最終話 (五)
煌めく剣閃を視界に収めたカナデは荒い息を整えて、手にした氷装具を走らせる。横薙ぎに走った刃は、前方にいる騎士二人を数瞬の内に氷の結晶へと変貌させていく。
しかし、その姿は漆黒の瞳には映さない。
正確に言えば、すでに生命を無くした「物体」を見ている余裕はないのだ。前方の脅威が去れば、即座に後方、または左右から刃が振り下ろされるのだから。
兵数千を残した元左翼の部隊。その真ん中で武器を振り回しているというのだから、狙われるのは当然だ。しかし、それはこちらの狙い通りであるのだから文句は言えない。
例え防ぎきれない刃がカナデの白い肌を切り裂き、鮮血を溢れさせようとも。仮に援軍が間に合わずに、ここで討ち死にしようとも誰も恨む事は出来ないだろう。
ここはただ命を奪い合うだけの場所なのだから。そうならないために、イリスは敵の懐まで飛び込んだのだ。今のカナデと同じように。
(……まだ、死ねない)
全身から流れ出る鮮血は固まらせる事で止めてはいるが、失った血のせいか意識は徐々に薄くなっているように思う。だが、自身の心に光を燈してくれたイリスを思い出したカナデは、冷や水でも浴びせられたかのように、はっきりと意識が冴えてくるのが分かった。
再び戦う意志を取り戻したカナデの瞳が捉えたのは、後方から五人、そして左右から三人ずつの騎士。千人の騎士に囲まれていると言っても、一気に千人が襲いかかってくる訳はない。ある程度の塊となって襲い掛かり、徐々に弱らせるつもりなのだろう。
絶望の淵に飛び込んだカナデが助かる可能性があるとしたら、ゼイガンの陣を離れてこちらの救援に向かった兵数千の騎士が辿り着いた際だろう。それ以外に助かる道は存在しないように思う。カナデが命懸けで刃を振るっても、せいぜい五十人倒せるかどうかなのだから。
しかし、刃を振るう他に道がないというのであれば、振るうのみである。
自身が成すべき事を確認したカナデは、一つ深呼吸をして迫る騎士へと対処していく。まずは後方から迫る騎士へと反時計回りに回転するように、大鎌を薙ぎ払うように振るって絶命させる。次に迫るのは左側の騎士。そして、最後は右だ。
順番通りに対処すれば、おそらく右側から迫る騎士の刃は防げない。それは以前、マベスタ森で出会った山賊に扮した刺客との戦いで経験済みである。人外の力を得ているといっても、決して万能ではないのだから当然だ。
しかし、それは普通の手段。つまりは他の騎士同様に刃を振り回した場合の話である。
(悪いが……対応策は準備済みだ)
一度の失敗を糧にしてカナデが導き出した答えは、もっと力を有効に使う事だった。その答えを示すために、カナデは素早く左腰に固定されているホルダーへと手を伸ばす。
既に革の手袋を外している左手が掴んだのは、銀製のナイフ。掴んだ刃はすぐさま力を受け取り、氷の刃へとその姿を変えていく。
ここまでに要した時間は、僅か二秒。
左右から迫る騎士が剣を振り上げるよりも速く、カナデは準備を整える事に成功する。
(――いける!)
時間的な余裕を緊迫した空気の中で感じたカナデは、すぐさま行動に移る。
カナデが狙ったのは左側から迫る騎士の足元。力を受け取ったナイフは光を浴びて数瞬の間だけ煌めいて、当初の目標通りに湖の水分を吸ってぬかるんだ地面に易々と突き刺さる。
刹那、鳴り響いたのは渇いた音。地を抉ったナイフが地面を瞬く間に凍らせ、高さ二メートル、厚さ五センチを有する氷の壁を形成せしめた音色である。
遥か遠くまで見渡せるのではないか、そう思える程に透き通った氷壁。その本来の役目はボウガンなどの遠距離武器に対応するためのものだ。しかし、今回は防御が目的ではない。
相手を『砕く』ために展開したものである。砕くという言葉を使ったが、これは比喩ではない。それを説明するかのように、突如眼前に形成された壁を避ける事が出来なかった騎士三人は氷壁へとその身を衝突させ、数瞬の間もなく氷の結晶へとその身を変貌させる事だろう。その後は、ただガラスのように砕けていくだけだ。
その過程を耳へと届く音のみで把握したカナデは、敵の本命と言っても過言ではない、右側から迫る騎士三人へと鋭い視線を向ける。
――すると。
迫り来る騎士は仲間の残酷なる死に一瞬だけ表情を歪めたが、すぐさま鋭利なる殺気を全身から放つと共に剣を振り上げた。
(――間に合え!)
もはや一刻の猶予さえない迫り来る刃を捉えたカナデは、心中で叫ぶと共に手にした氷装具を走らせる。騎士が反応するよりも速く、そして凶刃が振り下ろされるよりも速く。
氷装具を通して結びついた力が、代償たる命を燃やし尽くそうとしても。文字通りに命懸けの横薙ぎの一閃は、瞬き一つをする暇さえも与えずに迫る騎士の腹部を両断する。
しかし、これがカナデの限界だった。
血まみれの体で人外の力を連続で使用したのだ。何の支障もなく動ける方が異常なのは言うまでもない。先ほどから喉を伝って込み上げてくるのは、おそらく血だろう。
「まだ……だ」
しかし、その程度で止まっている訳にはいかないのだ。
たとえ失ったとしても、成し遂げねばとならない事があるのだから。イリスの代わりに道を切り開かねばならないのだから。仮に地を這おうとも、どれだけ血を吐こうとも。
汚く見るに堪えない姿を晒そうとも、決して止まる訳にはいかないのだ。英雄と呼ばれる存在であれば、美しく綺麗に勝利出来るのかもしれない。だが、ただの凡人であるカナデが勝つには、これだけの痛みと労力を要する。その先でしか勝利を、光を手にする事は叶わないのだ。
だからこそ、カナデはどれだけ苦しくても進む足を止める事はしない。浮かんだ想いを込めた小さな一歩は自身でも驚く程にしっかりと地を踏みしめて、全身に力を伝えていく。
そんなカナデを見つめたのは、二種類の瞳。
一つは敵国ルストの騎士が向ける恐怖に満ちた瞳。そして、もう一つは味方であるストレインの騎士が向ける安心して良いのか、恐れていいのか判断に困ったような瞳だった。
しかし、カナデはその二つの視線には応えない。
自身が見つめるべきは、ただ一人なのだから。その一人とは、前方で飢えた獣のように刃を振るう男だ。自身と同じ「化け物」と呼ばれた、聖王国ルストの次期国王シュバルツ・ストレインである。
この戦いを終わらすためにも、ゼイガンが率いる部隊の被害を最小限に抑えるためにも、どうしても止めなければならない相手だった。殺すか、退かせるか、そのどちらを選ぶべきなのかは判断に困るのだが。
それでも限界を迎えた体を、なお前へと進めたカナデは――
「私に続け!」
耳にうるさくない、よく通る声で叫ぶ。
自身の勢いに乗って、駆けつけた騎士が続く事を祈って。そして、この一歩が戦争の終結に、皆の笑顔に繋がる事を信じて。
そんなカナデの想いが伝わったのか、騎士達の咆哮が平原を震わせた。




