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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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第五話 (一)

 第五話 決戦前夜


 城塞都市シェリティアを西側へ抜けて、一時間ほど歩いた先にあるのは銀の森と呼ばれた生命なき森だった。世界によって拒絶された者、すなわち汚染者が住む場所として昼夜問わず、人が訪れる事は少ない。

 その場にある物は、この寒空に似合った凍てついた氷結花と、遥か先が見渡せそうな透き通った木々のみ。決戦を控えた前日も、やはり従来通りに誰もいないように思われた。

 だが、その場には二人の少女がいた。

 一人は漆黒のローブに身を包んだ、どこか鋭い刃物を思わせる凛とした少女。そして、もう一人は実際の年齢よりも一、二歳ほど幼く見える、主要部位のみを防護する軽装を身に纏う少女だった。

 汚染者カナデと、姫の近衛騎士たるアリシアだ。

 昨日まで姫に同行していた二人が、空に星が瞬く時刻に何をしているのかと言えば。それは寒空に鳴り響く、金属音を聞けば一瞬で分かる。

「こうして刃を交えると――よく分かるものだな!」

 金属音の発生源の一人であるカナデが、剣閃を振り下ろすと共に叫ぶ。

 狙いは当然、地面と平行に槍を構えるアリシアだ。駆け抜けた剣閃は、カナデの動きに沿って舞う花弁すらも両断する程に鋭く、速い。おそらくは見えてからでは反応する事は叶わない高速の一閃。だが、アリシアは半歩下がると共に避けて見せた。

「そうだね。思ってたよりも、重くて鋭いかも」

 しかも、余裕があるのか言葉を返しながら。

 受け止めるとばかりに思っていたカナデは、勢い余って長剣を膝下まで振り降ろしてしまう。アリシアの武器が、間合いを調整しやすい武器である事を考慮すれば、危険である事は言うまでもない。

 予想通りというべきか数瞬の間を置かずに、煌めく花弁を突き刺す程の正確さを持って金属槍が突き出される。常識的に考えれば避けられない、高速の突き。

 しかし、カナデも対抗して腰に装着したホルダーから、ナイフを逆手で引き抜くと同時に左から右へと走らせる。狙いは槍の軌道を逸らす事。それと共に触れた槍を起点として、左側へと跳躍する事だ。

 刹那、横薙ぎに駆けたナイフと、突き出された金属槍が高い音色を響かせる。

 まさか弾くとは思っていなかったのか、アリシアは標的を見失って蒼い瞳を見開く。その間に、生命なき花が無数に咲く地へと着地したカナデは、時計回りに回り込むようにして駆ける。

 突き出された槍が戻るよりも速く、そして相手アリシアが反応するよりも速く。

 カナデの強みは身軽さ。おそらく武器と武器を重ね合わせた場合は、アリシアが優位だろう。それは突き出された高速の突きを見ればよく分かった。

 槍は専門ではないカナデでさえ、はっきりと分かる程に彼女の突きは鋭かったのだ。五十戦四十八勝、という驚異的な数字は嘘ではなかったらしい。一体誰に二敗したのかは気になる所ではあるのだが。

 しかし、それは今考えている暇はない。もはや眼前に彼女がいるのだから。

 騎士剣か、それともナイフか。

 カナデが迷ったのは数瞬だった。即座に、両刃の長剣をアリシアの首を狙って、横薙ぎに走らせる。駆ける銀閃が、目標に届くのは一秒にも満たない僅かな時間。勝利は確定しているように思えた。

 しかし、一瞬だけ重なった蒼い瞳は諦めてはいなかった。それどころか童顔の騎士は薄っすらと微笑んでさえいたのだ。まるで罠にはまった相手を見るかのように。

 一瞬、カナデは下がるべきかと思った。

 だが、すでに走らせた刃を止める事は出来ない。ならば、さらに速度を上げて勝負を決める他に道はないだろう。

「ごめんね」

 しかし、カナデの考えは即座に否定される。たった一言の謝罪の言葉によって。

 そして、結果は呆気ない程にあっさりと決まった。

 まず横薙ぎの一閃は、槍を手放したアリシアによって屈むようにして避けられ、カナデが気づいた時には喉元へとナイフを突きつけられていたのだ。どうやら剣が頭上を通過した瞬間に地を蹴ったらしい。

 眼前にいたというのに「らしい」という言葉を使ったのは、あまりにも速くて目が追いつかなかったのだ。まるで夢でも見ているのではないか、そう思ってしまう程に彼女の動きは素早かったのである。

「身軽さを武器にしてるのは……私も同じ。特に槍のような大振りな武器を扱う者は、時には不規則な動きも求められる。カナデの氷装具は大鎌だから、覚えておいた方がいいよ」

 どこか呆気に取られているカナデに、ナイフを突きつける童顔の少女が語る。

 幼い顔立ちで最もな事を述べる様は、どこか不釣り合いな気がしてしまう。だが、彼女が言う事は正しい。

 大振りな一撃を外したら何も出来ないのでは、命が幾つあっても足りないのだ。氷装具を展開すれば、最悪は血を固まらせる事で数撃は防げる。だからと言って自身が磨き上げた力以外に頼るのは、いささか問題があるように思う。

「そうだな。私が甘かった。これで……五十一勝か?」

「ううん。カナデは首を狙ったけど……実戦なら胴を狙ってたでしょう? さすがに屈んでは避けられないよ」

 素直に負けを認めたカナデに、アリシアは頭を振って否定した。

 確かに彼女の言う通りに、勝ち負けをはっきりさせるために首を狙った。だからこそアリシアは小柄な体躯を活かして、避ける事が出来たのだろう。結い上げた銀髪に剣が触れる事もなく、綺麗に避けられたのだ。

 しかし、カナデは納得する事は出来ない。仮に胴を狙っても、彼女なら避けるか、または防ぐ事が出来たように思えたのだ。

 だからこそ――

「いいや。私の負けでいい。その方が鍛錬にも身が入る」

 カナデは自身が敗者だと認める事にした。

 実際に彼女のナイフは首元に当てられているのだ。ここで自身が勝者だと言える人間も少ない気もするのだが。

「そう。カナデがそれでいいのなら」

 言葉を受け取ったアリシアは、薄っすらと微笑んで半歩下がる。それと共に、手にしたナイフをゆっくりと腰にある小振りな鞘へと戻した。

 そんな彼女はどこまでも落ち着いているように見える。明日には人と人の殺し合いが始まるというのに。

 両国共に自国の繁栄と、信じる王のために剣を振るうという事は分かっている。それは市民を守るという事に直結しており、それを「誉れ」として命をかける。

 それが、騎士と名乗る者達。

 そんな事は何度も何度も、しつこいくらいに心中で確認してきた事だ。しかし、カナデの心を掠めたのは恐怖だった。騎士を名乗るのであれば、恐怖などあってはならないというのに。カナデは死ぬ事を、失う事を恐れているのだ。

 そして、自身が禁断の力を用いなければ、こうも弱いという事実がさらに重くのしかかる。先日はシオンの剣をへし折ったカナデではあるが、迷いを振り切った彼が本気を出せば敵う訳はない。それは剣を合わせた自身が一番よく分かっている。

 ――なぜ自身はこうも弱いのか。

 毎日、欠かさず鍛錬を積んでいるというのに。この心に光を燈してくれた、イリスを守りたいというのに。なぜ、こうも才に恵まれていないのだろうか。

「カナデ? 何か悩んでる?」

 しばらく沈んでいると、窺うような瞳が覗き込んできた。しかし、彼女はそれ以上何も言わない。ただカナデが口を開くまで待つつもりなのだろう。

 ――戦いでも、人としても負けている。

 カナデは一瞬でそう理解した。国のため、イリスのためと言いながらも、人から距離を置き続けたカナデ。それは自身の穢れた力のせいだと言い聞かせながら、ずっと。

 自身を受け入れてくれる人が、こんなにも近くにいるというのに。それだけではない。他にもイリス、ゼイガン、アイザックと気にせずに接してくれる人が大勢いるというのに。

「私は……弱いな」

「知ってるよ」

 いつの間にかカナデは言葉を呟いていた。だが、そんな些細な言葉でさえもアリシアは拾ってくれる。そして、瞬く星に照らされて、綺麗に微笑む。

 カナデを元気にさせるためだけの最高の笑顔を届けてくれる。

「だが、弱いままでいるつもりはない。この身には……成すべき事を成すための力がある」

 そんな彼女に応えるために、カナデは言葉を紡ぐ。

 迷いなき言葉を。臆する自身を叱咤するために。そして、例えこの命が燃え尽きようとも、聖王国ストレインに勝利を導くために。

「出来るよ。カナデなら」

「ああ。たとえ失ったとしても――私の力で勝利を掴んで見せる」

 アリシアはただ信じてくれた。だからカナデは進む事が出来る。

 この穢れた力を使ってでも突き進む事が出来るのだ。カナデに与えられた役目は、汚染者にしか出来ない役目。それを無下にするかどうかは、自分次第。

「先に行っている。戦いが始まるまでは湖の上だからな」

 胸中で意志を固めたカナデは、信じてくれる少女に背を向けて言い切る。これ以上、優しさに触れていると、自身の刃は鈍ってしまうような気がしたから。

「イリスの事は……任せて」

 そんなカナデの背中にアリシアは言葉を送る。次に会う時はお互いに生き残った後か、それとも戦場でばったりと会うのか。それは神のみが知る事だろう。

 出来れば二人とも目立った怪我もなく、再び会える事を祈ってカナデは一歩を進む。もうこれからは一人での戦いになる。

 そう思って歩いていると――

「カナデ。伝え忘れた事があった!」

 突然、アリシアが思い出したように叫んだ。

「なんだ?」

 まだ何か用があったかと考えながら、カナデは振り向く。

 すでに五歩分の距離を置いて立つ彼女は、再び叫ぶために肺へと息を取り込む。

 そして――

「イリスから伝言! 私は王を守る。だからその代わりに……戦ってほしい。汚染者ではなくて、私の『代行者』として!」

 イリスの伝言を、力の限りに叫んだ。

 正直な事を言えば、イリスに直接言って欲しかった言葉ではある。だが、彼女とて今は実の父を正面から説得しているのだ。ある意味では仕方がなかったのだろう。

 だが、冷静になれば言葉だけでも伝われば十分だった。伝わった言葉は、確かにカナデの心を熱くしてくれたのだから。

「イリスの代わりに刃を振るう者……代行者か。それが、私が戦う理由……そして、あるべき姿」

 カナデは心を埋め尽くす確かな熱を言葉に変えて、全身へと想いを沁み込ませていく。初めて代行者という言葉を聞くが、自然とカナデには馴染むような気がした。カナデが戦うべく理由の全てを、一言で表現しているように思えたから。

「アリシア! 『心得た』……それだけ伝えてくれ。それだけで十分だから」

 だからこそ、カナデが返す言葉も一言でいい。一言で全てが伝わると思うから。

「うん!」

 伝言を受け取ったアリシアは強く頷く。

 それを最後にカナデは振り返り、戦地へと向かって行った。


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