第五話 (六)
時刻は深夜。
決戦を控えた最後の夜を各々が有意義に、または震えながら過ごしている時刻にて。
「ようやくこの時が来たか。長かったものだ」
薄い笑みを浮かべて独語したのはカーマインだった。
漏れ出た言葉は、決してこの国の者には聞かれてはならない言葉である。だが、現在カーマインが佇む場所は、自らの財によって建てられた館の自室であるため何ら問題はない。そもそも一人で住むには広すぎる館で一言、二言呟いた所で支障があるようには思えなかった。
だとしても、理想を語るならば黙して夜を過ごすべきなのかもしれない。
だが、所詮はカーマインも人である。気分が高ぶれば引き締めた口も緩んでしまう。特に自身の描いた「崇高なるシナリオ」がついに完結するのだから。それを喜ばずして、何を喜ぶというのだろうか。
「いかんな。飲み過ぎたか」
思考を走らせれば、走らせるほど気分が高まっていく事を感じたカーマインは、右手に握るグラスへと切れ長の瞳を向ける。
豪奢な館の一室とは真逆の頼りない照明によって、淡く光るグラス。その中で揺れるのは渇いた血を思わせる赤黒い液体だった。時が経てば経つほどに美味しくなる至高の酒、ワインである。それもただのワインではない。カーマインがこの計画を実行に移すために、あの男の配下になった時に仕入れたワインなのである。
これを飲む時は『決戦前夜』の時。そう決めて、長きに渡って取って置いた物なのだ。その味はもはや言葉では表現出来ない。正直な事を言えば「美味しい」としか言いようがない。それほどまでに現在は心中を喜びが駆け巡っているのである。
「全ての準備は成された。後は我が策で……あの男を殺すだけ」
心躍る気分に酔いしれていたカーマインは、もはや漏れる言葉を止める事が出来なかった。気分が高まると、表情と言葉に出てしまう所は悪い癖だと思っているが、止められないのだから仕方がない。それに人間誰しも欠点はあるものだ。
自身に与えられた知略、行動力を思えば、その程度の欠点などは取るに足らない事だろう。言うならば絶対者たる王が、地を這う愚民を気に掛けるようなものだ。
それほどまでに自身を褒めちぎるカーマインであるが、当然やるべき事はしっかりとやっている。先日行った茶番を原因として、リシェス共和国と聖王国ストレインの関係を悪化させる事に成功したカーマインは、一つの手紙を王ラディウスに届けていた。
内容としては、聖王国ルストに対して侵攻した際に援軍を派遣しなかった事に対しての問責。そして、関係を維持するための条件として提示した事は、聖王国ルストに対して単独で進行するというものだ。さもなければ、リシェス共和国はストレインに侵攻するという脅しまで含まれているのだから、完璧と言っていいだろう。
ストレインからすれば勝手に侵攻して、挙句に返り討ちにあっただけにしか思えない彼らからの手紙。だが、彼らルストと交戦している際に、アイザックの部隊は平原にて待機していた事は事実であり、言い逃れは出来ない。
だとしても、確かに手紙を突き返す事も出来る。
だが、突き返したのであれば、ルストとリシェスの両国と戦わなければならなくなる事は明白。そうなれば、北に位置するグシオン連合国も黙ってはいないだろう。
結果、ラディウス王は言われた通りに動くしかないのだ。
何か陰謀めいたものをあの優秀な王であれば気づいているだろう。だが、隣にいる者を信じてしまう彼はカーマインを疑う事はしないように思う。
全てが順調過ぎて恐ろしいくらいだ。
だが、それは自身が英雄となるにふさわしい男であるためだろう。ただの凡人であれば、計画の初期で躓き、今頃は命を失っているに違いない。
――英雄たる者だからこそ出来た。
まるで暗示にかけるように自身の心へと言い聞かせたカーマインは、至高の味を嗜みながら、長い夜を楽しんだ。




