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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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第四話 (五)

 氷色の瞳に映るのは、黄土色の砕けた絶壁。

 そして、大岩によって押し潰された人だった。

「こんな事をして……何がしたいの?」

 穢れ無き白に統一された少女は、大岩が降り注ぎし頭上を見上げて呟く。

 ――そして、問う。

 戦う理由を、殺す理由を。少女の、そして氷雪種の中にはない概念を、それらの行為を成す理由を求めて言葉を紡ぐ。だが、答えは返ってこない。

 答えを知っているかもしれない者は、砕けた絶壁と共に、押しつぶされてしまったのだから。そして、唯一生き残った者も、平然と立ち尽くしている少女へと、恐怖の瞳を向けるだけだった。とでもではないが言葉を発する事が出来るとは思えなかった。

 それでも、少女には彼を知り得る方法がある。

 言葉を交わして知るのではない。ただ繋がる事で、人という存在の一部を知るのだ。

「――教えて」

 少女は、怯え震える者へと歩み寄って、手を差し伸ばす。

 その間に彼は、一歩、また一歩と後ずさる。彼と少女が立っているのは一本道。少女の右側は抉られた壁、左側は崖だ。少女が前方から、聖王国ルストへと向かう道から迫るというのであれば、彼は後方へと、自国であるリシェス共和国に向けて下がるしかない。

「逃げないで……痛くないよ」

 もはや恐怖でまともな思考が働かない彼に、少女は優しく語り掛ける。

 少女の浮かべる微笑みは、まさに天使の微笑み。全てを終わらせてくれる救いの笑みにも見えてしまう。今まさに人の身から、氷の結晶という物体へと変えようとしているというのに。

 いつの間にか下がる事を、息をする事さえも忘れてしまった彼へと向けて少女は――

「そう。恐くないよ」

 短い言葉を発して、壊れ物を扱うように抱きしめる。

 すると。

 一度、乾いた音が鳴り響く。それは人が人で無くなる音色。

 そして、音色に混じって聞こえたのは――

「誇り……家族……友」

 囁くような言葉。

 まるで何か零れ落ちていくものを、丁寧に確認するかのような少女の言葉だった。実際に少女は、彼から流れ込んでくる想いを一つずつ確認しているのだ。自分達にはない、特別なる感情を。彼らを、そしてこの世界を知るために。

 だが、それは一瞬で終わってしまう。

 抱きしめた彼が、涼やかな音色を響かせて、砕け散ってしまったからだ。結局は、少女が知り得た事は囁いた言葉のみだった。

 そして、知り得たという言葉は、今回で言えば正しくはない。

 それを証明するかのように――

「あなた達は決まって、それだね。なぜ、他者を大切に思えるのに戦うの?」

 真っ白な少女は言葉を紡ぐ。

 すでに伝わった想いは知っているものであり、数多に流れ込んできた想いだったのだ。そして、彼らがどれだけ『誇り、家族、友』というものを大切にしているのかも知っている。だからこそ少女は分からないのだ。

 家族が大切なら、なぜ死を選ぶのか。友が大切なら、なぜ平凡なる生活に甘んじないのか。そして、誇りとは何なのか。

 幾度に想いを繋げても、理解は出来なかった。そして、同じ言葉を交わしても理解出来ない。彼らを理解するために自身がいるというのに。

 そのために、あの『少女』は体を貸してくれたというのにだ。常に側にいる少年に別れを告げて。人と人ならざる者が、分かり合うために。

「ソフィ……絶対に成し遂げて見せるよ。それまでは歌うから。あなたの歌が……世界に届くと信じて」

 すでに皆が消え去った後に。

 決意を込めた少女の言葉が空へと昇る。言葉が、この世界の誰かに届くと信じて。自身が成すべき事が無駄にならなければいい、そう密かに祈って。

 再び胸に溢れる想いを確認した真っ白な少女は、氷雪種のように白き霧となって霧散した。



 カストア砦を越え、ストラト平原を北西に進んだ先。

 普段は障害物のない、短い草が生い茂るだけの平地に展開されているのは、無数のテントが建てられた簡易的な野営地だった。

 簡易的と述べた理由は、進行を阻む柵などは用意されておらず、守備をする用意がないからだ。おそらく敵が動くような事があれば、騎兵の移動速度を武器にして奇襲を仕掛けるか、または自国領内に撤退するつもりだろう。そして、突いても後退するだけの相手に、不用心に攻撃するつもりは聖王国ルストにはないのかもしれない。

 そんな形だけ整えられた野営地にて。

「ここは……アイザックの陣ね」

 確認するように呟いたのはイリス。

 今までは他国の地であったために、シオンを先頭にして進んでいた一行ではあったが、現在はイリスを先頭にしている。

 その両脇はカナデ、アリシアが固め、その後ろを男性二名が警戒しながら続く。彼らは前方よりも、後方からの追手の方が危険だと言いたいのだろう。

 だが、イリスからすればシオンがいるだけで、追手や刺客も逃げ出してしまうような気がする。彼はアルフレッド同様に一人で百人斬れるという、信じられない強さをしているのだから。時折浮かべる優しげな表情からは、とてもではないがそうは見えない。

 どちらかと言うと彼の剣をへし折ったカナデの方が、鋭い刃物を思わせ強そうに見える。そんな彼女は、一目見ただけでは小さくて、どこか危なげな感じがするのだけど。

(見た目で判断したら駄目だという訳ね)

 イリスは次々に浮かぶ思考を、強引に心中で結論付ける。そうでもしないと、いつまで経っても思考の海から脱出できないような気がしたからだ。

 平原の短い草を踏みしめて進んでいると。イリスを、巨大な影が覆い尽くす様に被さる。

「姫様! よく御無事で!」

 そして、その巨大な影は野太い声を発すると共に、イリスを包むようにして抱き上げる。

「ちょっと……アイザック。何をしているの! 皆の前――」

「皆の視線など気にしていられません。このアイザック……どれだけ心配していた事か」

 イリスは抱き上げた人物、アイザックに注意するが、彼は気にした様子はなかった。そんな彼の行動は、ただ喜びを表現しているだけの事なので無下にするのは心が痛むが、少々恥ずかしいと思ってしまう。これではまるで子供ではないか。

「放して。カナデも……アリシアも見ているんだから!」

 喜びに震えるアイザックがまた何かをする前に、イリスは頬を赤らめて、再度彼に言葉をぶつける。二人には、友または姉のようにして接したいと願っているイリスからすれば、これは思わぬ醜態だろう。

「ふむ。致し方ありません。それに……そう時間もありませんからな」

 どうやらようやく言葉が通じたアイザックは、イリスを降ろすと共に、鋭い視線を後方に佇む、この中で一番の年長者へと向ける。将軍である彼でさえ、ゼイガンの意見を聞きたいのだろう。

「時間がないのは分かります。一刻も早く戦の準備をせねばなりませんから。どうやら……聖王国ルストはすぐにでも仕掛けてきます。何を勝算として見積もっているのかは分かりませんが……身勝手に動いたリシェス共和国はもはや信用なりません。全てが敵と思って動いて下さい」

 視線を受けたゼイガンは、一度真っ白な顎鬚に触れると、スラスラと説明的な口調で述べた。感情的でない分だけ、言葉はこの場にいる者全てに伝わり、そして共通の理解として浸透する。

「俺達だけで……ルストを止めるのか? まさか全面戦争ではあるまいな?」

 そんな中で、確認のために質問を投げたのはアイザック。

 彼は自身が知略に劣っている事をよく知っており、それを補うために自身よりも知恵が回る者の意見を聞くのが常だ。それはアイザックの利点だと、イリスは密かに思っている。

 しかし、アイザックの問いに答えたのはゼイガンではなくて――

「全面戦争はないかと。アルフレッド殿は……前哨戦程度の戦と言っていました」

 元聖王国ルストの騎士である、シオンだった。

 ルストに今の今まで所属していた彼が、しかもある程度の位を授かっていた臣下が述べる情報という事は確定情報だろう。それがストレインを惑わす、虚偽の情報でないのであれば。

「裏切り者の言葉を信じろと?」

 当然、彼をよく知らないアイザックは鋭い視線をシオンへと向ける。

 内部へと潜り込んで混乱させるなど、このご時世ではよくある事だ。彼が警戒するのは、イリスにもよく分かる事だった。むしろそれくらいの警戒心がないのであれば、将軍など務まらないと思っている。

 しかし、この場で口に出す事ではないので、イリスは口を閉ざして、皆の言葉を待つ。

 すると――

「彼自身が信じられるかどうかは……のちのちで。ですが、彼が言う事は本当でしょう。今回の一件は、何か別の思惑があるようですので。前哨戦で十分……いや、とりあえずは兵が動けばいいくらいにしか思っていないのではないでしょうか?」

 ゼイガンが沈黙を破るために、自らの意見を述べた。

 これまでの流れを思えば、何かが起きようとしている事は理解している。そうでなければ、ただの姫である自身が狙われる訳はないのだから。自分で述べてしまうのは悲しい事だが、イリスが死んだ所でストレインは揺らがない。

 世継ぎの問題は確かにあるが、それは父であり、現王であるラディウス王が努力すれば間に合う事だ。王妃を失ってから、女性に触れる事もない一途な父を誇りに思いはするが、王としてはやはり感情的に生きすぎているようにイリスは思っている。もしかすれば、妻を守れなかった事で自虐的になっているようにも思うのだけど。

 それはさておき。

 敵の目的は、ストレインを根本から終わらせる事。それを成す事が、影で蠢く者の真の目的だろう。しかも、お互いの兵が衝突する、もっとも状況が混乱する時に、こっそりと。

 そこまで思考を走らせた時。イリスは深緑の瞳を大きく見開く。

 そして――

「狙いは……王?」

 脳裏に浮かんだ言葉を呟く。

 政治と軍事に秀でた現王が戦争中に倒れれば、敗戦は確定し、イリスが継いだとしても、この先は安泰とは言えないだろう。それだけでなく、仮にイリスまでも倒れれば、最悪は内輪揉めと発展する可能性もある。

 そして、それが成せる人物はただ一人。戦が始まった時に、王の隣に立つ参謀だ。以前からゼイガンが疑っているカーマインである。

「私とアイザック殿が出陣している間に討ちますか。それは確かに考えられる手ですな」

 イリスが考えをまとめていると、ゼイガンが肯定するように一度頷いてから述べた。

 彼は元々カーマインを疑っていた。ならば肯定するのは自然だろう。いや、もしかすれば最初からその可能性も視野に入れていたのかもしれない。

 だが、これはある意味では危険だと思う。その理由は、ゼイガンの思考に引っ張られているだけで、明確な証拠が何もないのだ。

 誰かと通じている証拠はない。仮にシオンが、カーマインが通じていると述べた所で、王が信じるかどうか。いや、信じる事はないだろう。

 そんなイリスの考えを肯定するかのように――

「カーマイン殿を疑っているのか? 言っておくが彼の尽力のおかげで……ストレインはさらに豊かになった。それに戦においても彼は十分に知略を振るったのだ。そんな彼だからこそ王は参謀として側においているのだぞ?」

 否定の意見を述べたのはアイザックだった。

 少年王として、長きに渡って国を治めてきた王が信じる人物。そんな彼を証拠もなく疑うとなれば、アイザックでさえ黙っていないだろう。

(どうしようも出来ない。答えは……見えているというのに)

 イリスは、アイザックの言葉を心中に刻み込んで、そっと両手を痛いくらいに握り締める。おそらく王に進言しても同じ事を言われるだろう。そんな王を説得出来る自信がイリスにはない。そもそも勝手に飛び出した身だ、進言すら出来るかどうか。

 考えれば考える程に思考は深く、深く沈んでいく。

 そんなイリスに声を掛けてくれたのは――

「諦めるつもりはないのだろう?」

 今の今まで黙っていたカナデだった。

「カナデ?」

 話が終わるまで、一言も話さないと思っていた少女の一言に、驚いたイリスは振り返ると共に深緑の瞳を向ける。

 すると、彼女は。

「答えが見えているなら……後は伝えればいい。私が知っているイリスは、常にそうしてきた筈だ」

 漆黒の瞳を、イリスの瞳にしっかりと合わせて、淡々と述べた。

 表情は変わらぬ無表情であったが、カナデの瞳には確かな光が宿っている。イリスならば伝えられると信じてくれているのだろう。おそらく自身の心に光を燈してくれたイリスを、何か特別な存在だと勘違いしているのかもしれない。それは嬉しくもあり、それと同時に重さでもあった。

 しかし、イリスはいつか国を背負う身。ならば一人の少女の絶対なる信頼という名の重みすらも背負うべきだろう。

 そう。

 自身が成す事などすでに決まっているのだ。迷う事などすでにないのである。

 だから、イリスは――

「そうね。伝えるわ……私の想いを」

 自身を信じてくれるカナデへと答える。

 迷いのない言葉を、ただ真っ直ぐに。国を、そして自身の唯一の肉親を想って。

 全てが伝わらなくてもいい。少なくとも伝える事で、王が警戒してくれれば、結果は変わるかもしれないのだから。

「アイザック。それで構いませんか?」

 決意にも似た、強固なる意志を胸に抱いたイリスは、ただ一人反対する彼へと視線を向ける。彼がどう答えようとも、すでに進むべき道は決まっているのだけれど。

 しかし。

「姫様。彼は……いいえ、もう何も言いませぬ。後は姫様と王が決める事ですからな」

 言葉を受け取ったアイザックはもう反対はしなかった。彼もまたカナデ同様に、イリスが進む道を信じてくれたのだ。

「ありがとう、アイザック。私は決して止まらないわ。ただ自身が信じる道を突き進みます。信じてほしいなどとは言えません。ですが、叶うなら私と共に歩んで下さい」

 ならばイリスは、彼の気持ちに応えるだけだ。

 精一杯の言葉を彼へと送り、揺れない想いを示すのみである。それが、イリスが出来る最良の方法なのだから。

 そんなイリスの想いに応えてくれたのは――

「大丈夫だ。ここにいる者は……イリスが進む道に光が満ちていると信じている」

 彼女らしい言葉で、信頼を示してくれたカナデだった。

 他に言葉を発する者はいない。おそらく彼女の言葉を無言の内に肯定したのだろう。

「皆、ありがとう。それでは参りましょう……私達の愛する、ストレインへ」

 もう語る言葉は不要だと感じたイリスは、最後に一言述べて一歩を踏み出す。その一歩が、カナデが言うように、光に満ちている事を信じて。


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