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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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第一話 (二)

 謁見の間に漏れたのは聖王国の王たるラディウスの重く深い溜息だった。溜息などするつもりはなかったのだが、抱えている問題のあまりの多さに自然と漏れてしまったのである。

 耳が痛いほどの静寂に包まれたこの空間ではよく響いたことだろう。ラディウスは娘と同じ深緑を思わせる瞳を素早く周囲へと向ける。

 しかし、王の居場所たる玉座から一直線に敷かれている、真紅の絨毯の左右に立ち並ぶ二十名の騎士は何の反応を返す事はない。視線すら向けないというのだから不思議なものだ。

 このまま何もないかと、天井の岩壁に視線を向け、厳つい顔を緩めようとした瞬間。

「王、皆の前です」

 玉座の左側に控える一人の貴族が、苦虫を噛み潰したような複雑な表情をして囁いた。声はおそらくラディウスにしか聞こえていないだろう。

(俺の溜息一つで士気が下がるか)

 王は再び漏れそうになる溜息を飲み込んで内心で呟く。

 王たるラディウスが落ち込んでいれば士気が下がるのは当然の事。それは理解している。しかし、国が豊かであれば、または周囲に敵国など存在せねば、一つ溜息を吐く事にここまで神経を使う事はないだろう。

「北の強国グシオン連合国、南のリシェス共和国、そして東にあるフィーメア神国……ここまで包囲されればな」

 金をあしらった豪奢な玉座に背を預けて、悩める王は独語するように呟く。

 グシオン連合国以外の二国は、領土、兵力共に自国と同程度の国だ。しかし、仮に二国が同盟でもしようものなら一気に力関係は崩壊してしまう。そのため一時も気を緩める事は許されないのが現状だ。

 常に偵察を送り、そして報告された情報を整理する事で対策を考えなければならない。自身の過ちはそのまま国の滅亡につながるのだから当然である。そんな張り詰めた緊張感が疲労として溜まり、さきほどの溜息となって吐き出されたという事だ。

 ラディウスは呟いた言葉に対して返答は期待してはいなかった。

 だが、気真面目な貴族カーマインは一度痩せた顎に手を置くと――

「聖王国ルストも忘れてはなりません」

 間違いを正す様な口調で補足情報を加えた。

(ルストだと?)

 しかし、挙げられた国名が有り得ないものであったためラディウスは瞳を見開く。聖王国ルストとはラディウスの叔父が治める国であるからだ。

「近しい血を持つ者が治めていると言っても油断はなりません。北のグシオンに対抗するために……どの国も領土を求めていますので」

 カーマインは、驚く王に構う事なく淡々と語る。その姿はまさに王の側近、いや参謀としての風格があった。

 そう見えてしまうのは彼が富ではなく、戦争においてその知略を用いる事で名声を高めた異色な貴族だからだ。そしてそれは過去の話ではなく、現在も彼の鋭利な細い瞳は何かを探るように素早く動き、常に何かを考えているようにも思える。どこか不気味な感じもするが、参謀としては優秀な男である事は変わらない。

 実際に彼の言うように領土の増加は兵力、及び民を養う農地の確保には欠かせない。国力で言えば五倍強を誇るグシオンに対抗するためには、どの国も喉から手が出るほど領地を欲しているのが現状なのだ。

(だからと言って……叔父が動くのか?)

 心中でラディウスは一度問うてみる。

 しかし、貴族の言葉を否定できる材料は見つからなかった。

 もし協力体制を取れるのであれば、ラディウスの父、つまりは聖王国ストレインの前王が戦死した際に分裂する事などなかったのだから。

 前王が戦死したのはラディウスが十歳の時。あまりにも早死だったという事は言うまでもないだろう。

 僅か十歳の少年王。王とは呼べない未熟な少年に従う事は一人の騎士としての誇りが許さなかったのか、叔父はこの国から南西に位置する地に新たに国を興した。それから三十五年。

 今でも叔父とは顔を合わせていない。そんな叔父が何を考えているかなど、ラディウスにはまるで想像できはしない。

 ――つまりは他人同然。

 東と南に位置する国が何を企んでいるのかを想像するのと同じように困難な事であった。

「忠告は胸に刻もう」

 そのためラディウスは参謀の言葉を脳裏に残す事にした。身内として油断し横腹を突かれたのであれば、これまで従ってくれた騎士に合わせる顔がないのだから。

「はい」

 カーマインはラディウスが何を考えているのか大よその想像がつくのか、一つ返事をするだけだった。

(さて、これからどうするか)

 参謀との会話を終えたラディウスは素早く思考を走らせる。他国に後れを取る事は許されない現状では、軍事に政治とやる事など挙げればきりがないのだ。

 この場にいても仕方がない、そう判断したラディウスが玉座に手をかける。

 すると。

「王! 姫が!」

 慌ただしい足音と共に叫び声が謁見の間に響き渡る。

(またか……)

 姫と聞いた瞬間にラディウスは嫌な予感が、いや直感が脳裏を駆け巡る。

「部屋におりません。アリシア殿と、ゼイガン殿も!」

 そして、その直感が正しいと教えるかのように、甲冑を纏いし騎士はラディウスへと報告する。

(ゼイガンも一緒か。ならば問題はないか。しかし、親として……王としてイリフィリアの独断を許すべきか)

 ラディウスは浮き上げた腰を再び玉座に降ろして思考を走らせる。答えが出るまでは腰を上げる事はできないだろう。だが、自身一人では答えなど出す事は不可能なラディウスは、厳つい顔をさらに険しくする事しかできなかった。

「よいのではありませんか? あれくらいの歳は自由に動き回るものですよ」

 悩む王を見かねたのか、カーマインはまるで教えを諭すように語り掛けた。

 確か歳は同じだった筈だが、どこか学問を教える先生のような口ぶりに、ラディウスは「それもそうか」と内心で納得して思考を中断する。

(俺もやるべき事をしないとな)

 そして、一人の親から王へと思考を切り替えて今度こそ玉座から腰を上げる。自身の行動が自国の明るい未来に繋がるのだと信じて。

 ラディウスは成すべき事を成すために一歩を踏み出した。


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