第五話 (四)
場を満たしているのは耳が痛い程の静寂。
そして、まるで真剣にて命の奪い合いをしているかのような張り詰めた緊張感だった。実際には剣などという人を殺める道具が、この場にある訳では決してない。
ただその場にいる二人が、この独特の雰囲気を作り出しているのだ。
一人は謁見の間に用意された豪奢な玉座に座るラディウス王。そして、もう一人は今まで旅に出ていたイリスだった。
「王。アイザックの陣にて伝言を受け取りました。勝手な事ばかりする私への心遣い……感謝致します」
いつまでも沈黙が続くのかと思われたが、イリスが玉座まで続く真紅の絨毯を一歩進むと共に、凛とした声を王へと届ける。
そう。
父ではなくて、王に言葉を届けたのだ。今が戦時下でなければ、父へと帰還の報告をする事も出来た。その中で心配してくれた事に感謝する事も、例えば心優しい父に抱きつく事も、父が内心で溜めこんでいる怒りを受け止める事も出来た事だろう。
しかし、今はそれ以前にやる事がある。
今までの旅を無駄にしないために伝えなければならない事があるのだ。この役目はもしかすればゼイガンでも出来た事かもしれない。元々はゼイガンに与えられた任務でもあるのだから。
それでもイリスは自身がやると決めた。結局はイリスが思う通りに進み、言葉を交わしてきたのだから。そのイリスが成さねば、誰が成すというのだろうか。
しかし、この想いは言葉には出さない。その全ての想いを、父から受け継いだ深緑の瞳に込めて伝えるだけだ。
――ただ王へと想いを伝えるために。
そんな想いが伝わったのか、伝わっていないのか。
王は一つ溜息をついて、ゆっくりと口を開いた。
「一人の父親として……心配だった。それだけだ。しかし、これ以上は言わんぞ。それよりも他に言いたい事があるのだろう?」
イリスが望むように父親ではなくて一人の王として。背筋を伸ばし、同じ輝きを燈す瞳を重ね合わせてくれたのだ。
(……ありがとうございます)
そんな父に内心で感謝して、イリスは皆を代表して重い口を開く。
「今回の一件。裏で手を引いているのは……カーマイン殿です。目的は聖王国ストレインの王を戦時下で殺す事。そして、次の標的はおそらく聖王国ルストだと愚考します」
そして、一人の臣下が報告するように、イリスという個人を殺して言葉を紡ぐ。
正直な事を言うならば、上手く出来ているかどうかは分からない。だが、紡ぐ言葉を止めるつもりはない。
「カーマインか。お前の考えでは……彼はリシェス共和国からの刺客という事か? 二つの聖王国が滅んで得をするのはリシェス共和国だと思えるが」
言葉を受け取った王は顎に手を置いて、厳つい顔をさらに険しくさせる。
これは難しい事を考える、ラディウス王の基本的な表情。どうやら話だけは聞いてくれるらしい。これは娘の進言だからなのか、それとも王自身も彼を疑っているのか。その理由は分からない。
「リシェス共和国が得をするようにも見えますが……元聖王国ルストの騎士たるシオン殿が言うには、他国の臣下である可能性もあります。例えば……北の強国グシオン連合国。または領土を欲するフィーメア神国です」
だからこそ、イリスは王へと自身が得た情報を全て伝える。
後の判断は王がする事だ。少年王として、ずっとこの国を支えてきた人。そんな父の決定した考えを、まだ何も成せていない小娘が覆せる訳はないのだから。
「なるほど。確かによく出来た話だ。だが、彼が所属している国家が分からない時点で……それは言いがかりにも近い行為。あえて厳しい事を言うが、何の証拠もなく進言する事は控えろ。今回話を聞いたのは……イリフィリア、お前の成長度合いを見たいという意味合いが強い」
やはりというべきか、王の判断はアイザックと同じだった。
いや、むしろアイザックに伝えた時よりも反発が強い気がする。常に王の側に佇み、進言を繰り返した参謀を証拠もなく裏切り者扱いされたのだ。実の娘であっても許せない事なのかもしれない。もっと言うならば、実の娘だからこそ何の処罰もなく済んでいるのかもしれない。
(……私は……ただの姫なのね)
今になってようやく、自身が置かれた立場を理解したイリス。
アリシア、ゼイガン、そして、心を閉ざしていたカナデ。彼らの心を動かせた事でイリスは何かを成せるのだと信じていた。そして、今回の旅も何か自国のためになるのだと思っていたのだ。
だが、所詮はただの姫でしかない。答えに辿り着いても、何も変えられないのだ。もっと情報があれば、もっと自身に力があれば変えられたかもしれない。
それが悔しかった。しかし、これ以上進言を続ける事は、もはや子供が駄々をこねるのと同じだ。そんな姿を晒せば、王はイリスに落胆するだろう。
だからこそ、イリスは拳を痛いくらいに握り締めて耐える。
そして、考える。王が少しでも警戒してもらえるような、確たる情報を伝えるために。
「証拠として提言出来ることはありません。強いてあげられるものとしては……シオン殿からの情報しかないでしょう。彼は確かにカーマイン殿が裏で工作していると断言しています」
情報として足りていないのは承知している。それでも、王の心に少しでも届くのだと信じて。それが娘の言葉であるという事であってもいい。
大切なのはこの戦いで王が討たれなければいいのだから。
しかし、言葉を受け取った王は――
「もういい。今日この国に来た者を信じる方がどうかしている。そして、私は出来れば共に歩んでいく者を信じていたいのだ。イリフィリア……お前は我が命に従い、共に歩んだ事が一度でもあるのか? 一人で進む者の意見を誰が信じるというのだ? なぜ、それが分からん。それとも……王にでもなったつもりか?」
どこか諦めたような表情を浮かべて、淡々と述べた。
もはや玉座に伸ばしていた背をつけて、話は終わりだと言わんばかりである。
王の言葉、いや、後半はおそらく父としての言葉を受け取ったイリスは、返す言葉が見つからなかった。確かにイリスは一人で突き進んできたように思う。
側には常にアリシアとゼイガンがいてくれた。それでも、イリスは彼らの言葉を聞かずに突き進んだ事もしばしばあったのだ。その行動にカナデが困惑していたのは知っている。そんな彼女にイリスは冷え切った瞳を向けた事もあった。
そんな自身は間違っているのだろうか。
だが、今は答えが出ない。いや、誰も答えを知らないだろう。
答えを知るためには、イリス自身が王となるしかないのだから。その中でカナデ達が離れていくというのであれば、それはイリスの『王道』が間違っているという事だろう。
しかし、今はそれを考えるのは早すぎる。父が述べたように、イリスは王ではないのだから。ただの力なき姫でしかないのだから。
ならば、姫として、一人の娘として伝える事を伝える他に道はないように思えた。
そもそも浮かんだ言葉をそのまま伝えるのが、イリフィリア・ストレインなのだから。
「申し訳ありません、王。私が……愚かでした。ですが……どうか自身の身を案じて下さい。これは臣下の言葉ではなく、あなたの娘としての言葉です」
「分かった。愛娘の言葉ならば受け取ろう。そして、約束しよう。この戦いでは……まだ死なぬと」
娘の言葉を受け取った、王は今までの厳つい表情を一瞬だけ緩めた。
今はこれが限界だろう。世界にはどうしても止められない流れというものがある。それでもその流れを断ち切りたい、そう願うのもまた人という存在だ。
ならば、イリスのやる事は決まっている。荒事は得意ではないが、それでも黙って座っているなど自身には不可能なのだから。
しかし、まさか戦に参加すると、ここで述べる事は出来ないので――
「約束して下さい。私は……まだ王になるには幼すぎます」
当たり障りのない言葉を返して、王へと背を向ける。
「分かっている。娘に心配される程……老いてはおらん」
そんなイリスの背中に王は言葉を返す。
どんな表情を浮かべて、どんな想いで言葉を届けてくれたのか。それは娘であってもよく分からなかった。それでもイリスの胸には、ただこの国を、そして父を守りたいという気持ちだけが膨らんでいった。




