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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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最終話 (三)

 カストア砦から西へと進み湖面に沿っての行軍をしているのは、次期国王シュバルツ・ストレインが率いる兵数六千の部隊。老王オーギュストが参戦出来ない事を考えれば、本隊と言っても過言ではない部隊だ。

 その本隊の進軍を妨げるものとしては、冷えた湖から立ち込める霧くらいしか挙げるものはなく、至って順調だと思えた。

 しかし、順調なる進軍も一時間程度が経った時に一変する。

 まず状況を変えたのは、鼓膜を破壊されるかと思う程の轟音だった。

 あまりの音の強大さに一時は混乱しかけた聖王国ルストの騎士達であったが、すぐにその正体が何か攻城兵器の類を用いて射出された矢だと分かり、再び進軍を開始する。

 直撃すればまず命は助からない、そう思える程の速度と威力ではあったが、この霧に視界を奪われているのか、降り注ぐ矢は精度に欠け隊列が完全に崩れる事はない。

 確かに防ぐ手段が見つからない事から、このまま進めば数百の兵は失うかもしれない。だが、両翼を前方に張り出しV字型の陣を組む、鶴翼かくよくの陣を保ったまま敵国ストレインの部隊と交戦する事が可能なのは誰しもが理解出来た。

 そのために皆は止まらずに進軍出来たのである。

 先手を取られた事に対しては少々憤りを感じるシュバルツではあるが、こちらの兵数は六千。戦争になれば一万五千の兵を、綺麗に三等分するストレインの部隊と比べれば幾分か余裕はある。

 ゆえに攻撃に特化した突撃の陣ではなく、迎え撃ち、最終的には両翼で挟み込む事を目的とした陣を選んだのだ。単純な兵の削り合いをすれば勝てるのだから、一か八かの突撃をする必要がないのである。

(それに……目的はラディウス王。出来る限りは、この場にいてもらおう)

 自身が率いる部隊の戦術、目的を心中に刻み込んだシュバルツは、そっと白い吐息を吐く。溜め込んだものを吐き出すという行為は思った以上に心を落ち着かせ、前へと駆け出しそうな足を留める。

 留める、いや、留めてしまう理由は、自身の内に眠る力が原因だ。一度、この穢れた力を使ってしまえば、あとは飢えた獣となってしまうのだから。兵を率いる立場にある者が、ただ剣を振るう外道になっては勝てる戦も勝つ事は出来ない。

 その想いが強く出たのか、シュバルツは両翼の前方ではなく、陣の中央にて兵に守られるようにして進んでいる。理想的な形としてはシュバルツを狙って、陣の中央に突っ込んでくれる事だろうか。さすがにそんな愚策を取るとはとてもではないが考えられないのだが。

 そんな事を考えながら戦場を駆ける事、数十秒。

 一度、二度、轟音が地を揺らした、その時。

 飢えた獣を思わせる赤い瞳がとある一団を捉えた。

「――魚燐ぎょりんの陣か」

 ようやく相手の陣が見えた瞬間に、シュバルツは口元を歪めて言葉を発した。

 敵が選んだ陣は中心が前方に張り出し、両翼が後退した三角形の陣。数百単位の兵が魚鱗のように密集陣を組み突撃するこの陣は、情報の伝達が早いのが利点である。

(陣を変えるつもりか……)

 ただ突撃するだけなら、さらに威力が高い陣はある。例を挙げるならば、矢印型を成す蜂矢の陣、または指揮官突撃の陣として知られる偃月えんげつの陣だ。

 それら二つを使用しないという事は、何かを企んでいると見るのが妥当だろう。

 だが、その目的が分からない。そもそも、あの攻城兵器を利用した陣を組まないのが不思議で仕方がないのだ。なぜ、ここまで短期決戦にこだわるのだろうか。

 しかし、敵の動向を探っていられたのはここまでだった。

 すでに敵は、両翼の射程圏内に入っているのだから。

 ――右か、左か。

 どちらの翼を破るのが目的なのかは分からないが、衝突する以前に突撃の威力を削ぐ必要があるのは言うまでもない。

「敵の足を――止めろ!」

 シュバルツは自身の思考を叫び声に込めて、声を張り上げる。

 それと同時に、両翼の騎士がすかさず腰に固定しているボウガンを引き抜いて、構える。両翼にそれぞれ二千ずつ。約四千の兵による一斉射撃。

 五千の兵で、どこまで耐えられるのか。

 いや、辿り着く前に殲滅させる。そう思考を走らせた瞬間。

 鳴り響いたのは、鼓膜を破壊するかのような轟音だった。

 音の正体は、いちいち確認せずとも分かる。問題はどこを抉り、貫いたかという事だ。両部隊の勝敗を決めると言っても過言ではない、この瞬間に。

「シュバルツ様、左翼が!」

 答えは赤い瞳を向ける前に、隣に立っている騎士の叫び声で知る事が出来た。

 しかし、臣下の言葉だけでなく、自身の目で確認するために素早く視線を向けると。

 彼の言った通りに左翼へと向けて、極太の矢が射出されているのが見て取れた。相変わらず狙いは甘いが、左翼へと意図的に狙っている事はすぐに分かる。

(なぜ……左翼だけなんだ?)

 とりあえず左翼を乱すつもりで放ったのならば理解は出来る。実際に左翼の部隊は地を揺らす程の振動に戸惑い、射撃の態勢を整えられずにいた。

 しかし、まるで眼中にない右翼は易々と射撃体勢を整えて、ストレインの兵に向けてボウガンを放っている。致命的とは言えないが、無視する事は出来ない被害が刻々と刻まれていくだろう。

 このまま行くならば、持ち直した左翼が援護すれば勝負はつく。鶴翼の陣において最も威力を発揮するのは、先ほども述べたように両翼で包囲した際だ。だが、その必要もなく戦いは終わってしまうかのように思えた。

 ――だが。

 その可能性は、空へと上がった恐怖の叫び声によって霧散する。

 まるでこの世の終わりを見たかのような、ただの人と人が戦ったのであれば聞く事は叶わない、断末魔の叫び声によって。

 それを成せる存在は、この大陸において二つ存在する。

 一つは、氷雪種。そして、もう一つはシュバルツ同様に汚染者と呼ばれた世界から追放された存在だった。そのどちらかしか、この大陸において「化け物」と呼ばれる存在はいない。

(――どっちだ!)

 数瞬の時間を要してシュバルツが見つめた先に存在したのは、漆黒の影。

 人外の力を得て加速した影は、手にした大鎌を目にも止まらない速度で横薙ぎに振り回し、動きの鈍った左翼を瓦解させていく。

 敵の策は、最初から奇襲を行う汚染者への注意を逸らす事だったのだ。

 どこから現れたのかは霧のため定かではないが、突然の奇襲によって兵を恐慌状態へと追い込み、動きを鈍らせる事が真の狙いだったのだ。そういう意味では、すでに敵国ストレインの策は完成している。

 それを証明するかのように、ストレインの騎士達は「待ちわびた」と言わんばかりに、情報伝達が早い魚鱗の陣の特性を活かして、部隊を二つに分けた。

 一つは、指揮官と思われる白髪の老齢なる騎士が率いる兵数四千の部隊。もう一つは副官と思われる壮年の騎士が率いる兵数千の部隊だった。前者は乱れた陣を素早く整えながら右翼を破るために突撃し、後者は一人で戦う汚染者を救うために左翼に向けて突撃する。

 まるで未来が見えているのではないか、そう疑ってしまう程に見事な動きだった。

 当然、進行を防ぐために右翼に位置する二千の兵はボウガンを放つが、四千の兵が成す勢いを止められる訳はない。

「中央の部隊は右翼へ! 破らせるな!」

 もはや遅いかもしれないが、シュバルツは叫ぶと共に自らが先頭に立って地を蹴った。すでに鶴翼の陣が崩れるなどという考えは脳裏から消えている。ここで右翼を失えば、聖王国ルストの勝利は遠のいてしまうのだから。

 しかし、そんなシュバルツを嘲笑うかのように、白髪を揺らす老齢なる騎士が率いる部隊は、右翼をまるで踏み潰すかの如く駆逐せしめた。

 ――ただ真っ直ぐに何の迷いもなく。

 彼らに迷いがないのは、左翼へと単独で飛び込んだ少女がいるからに他ならないだろう。化け物と言っても二千の兵を相手にすれば、無傷では済まないのだから。実際に漆黒のローブを纏いし少女は、全身を切り裂かれ、その体を鮮血で染めていた。もはや立っているのも奇跡であるように思える。

 そんな死ぬ覚悟で飛び込んだ幼い少女がいるにも関わらず、大の男が怯んでいてはただの笑い話にしかならないだろう。いや、おそらく笑えもしない。そんな者がいるのなら、シュバルツであれば汚物を見るような目で見るに違いないのだから。

「やってくれる……だが、兵数は互角。これからだ、ストレイン!」

 敵の策によって兵を失ったが、ストレインの兵も減っている事は確か。

 目視のために定かではないが、右翼を突き破った部隊の兵数は三千か。その三千の部隊は再び陣を整えて、今度は残された仲間を助けるために再び突撃してくるだろう。

 それを迎えるは、右翼を削られた兵数四千のシュバルツが率いし部隊。左翼において暴れている小娘を潰せば、正面からぶつかっても勝機はある。

「左翼は、兵数千を残して汚染者を潰せ! 残りは――俺に続け!」

 素早く結論を出したシュバルツは、汚染者の能力によって凍結させた長剣の柄を握り締めて駆ける。自身が先頭に立つ事で、全身に重くのしかかる不穏な空気を突き破るために。

 もしかすれば、化け物たるシュバルツには誰も続かないかもしれない。負けを確信した兵は、元は同じ国であるストレインに投降してもおかしくはないのだから。

 そんな弱気な思考が脳裏を過ったが、シュバルツは頭を振って戦場たる平原を北側に向けて疾走する。誰に恥じるでもなく、不敵な笑みすら浮かべて。

 自身は聖王国という名を冠する国を統べる男。生まれながらにして、絶対者たる王なのだから。

「そんな俺に――続かねぇ訳がないだろうがぁ!」

 浮かんだ自信を叫びに変えて、シュバルツは突き進む。

 その背中に届いたのは騎士の雄叫びと、甲冑の重そうな金属音。彼らは自国の王になるべくして生まれた男を信じてくれたのだ。不利が見えている、この戦場で。

(負けない。ストレインにも……そして、この力にも)

 シュバルツは背に届いた力に押されて、鋭い一歩を踏み込んだ。


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