第五話 (二)
城塞都市シェリティア郊外。
高さ二十メートルを超える、見上げるだけでも首が痛くなりそうな城門の外側で。
「どうやら間に合いましたか」
感慨深そうに述べたのは、ゼイガン。
いったい何が間に合ったのかといえば、短い草が覆うストラト平原に設置されている「物」を見ればすぐに分かる。
その「物」は一言で表現するならば、台座に固定された巨大なボウガン。
高さ約三メートル、有効射程は三百メートル強。用意された矢は、突撃用のランスを思わせる程に太くて、長い。もはや攻城兵器として利用される投石器と並べても遜色ない兵器が三台並べられていたのだ。
「それはいいが――これを使うのか?」
どこか落ち着いたゼイガンに比べて、声を上げたアイザックは眉根を寄せている。
おそらくカストア砦を攻略するために用意したというのであれば、彼もすぐに理解出来た事だろう。要するに用意された物が巨大過ぎるのだ。
確かにランス程に巨大な矢が、ボウガンの二倍以上の速度で飛来するのは恐怖の一言。
だが、この大きさでは連続で放つ事は当然不可能であり、千を超える兵が動き回る戦場で効果があるのかどうか。それも一発で、せいぜい二、三人を倒せるかどうかの兵器が。それが彼の疑問だろう。
さすがに味方が、それも兵を率いる立場にある者が理解していないのは危険だと判断したゼイガンは――
「もちろん。ですが、さすがにこの兵器が殺せる数は……百にも満たないでしょうね」
ゆっくりと口を開いて、彼の疑問に答えていく。
そうは言っても焦る事はせずに、ゆっくりと丁寧に。
「それくらいだろうな。気休め程度の物か」
しかし、豪胆な将軍は自身が期待した答えが得られない事に憤ったらしく、腕組みをして言葉を返す。彼の脳裏には、百から二百の兵を削るだけの物に見えるようだ。
だが、ただそれだけの兵器も使い方によっては有効である。
「いえ、必要です。今回の戦ですが……まずは相手の陣を破壊します。そのための最初の一手が、これです」
さすがに反対されたままでは支障が出るために、ゼイガンが即座に種明かしをする。
「……確かにこんな物が陣の中心に落ちたら多少は乱れるか。だが、投石器が陣に向けて放たれる事もある。すでに慣れていると思うが?」
そんなゼイガンに対して、アイザックはまだ納得していない様子。
そんな将軍の姿を見て、ゼイガンは自身が用意した策が有効であると確信する。すぐに看破されるようなものは、そもそも策とは呼ばない。ただ規模が大掛かりになった嫌がらせか何かだろう。その嫌がらせも数が多くなるとさすがに煩わしいのだが、それは今回の場合は関係の無い事だ。
この場合で重要なのは練り込んだ策が発揮された時は、戦局をひっくり返す程の効果があるという事だ。今回で言えば敵の兵力の三割を削る事が可能だろう。三割と述べたが前哨戦程度の戦であれば、三割も削れば敵は退いていく。不利だと悟っても突撃してくるような将軍などは存在しないのだから当然だ。よほどの事情があれば話は違ってくるのだろうが。
狙うは短期決戦。
ゼイガンが怪しいと睨むカーマインが、何かを成す前に決着を付ける事だった。さすがに戦場に出て再び戻った時には彼の策は達成されているだろう。だが、万が一にも間に合う可能性があるのならば、それを捨てるつもりはゼイガンにはない。
その鍵を握るのは一人の少女。汚染者と呼ばれた人外の力を持つ、カナデだ。
胸中で自身の策を再確認したゼイガンは――
「カナデ殿の力を借ります。さすがに二つも予想外の事が起きれば対処出来ませんから」
自信に満ちた表情で言い切る。
間違いがないのだと将軍に信じてもらうために。ただそのためだけに。
「なるほど。攻城兵器に視線を集め……その間にカナデが接近。以後は一人での奇襲か。よく引き受けたな……まさに命懸けではないか」
どうやらゼイガンの策が見え始めたアイザックが、無造作に伸びた顎鬚に触れて唸った。確かに一人での突撃となれば誰しも臆するだろう。
ゼイガンでさえ、一人で千を超える部隊に突撃しようなどとは思わないのだから当然だ。一般の人間であれば無駄死にもいい所だ。
しかし、カナデであればそれが出来てしまう。無敵ではないにしろ、人外の力を持った彼女であれば可能なのだ。崩れた陣にストレインの騎士が流れ込む、まさに瞬間までならば。
だが、これはただの机上の空論に過ぎない。
それでも、カナデは信じる姫君のために動いてくれたのだ。姫が信じるゼイガンを、カナデもまた信じてくれたのである。聞く者が聞けば「国のために死んでくれ」と、そう述べているかのような、こんな残酷な言葉を何の迷いもなく。
「そう……命懸けです。だからこそ私達も命をかけましょう」
カナデの一途な想いを胸に抱いたゼイガンは言葉を紡ぐ。揺らがない言葉を、カナデのように真っ直ぐに。
「そうだな。お互いに……死んでも悲しむ者がおらんでな。お前は兵器の開発と新たな陣の考案で、俺は次期将軍候補を見つけるために多忙だった。嫁の一人くらいもらえば人生違ったかもしれんな」
想いを受け取ったアイザックは星空を見上げて、まるで今までの人生を振り返るように語る。
実際に自身が若い時を思い出しているのだろう。ゼイガンが知り得ない遠い過去を。
だが、彼の言うように、ゼイガンもアイザックもこの一年はずっと多忙だった。周囲に敵国ばかりいるのだから、やる事など数える事が馬鹿らしい程にあったのだ。
ゆえに、ずっと独り身だった。それが悪いという事ではないが、決戦を目の前にして男二人で話さねばならないというのは、いささか悲しい気がしないでもない。
ゼイガンはもはや天命が近いのだが、アイザックはまだ数年は生きられる。そのため、より一層胸にこみ上げてくるものがあるかもしれない。
そんな彼にどう言葉を返すべきか。一瞬だけ考えたゼイガンであったが、自然と言葉は浮かんできた。
「もし生き残る事が出来たならば……嫁の一人でも見つけたらどうです? 今からでも遅くはないですぞ」
決戦の前夜にはどこか不釣り合いだけれど、どこか間違っていないような気がする軽い冗談が。実際にゼイガンは彼に笑いかけていた。
ガチガチに固まって戦えなくなるよりかは幾分かましだと思ったのだ。
「俺もいい歳だ……今さら嫁など。それに俺は……俺達は、ただ一人の方を愛している。ずっと変わらずに」
ゼイガンの温かさに心が解れたのか、アイザックも厳つい表情を和らげて一言。
俺達と言い直したが、おそらくもう一人はラディウス王だろう。そして、好意を向ける相手は王妃シルヴィアか。姫が姫ならば、王妃も王妃だという事だろう。
人を惹きつけて離さない『魔法』を彼女達は使えるのだ。意識などせずとも無意識のうちに。それは姫に心から仕えているゼイガンにはよく理解出来る事だった。
彼とは違い恋愛感情はないのだが、ずっと大切に想っていたい、そう思える不思議な気持ちが、イリスを見ていると自然と胸に込み上げてくるのだから。
「そうですか。影響力が強すぎるというのも考えものですね。ですが、ただ一人の想い人のために剣を捧げるのも……また一人の男の生き様です。例え報われなくとも」
込み上げてくる想いをゼイガンは言葉に変える。
隣に佇む将軍であれば理解してくれると思ったからだ。そして、叶うならば残り少ない余生を誇り高き騎士として共に駆け抜けていきたいと思う。
ただ聖王国ストレインのために。そして、彼の愛した王妃シルヴィアの残した希望のために。
そんなゼイガンの想いが伝わったのか――
「例え報われなくてもか。そうだな。俺達のような……後は朽ちるだけの男もまだまだやれる事がある。あの若き者達が作る世界……ゆっくり見たいものだ。その礎を作るのが我ら。必ず……勝利してみせる」
アイザックは右手の拳を握って、野太い声を空へと届ける。
その声を届ける相手は、おそらく天に昇った片想いの相手だろう。そんな彼はどこか純愛をしているような少年に見えてしまった。もっと豪胆で細かな事は考えていない根っこからの将軍だと思っていたが、どうやら純粋な心を持った男であったようだ。
「勝ちましょう。そして、今日はあなたを知れて良かった。異国の騎士として……この国に来てからは、友と呼べる者はおりませんでしたからな」
そんな純粋な彼に向ける言葉は、やはり真っ直ぐな言葉がいいと思ったゼイガンは感じたままを述べる。
「俺もだ。死ぬなよ……友よ」
その考えは正しかったようで、アイザックは腕を組んで嬉しそうに笑った。
「ええ。戦いが終わったら……酒場で飲みましょうか」
その笑顔に向けて、ゼイガンは一つの約束をする。お互いが生き残った際に叶えられる約束を。結ばれた約束が生き残る際の力になる事を祈って。
その夜。
二人の寂しい男は、時間の許す限りに語り合った。




