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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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最終話 (七)

 城塞都市シェリティアを出て南東に一時間ほど歩いた先に見えるのは、兵数五千によって組まれた一つの陣。陣の名は「方陣」と呼ばれ、兵を正方形に並べる事で組む陣である。

 基本的には縦横共に一辺の兵数は約千二百。その千二百を前列、後列に分けて前列は片膝を付き、後列は直立しボウガンにて狙撃するのが、この陣の運用方法だ。

 特徴としては正面、側面、はたまた後方から攻撃されたとしても、味方によって射角が阻まれることが少ないため、極めて防御力が高い事だろう。その反面、こちらから仕掛けるには不向きなのは言うまでもない。

 そんなどこか消極的にも見えてしまう防御力のみを特化した陣にて。

(……リシェス共和国からの援軍。あれはどういう意味があるの?)

 注意深く戦場を見渡しているのは、イリス。

 そんな余裕があるのはここが王ラディウスの陣であり、現在は交戦状態となっていないためだ。しかし、イリスは油断するつもりはない。ゼイガンとイリスは王の参謀たるカーマインを疑っているのだから。

 彼がいつ王の暗殺に動くのかは分からないが、動きがあれば即座に対応出来るようにしておかねばならない。そんな注目すべき二人が位置しているのは、陣の正面。方角としては東側に位置する場所だ。

 ついでにイリスと、その護衛を務めているアリシアが位置しているのは、陣の背面、方角としては西側に位置する場所である。役目としては、後方に回り込まれた際の迎撃、または防御が薄れた場所へと臨機応変に加わる事だ。この場所を選んだ理由は、比較的に自由に動けるからに他ならない。

 当然、周囲にいる騎士はイリスが混じっている事は知っている。だが、いつ敵が来るか分からない今の状況で、城塞都市シェリティアに送る方が危険である事は言うまでもなく、わざわざ声を荒立てて、場を混乱させるものはいない。さすがは王の部隊というだけはあり、よく訓練されているように思う。

 ある意味では放置されている、たった二人だけの遊撃部隊。

 そんな彼女達が注目しているのは、リシェス共和国を出て北に進軍している二千の部隊だ。先に到着した伝令の報告では、目的はストレイン本隊を守るための援軍という話であった。だが、兵を貸してくれるのであれば他に行くべき場所はある。例えば戦局が思わしくないアイザックの部隊などだ。

 さすがに同盟国という位置づけでも将軍アイザックが戦死したという報告は出来ないだろうが、不利である事は伝令を通じて伝えている筈だ。それにも関わらず、戦地に向かわずにストレイン本体に合流しようとするリシェス共和国の騎士達。明らかに怪しいと感じるのは、イリスが疑い深くなっているからではないように思えてならない。

(この部隊が……王を?)

 イリスは一つの可能性に辿り着いて、鋭い視線を南へと向ける。

 向かってくるのは、矢印型に陣を整えた騎士達。その意味する所は一点突破だろう。その矛先が向かうのは、どちらの聖王国なのか。それがイリスには分からないのだった。

 もっと兵力が多ければ、仮に四千以上の兵が向かってくるのであれば即座に警戒しただろう。しかし、たかが二千の兵で倍を有する守りに特化した陣を突破は出来ない。それとも本隊の陣を崩すためだけに、二千の兵を捨てるつもりだとでも言うのだろうか。

 そんな命令を平気な顔をして出せる指揮官がいるとでもいうのだろうか。

(いったいどんな策で……?)

 イリスは止まりそうになる思考を懸命に働かせる。諦めかける自身の心を、両手を強く握る事で防ぎながら。

 しかし、その思考は半ばで乱される。

 突如上がった、耳へとうるさい騎士達の咆哮によって。

 雄叫びを轟かせたのは警戒していた南側。つまりは先ほどイリスが一つの可能性として上げた、リシェス共和国の騎士達だった。そして、悪い予感というものはよく当たるもので、向かってくるのは王ラディウスの陣。

「各自、ボウガンを構えろ! 目標はリシェス共和国!」

 さすがと言うべきか、陣を率いているラディウスは即座に指示を飛ばす。

 ――両部隊の間にある距離は、約三百メートル。

 今からボウガンを構えて迎撃すれば十分に対応可能だ。カーマインが用意した策はこの程度なのか、それともリシェス共和国が勝手に動き出したのか。それは分からないが、とりあえずの脅威は去ったように思えた。

 だが、淡い期待は数瞬で絶望へと変わる。確かにボウガンが射出される音が鳴り響き、そして矢は放たれたというのに。

「何をしているのだ――お前達は!」

 さすがの王も想定していなかったのか、焦りに満ちた声が戦場に轟く。王すら戸惑わせる光景。それは一言で言うならば「同士討ち」だった。

 陣の東側と南側に位置する、二列目にてボウガンを構えていた騎士達が、一列目にいる騎士の首元に矢を放ったのだ。

 ほぼ至近距離から放たれた矢を回避できる者などいる訳はなく、王の声が部隊全体に届いた瞬間には、一列目に所属する騎士は力を失って倒れていた。

 そして、今の今まで仲間だった騎士達は素早くボウガンを地へと捨てて、振り向くと同時に腰に吊った鞘から騎士剣を抜き放つ。その動きは即興で行ったものではなく、入念な準備の基に成り立つものだろう。

 そして、同時に轟いたのは――

「陣を瓦解させろ」

 涼やかなカーマインの声。

 当然、発した声は聖王国ストレインの部隊に向けられたものではない。突如裏切った兵千二百へと向けられた指示だった。千二百と言っても、南側からはリシェス共和国の兵二千が突撃の態勢を整えている。混乱したまま突撃を受ければ、耐えられない事は分かりきっている。

 だが、それ以前にイリスが求めたのは父の姿。裏切ったというよりも、最初からカーマインの手勢であった騎士達によって、射抜かれたであろう父の姿だった。

「そんな……」

 イリスの口から漏れたのは、小さな呟き。

 発した声はどこか遠くて、本当に自分が発した声であるのか疑わしい程であった。守りたいと思って、言葉をぶつけて、そしてここまで来たイリス。

 それでもたった一人の肉親を守れなかったのだ。

 それだけでなく今はこの腕に抱きしめる事すら許されない。それは最後の言葉すら聞く事も許されないという事を意味している。倒れた父のすぐ側に、カーマインとその手勢がいるのだから無理なのは誰の目にも明らかであるのだから。

「――指示を!」

 直視出来ない現実に打ちひしがれていたイリスに向けられたのは、幼さを感じさせる叫び声。イリスの近衛騎士たる彼女はこの状況でも戦えというのだろう。イリスという個人を捨てて、皆を率いる王となる。それがこの場を切り抜けるための唯一の方法だというのだろう。

 そんな事は言われなくても分かっていた。

 だが、イリスは倒れて血を流す父の姿から瞳を晒す事が出来ない。一刻も早く陣を整えて、迎撃の態勢を整えなければならないというのに。それでも一人の愛しい人を見つめる瞳を外す事は出来なかった。

 そんなイリスに向けられたのは、数多の矢だった。戦いにおいては素人だが、この数はアリシアでも防ぐ事が出来ない事は分かっている。それでも近衛騎士はイリスの前に立ち塞がった。

 その身を犠牲にしてでも、アリシアは守ろうとしてくれるのだ。そして、それは彼女だけではなく他の騎士も同じだった。まるで自身を盾だとでも思っているのか、アリシアと同じように数多の矢に向けて突撃していく。

(もう止められない。皆……死んでしまう)

 そう心中で呟き、諦めかけたその瞬間に――

「諦めるな。お前は……私に光を届けてくれるのだろう?」

 イリスに届いたのは、落ち着いた声だった。

 そして、次の瞬間にイリスの眼前へと展開されたのは、溜息が出そうな程に煌びやかで美しい氷の壁。しかし、その壁はただ美しいだけでなく、しっかりと渇いた音色を響かせて役目を果たす。イリスを狙って放たれた矢を一瞬で凍結させ、その全てを砕き尽くしたのだ。

「――何者だ!」

 さすがの策士もこの展開は予想していなかったらしく、慌てた様子で薄手のシャツとカーゴパンツという、正装が似合うこの場においては、あまりにも目立つ彼に向けて叫ぶ。

「名乗る程の者ではない。言うなれば……ただの鍛冶師だな」

 狼狽した声を受け取った鍛冶師は、凍てついた長剣の柄を握り締めて律儀にも言葉を返す。だが、それは一瞬の事で鍛冶師ことセドリックは、すぐさま地を蹴って疾走を開始した。イリスの隣を瞬く間に横切って、彼が向かったのは南側。つまりはリシェス共和国の兵団に向けて、自身の背で答えを示すかのように、一人で突撃したのである。

 ならば、イリスが成すべき事は一つ。もう迷う時間も、沈んでいる時間もない。彼が言う様に、確かにあの日に「必ず光を届ける」と約束したのだから。

「北側の部隊はカーマインを足止め! 残りは――私に続いて!」

 内から溢れ出る力を言葉に変えたイリスは被った兜を投げ捨てて、先頭を突き進むセドリックの背を追うように戦場を駆ける。

 ストレインの騎士が戸惑ったのは、僅かな時間だった。

 だが、透き通る声と揺れる金色の髪が目印となり、騎士達は自身が誰に従えばいいのかを一瞬で理解する。

 刹那、新たな王へと続いたのは陣を崩した兵数千二百の兵。初陣の戦にしては心許ない兵数だが、イリスの先頭を進む彼は切り札と成り得る。

(まだ……勝機はある)

 イリスが諦めない限りは戦える。

 そして、二つの聖王国を一つに出来る時は必ず訪れる。そんな強い想いを胸に抱いた武器を持たない王は、自身が望む未来のために最初の一歩を踏み出した。


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