きに見開かれており、一目で狼狽している事は分かるだろう。常に冷静に物事を見つめている彼が慌てふためくような状況。

 それは胸に手を当てればすぐに分かる。

 自身の心音と共に伝わってくるのは、数多の想い。隣に立つ者の、はたまた眼前にいる敵の想いだった。

 味方と敵の想いに触れられる状況。それは対話を成そうとする者には、言葉では言い表せない程の恩恵を与えるが、カーマインのように胸の内を覆い隠して進む者にとっては不利でしかない。

 では、一体どんな不利益が生じるのか。

 それは許可なく漏れ伝わった想いが皆へと届いた瞬間に分かるだろう。彼が「崇高なるシナリオ」と呼んでいる、ただ一人のみが救われ、幸せになれる物語に触れた瞬間に。

「何をしている! 敵はもはや半数。殲滅しろ!」

 それでもなおカーマインは指示を飛ばす。

 ただ自分一人が生き残るために。他の全てを代償に捧げて、自身のみが英雄となるために。

 今は女王となったイリフィリア・ストレインが、足止めに残した兵数はこちらと同数の千二百。だが、将軍も有能な隊長もいない部隊などカーマインの敵ではなかった。どこか逃げ腰に鶴翼の陣を組んだストレイン騎士達の両翼を、先ほど綺麗に削ぎ落とした所である。気持ちがいいくらいに順調なのは言うまでもない。

 だが、それからが問題だった。

 後は陣を突撃の陣へと変えて、正面から駆逐してやれば終わりだったのだが。突如、眩いばかりの白銀の光が平原を覆い尽くした瞬間に事態は一変したのだ。

 カーマインがぽつりと「後はこいつらを排除してもらえば終わりか」と心中で呟いた瞬間に全てが変わってしまったのだ。今まで奴隷のように従順だった手駒が突如として、その剣をカーマインへと向けたのである。

 漏らした言葉はどこか曖昧で、それだけでは全ての意味は通じない筈だというのに。それにも関わらず表の意味だけでなく、裏に隠れている真の目的までもが包み隠さずに伝わっているのだ。つまり彼らは利用されているだけで、後はカーマインによって殺されるという事に気づいてしまったのだ。

 長きに渡る時間を使う事で地道に信頼を得て、ようやく手駒にする事が出来たというのに。

「馬鹿な。ここまで来て!」

 一人孤立したカーマインは叫ぶと共に、一人陣を離れていく。

 向かうべきは北側。自身の祖国へと逃げるのだ。本来であればリシェス共和国と、二つの聖王国を潰してから戻るつもりだったが、王ラディウスを排除すれば認めてもらえるだろう。

 カーマインの未来は、まだ光で満ちているのだ。

 あっさりと騙される凡人共とは違い、自身の道は優雅に輝き数多の光に照らされているのだ。

 ――だが。

 光に満ちた世界は数瞬で終わりを告げる。

「あなたが原因だね」

 カーマインの鼓膜を、無垢な言葉が震わせた瞬間に。

 逃げる自称英雄の眼前にゆっくりと舞い降りたのは、穢れ無き白。

 膝まで伸びた真っ白な髪に、滑らかな白い肌。そして、身に纏う衣類はこれまた真っ白なワンピース。確かな決意を込めた氷色の瞳以外は全てが白い、真っ白な少女だった。

 カーマインの後方には千を超える「敵」がボウガンを引き抜き、眼前には神にも匹敵する力を持っている少女が佇んでいる。

 冷静に状況を見つめるならば、どこにも逃げ場など存在はしないように見えた。

「こんな所で死ねるか! 私は凡人とは違うのだ!」

 しかし、カーマインは表情を歪めて戦場を駆ける。

 もはや隠す必要もない本音をぶちまけながら。内に秘めていたものを全て出した事で、いっそ清々しい想いを胸に抱きながら。

「――放て!」

 もはや弁解の余地すら残されていないカーマインを敵と断定した、女王の命を受けて足止めに残されてストレインの騎士達と、カーマインの手駒だった騎士達は揃って指示通りにボウガンの矢を構える。

 一度の射出で解放されたのは、千を超える高速の矢。

 体を滑り込ませる隙間など見当たらない矢の集合体を防げる者など、この世界においては汚染者と呼ばれる者しかいないだろう。当然、カーマインに防ぐ手段はない。

 そもそも黒を基調とした礼服にて参加した彼には身を守る術はないのだ。盾として考えていた手駒は、もはや敵となってしまったのだから。

 結果として、彼の両足を、両手を、背中を高速の矢が容赦なく貫く。

「この程度の痛みで止まると思うなよ、凡人共が!」

 だが、カーマインは血を吐きながらも前へ、前へと突き進んでいく。

 まるで自身が不死身だと述べているかのように。実際に不死身な訳では決してない。ただ栄光の道を歩むために、その手に光を掴むために疾走しているのだ。

 ただ自分のために。

 もし、彼の想いがイリフィリア・ストレインのように、他の誰かの幸せのために向いていたのであれば、彼は真の英雄になれたのかもしれない。彼にはそれだけの知性、行動力、そして血反吐を吐こうとも進む執念があるのだから。英雄と呼ばれる存在は、自身ではなく、民が好んで呼ぶ者のために確実になれる訳ではないのだが、その可能性を内に秘めていた事は確かだろう。

 そんな事は当然知らないカーマインは、全身を焼かれたような痛みを味わいながら疾走を続ける。そうは言っても限界はある。耐える事が可能な時間は、一秒か二秒だろう。

 いや、もっと短いのかもしれない。

 そんな中でカーマインの瞳が見つめたのは、眼前に立ち尽くす少女の氷色の瞳。

 少女は散っていく命を悲しみ、命を奪う事に瞳を揺らしていた。千を超える殺意を背で受け止めているカーマインが死す事すら「悲しい」と思ってくれているらしい。

 以前、この少女を見た時は「死」という概念を持っていないように見えたが、どうやらようやく学習したらしい。そんな事はカーマインにとってはどうでも良い事だが、どうやら身を凍らせて死ぬ事はないらしい。

 眼前の脅威が消えた事に喜びに似た想いを胸に抱いたカーマインは、戦う気がない少女の左隣りを駆け抜ける。さすがに無関係の少女に向けて、矢を向ける事は躊躇うだろう。

 もしかすれば生き残れるかもしれない。その僅かな可能性を信じて、カーマインは全身に力を込める。

 ――しかし。

 その希望は一瞬で砕かれる。

 腕や、足などではなく致命的な傷と成り得る腹部を氷槍よって貫かれる事で。

 氷の槍と言っても、それは瞳を揺らす真っ白な少女が放ったものではない。当然、後方で矢を放つ騎士達でもない。

 命が消え去るその瞬間にカーマインの瞳が捉えた、真紅のローブを身に纏った長身の男が投擲したものだ。そして、投擲した彼の背後に佇むのは万を超える軍勢。

 現在の状況では二つの聖王国、そしてリシェス共和国が兵を絞り出しても追い返すのは不可能と思える程の数である。だが、カーマインは彼らが進軍しない事はすぐに分かった。

 今のストレインを倒す事は赤子を捻るよりも簡単だ。それでも進軍しないのは、一人の少女がこの場にいるからに他ならない。

 一万程度の軍勢ならば、その半身と言っても過言ではない氷雪種によって軽く殲滅出来る力を保有する真っ白な少女がいるからだ。勝てたとしても被害が甚大ならば、それは勝利ではない。むしろ敗北だ。

 多くの兵を失えば住民は戦争を否定して、再び戦をするのは多大な労力を要する。それは軍事国家だとしても例外ではない。その程度の事は、グシオン連合国の将兵ならば分かっている筈だ。

「どうで……も……いいか」

 帰るべき祖国に見捨てられたカーマインは、掠れた声を絞り出したのを最後にゆっくりと冷えた地面へと倒れ込んでいく。そして、最後に鳴り響いたのは氷が砕ける渇いた音色だけだった。


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