最終話 (八)
まるで眠りから覚めたかのように、そっと氷色の瞳を開いたのは一人の少女。
膝まで伸びた髪も染み一つ見当たらない滑らかな肌でさえ、真っ白な少女だった。その白さは舞う雪のように、言葉と共に漏れる吐息のように白い。
「同じ人という存在なのに……たくさんの想いが溢れてる。結局は同じ所に行き着くのにそれぞれ理由が違ってるんだ。私……ううん、私達とは根本から違ってる」
その白い少女は誰に言うでもなく言葉を紡ぐと、まるで誰かを探すように視線を走らせていく。少女が浮いているのは、戦場の中央。つまりはストラト平原の真ん中だ。
誰かを探すには一番適した場所なのは言うまでもない。
しかし、実を言うならばこの少女にとって距離というものはそもそも関係がない。地を覆う草を伝う事で、頬を撫でる凍てついた風に触れる事で想いは伝わってくるのだから当然だろう。確かに直接触れた方がはっきりと分かるが、微かに流れ込んでくる想いだけで十分だと思えた。
その理由は、少女が探している彼女の心は常に真っ直ぐだからだ。時には迷う事も、曇る事もある。だが、最終的には彼女は自身の心に光を燈してくれた人のために戦う事だろう。彼女と同じように国を、友を思う者を終わらせてしまうのだとしても。
それが、彼らの言葉を借りれば『戦争』というもの。悲しくて、冷たいだけの、ただ存在を奪い合うだけのやり取り。
――だというのに。
彼女達の心を埋め尽くしているのは温かさ。友を、家族を、国を想う温かさだった。
この温かさは氷雪種と呼ばれる少女達には存在しない。氷の鱗を纏いし、この世界から疎まれた存在は繋がる事で想いを共有する。必要最低限の本能に似た自我は存在するが、基本的には皆同じ。固体として分離はする事はあるが、根本を辿れば少女達は集合体なのだ。
ゆえに一つの固体が消えたとしても全体に支障はない。氷雪種を形成せしめる白き霧さえあれば、再び生まれる事が出来るのだから。少女が胸に抱く、両生類の赤ちゃんを思わせる氷雪種のように。
ならば、この真っ白な少女が一つの固体が失われる事に対して悲しみ、鎮魂歌を捧げる事が出来るのはどうしてなのか。それは少女が「ソフィアリス・フィッター」という少女の体を借りているからに他ならない。つまりは氷雪種という集合体であり、それと同時に一人の少女でもあるのだ。
そんな曖昧な存在でいる目的はただ一つ。
氷雪種と人が共に生きる道を探すためである。それは真っ白な少女と、ソフィが求めた理想。いや、世界のあるべき姿だと二人は信じている。
馬鹿らしいと笑う者がいるならばそれはそれで構わない。そもそも簡単に分かってもらえるとは思っていないのだから。だが、歩む足を止めるつもりは二人にはない。
だからこそ真っ白な少女は――
「どうすれば――伝えられる? 私の想いを?」
漆黒のローブを纏いし彼女へと、世界へと問う。
ただ殺し合うだけの救い無き世界へと向けて。ただ静かに歌う様に。
戦場を駆ける刃は、いつかは人を殺し尽くして、最終的には氷雪種へと向けられるだろう。今は同じ人と人が戦っているが、余裕さえあれば必ず刃は理解出来ないものへと向いてしまう。同じ人でさえ彼らは恐いのだ。化け物と呼ぶ氷雪種が恐いのは当然だろう。
ならばどうすればいいのか。どうすればこんな悲しい事を終わらせる事が出来るのか。少女が歌えば氷という同一の固体へと変貌させる事で、全てを終わらす事が出来る。
しかし、それはソフィが望んだ道ではない。どちらか一方だけ生き残っても意味はないのだ。そこに広がるのはただ寂しいだけの世界。少女とソフィが望む、氷雪種と人が共に寄り添う世界は存在しないのだから。
それに彼らは固体として生きる事を渇望している。流れ込んでくる数多の想いが少女へと、そう教えてくれるのだ。今までは意味の分からない事だった。しかし、数多の想いに触れてようやく分かったのだ。彼らはただ生きていたいのだと。
それでも少女はどうしたらいいのか分からない。だからこそ、ずっと眺めているのだ。氷雪種という彼らを駆逐出来る戦力を保有しながらも。
答えを求めて、迷って。安易な選択をしようとする心を叱咤しながらも、ずっと。
――そんな時。
伝わってきたのは、一つの想いだった。
想いは数千を超える数多の想いを吹き飛ばすような勢いで少女の心へと届く。強烈なる想いをぶつけられたと言っても過言ではない少女は、まるで耳元で怒鳴られたような気分だった。
しかし、伝わる想いは不快なものではなくて、優しくて温かかった。
どこまでも一途で真っ直ぐで、それでいてどこか自分勝手な想い。それでも柔らかくて全身を包み込んでくれるような不思議な想いだった。
この想いを胸に抱く人は誰なのか。そんな事を考えた時に、ふと真っ白な少女は近くで感じた事があるような気がした。
そう。
自身が興味を持っている強い意志を持った彼女が、一途な想いを向けている相手が同じ想いを抱いていたような気がしたのだ。どうやら想いが流れ込んできたのは偶然ではなくて、強い意志がこの想いへと辿り着かせてくれたのだろう。
ならば、少女はこの想いをしっかりと掴まなければならない。きっと答えはここにある筈だから。
「あなたは進むの? 戦いを……止めるために?」
少女は伝わる想いを言葉へと変える。
内から溢れ出た言葉は即座に少女の心を震わせて、諦めかけていた氷色の瞳を見開かせた。なぜ驚いたかというと、それはソフィの心に近かったからだ。
ソフィもこの世界から争いを無くすために歩んだのだから。
「ソフィの他にもいるんだね、こういう人が。それなら――」
言葉を紡ぎ出した少女は、一度言葉を切る。
そして――
「私の取るべき道は一つ。あなたの心に応えるよ」
内から溢れ出す想いを外へと出す。
――その瞬間。
真っ白な少女はゆっくりと地へと降りていく。それと同時に世界に溢れたのは、眩いばかりの白き輝きだった。それは舞う雪でも、氷雪種を形成するための白き霧でもない。
少女の想いが、祈りが紡ぎ出した純粋なる白銀色の輝きだった。
「数多の想いを繋いで……ただ分かり合えますように」
光に照らされた少女は言葉を紡ぐ。
いつもの祈りの言葉を。
そして、一つの歌を世界へと捧げる。紡がれた歌がすれ違った想いを繋げてくれる事を祈って。まだ感じる心が残っているならば、必ず伝わる筈だから。少女の想いも、敵がぶつける想いでさえも。そう強く、強く信じた少女は歌を奏で続けた。




