第四話 (二)
「ここが――ルスティアか」
王都へと辿り着いた瞬間に、言葉を発したのは通路に佇むカナデ。
通路に佇むという行為は、人が疎らであっても迷惑この上ない行為だが、今のカナデは気にしている余裕はなかった。それは初めて訪れるこの王都ルスティアの商店街が、さらに正確に言うならば、並べられた装飾品の数々があまりにも綺麗だったからだ。
聖王国ストレインの商店街は、カナデが頭痛を起こす程に混沌としていた。
しかし、ここは違う。
灰色の石造りの四角い店舗が左右へと均等に配置される事で見た目も良好で、ガラス越しに覗く事が可能な商品、ガラスにまるで絵を描いたように装飾されたビーズが幾重にも連なるアクセサリーはうっとりする程に綺麗だった。それだけでなく、別の店舗を見るならば食器類、特にナイフやフォークの取っ手にガラス玉が施されており、どこか品がいいように思える。
このような宝石めいた装飾品は、実用性の観点から見れば扱いにくいのだろうが、カナデはどこか魅惑的な気がしてならない。やはりこういう部分は自身が女性であるという事を強く意識してしまう瞬間だった。
そんな、どこか恋する乙女のような視線を店舗に向けているカナデに――
「ここのアクセサリーは……他国の貴族からも注文が頻繁にされるらしいわ」
補足情報を加えたのは、薄っすらと微笑むイリス。
さすがは姫というだけはあって、このような品のある品物には慣れているらしい。
「値段もお手頃な物があって……そして、綺麗。確かシェリティアにも扱っている店があるよ」
そして、一般市民としての役立つ情報をくれたのはアリシアだった。
彼女はカナデの左手側へと佇んで、常に半歩後ろを付いて来ている。昨日の発言があったため、どこか気になって仕方がないカナデ。
だが、そんな事を気にしている暇は実はない。加えて言うならば、店舗を覗いている暇もないのだ。
ここに来た目的は、聖王国ルストの王オーギュストに会うためであるのだから。
「水を差すようで申し訳ありませんが……」
そんな事を思っていると、測ったようなタイミングで声を掛けて来たのはシオンだった。彼が言いたいのは、いち早く王に会えという事だろう。敵国の姫が王都を平気な顔をして歩いているという現状を見れば、彼でなくても突っ込みたくなるのだろう。
使者であるとしても異物として見られるのは当然なのだから。
「そうだな。行こう」
煌びやかな装飾品をもう少し見ていたとも思うが、まずは成すべき事を成すべきだ。
そう思考を切り替えたカナデは、一度アリシアに目線で合図をしてから、視線をメイン通りへと向ける。
メイン通りという言葉を使ったが、実際はそう呼ばれているかどうかは分からない。
ただ赤茶色の岩が詰め込まれた通路は、城塞都市シェリティアに酷似しており、そのメイン通りに分断されるように左右へと住居が分かれている所も同じだったのだ。
そして、その通りを直進した先。最奥に建っているのが王城であり、カナデ達が向かうべき場所だ。
(少しでも話せれば……いいがな)
平和的な解決が出来るとはカナデは思っていない。
だが、イリスは争う以外に他に何か道があるのだと信じている。そして、道があるというのであれば進もうと心に誓っているのだ。どんなに険しい道であったとしても。
その道を共に進む事は、予想するよりも多くの困難が待ち受ける事だろう。
しかし、カナデは突き進むイリスと、そして共に歩む者を信じて進みたいと思う。
だからこそカナデは――
「アリシア。私は……イリスを信じる」
言葉を発する事で内なる不安を吹き飛ばして、前へと進む。
「そうだね。分かってる」
そんなカナデに付いて来てくれるのはアリシア。彼女はカナデを無条件で信じてくれる。イリスが歩む道を信じる事と同じように。
「二人とも何かあった? 何だか……様子が違うけれど」
そんな二人に声を掛けたのは、小首を傾げるイリス。
「いや。特にはないが」
「強いて言うなら……お互いの秘密を共有したのかな?」
どこか疑うような目を向けるイリスへと、カナデはすぐさま否定し、アリシアはどこか勘違いされそうな事をさらりと述べた。
「後でゆっくり聞くわ。どうやら本当に時間がないみたいだから」
何か突っ込みがあるかと思ったが、イリスは急に表情を引き締めて、ゆっくりと穢れ無き雪のような白き手を前方へと、王城へと向ける。
イリスが指差した先。その場には、カナデ達に対する迎えがいた。
しかも、ただの迎えではなく、シオンと同じ真紅のロングコートに似た衣類を身に纏う年配の騎士が。
その姿から察するに、聖王国ストレインが警戒すべきもう一人の男、アルフレッド・オーディルという人物だろう。
一人で百人を殺せる、この大陸随一の騎士の様子を注意深く窺うカナデ。
だが、他の皆はどこか違う所を見ているような気がする。それは、明らかに視線の向ける先が異なる事と、息を呑む様子で分かった。
ほどなく訝しんでいると。答えはすぐ近くで聞こえた。
「シュバルツ・ストレイン。どうして……?」
答えを囁くようにして、呟いたのはアリシア。
彼女の白い肌は、はっきりと分かるくらいに青ざめており、まるで見てはいけないものを見てしまったような表情だった。
見てはならないもの。
この大陸においてそう呼べるものとしたら、氷雪種くらいだろう。だが、それは人ではない。ならばもう一つ可能性か。
(同類か……。初めて見るな)
皆の様子で、眼前に立ち尽くしているシュバルツと呼ばれた男を、汚染者と断定したカナデはそっと左手の拳を開く。
同類であるとするならば、氷雪種に会った場合と同様に警戒するべきだと思ったのだ。
しかし、彼は殺気すら含んでいそうなカナデの瞳を受け止めても、揺らぐ事はなかった。むしろ挑むように一歩を踏み出して――
「改めて……名乗ろう。俺が次期国王である、シュバルツ・ストレイン。貴様達がこの国に足を踏み入れた理由を問おう」
どこか横柄にそう言った。
実際に次期国王となれば偉ぶるのも納得出来るが、交渉をするという場として述べる言葉としてはいささか稚拙だろうか。あえてこちらを刺激するためであるならば話は別なのだが。
「初めまして。私が聖王国ストレインの次期女王……イリフィリア・ストレインです。ここに来た理由は一つ。和平によって……両国を一つにするためです。それが成せぬなら現王であるラディウス王は戦をする心構えです」
どこか無礼なシュバルツに対して、切り返したのはイリス。
しかし、どこか彼女らしいのは、名乗ると共に頭を下げた事だろうか。
だが――
「なるほど。つまり貴様は俺に配下となれと言うのか?」
最低限の礼儀を尽くしたイリスを、小馬鹿にしたように笑ったのはシュバルツ。
もはや交渉などでは決してない。まるで火に油を注ぎにきたようにしかカナデには見えなかった。
しかし、これはまるで予想もしていなかった事だ。もう少し交渉らしく。話だけは出来ると思っていたのだ。最終的な終着点は同じだとしても。
もう無駄かと、そう諦めかけた時。
「いえ。それを望まないというのであれば……共に国をまとめましょう。お互いに尊重し合うならば、決して不可能ではありません」
イリスはなおも言葉を、次期王を名乗るシュバルツへと向ける。
カナデは驚いて、彼女の深緑を思わせる力ある瞳を見つめると。イリスの瞳はまるで曇ってはおらず、まだ力強く輝いていた。
「何を言うかと思えば。くだらんな。この時代で、そんな子供じみた理想を語る者がいるとはな。まだ力で蹂躙し……屈服させて、統合しようとする者の方が好感を持てる」
しかし、そんなイリスをシュバルツは笑った。
まるで喜劇でも見ているかのように。何の遠慮をする事なく、皆の面前で。
そんな彼を漆黒の瞳に収めたカナデは、考えるよりも早く一歩を踏み出していた。彼との距離は歩数にして十歩。
氷装具を展開するならば、即座に間合いに入れる事だろう。
数多の考えがあるのは理解している。そのため、イリスの言葉が否定されるのは仕方がない事だ。だが、必死に想いを紡ぐ者を笑う事だけは許せなかった。例えどんな相手であろうとも。
その怒りを一撃に載せて解き放つためにカナデは、さらに一歩を踏み出す。
しかし。
「止まりなさい、カナデ。今は会話にて事を進める場です」
そんなカナデを止めたのは、彼によって小馬鹿にされたイリスだった。
それだけでなく、彼女が怒りを向けている相手は彼ではない。自己の意思によって事を荒立てようとしているカナデだった。
(どうして?)
カナデは納得のいかない瞳をイリスに向けるが、直視出来たのは一瞬だけだった。
その最たる理由は、怒る絶対者の瞳があまりにも冷たかったからだ。普段の優しくほんわかした彼女はそこには居らず、背筋に氷をつけられたかのような感覚すら覚える、冷え切った瞳を浮かべる姫がそこにいたのだ。
「聞こえなかったのですか? 下がりなさい」
しばし凍ったかのように固まっているカナデへと向けて、イリスが再び声を掛ける。
「すまない」
カナデは何に対して謝罪したのか自身でも分からなかったが、一言呟く共に一歩、二歩と後ずさる。
「大丈夫?」
そんなカナデを、優しく受け止めてくれたのはアリシア。
しかし、姫と長くを共にする従者も彼女の変わりように驚いているらしく、その声はどこか震えていた。アリシアでさえ、知らないイリスの姿。これがもしかすれば王としての彼女の姿なのだろうか。
頼れる王であると言えば聞こえはいいが、一歩間違えれば恐怖の象徴にもなりかねないイリス。そんな彼女に対してどこか不安な気持ちもあるが、今は見守る他ないだろう。
「話が逸れました。私を笑う事は構いません。ですが、一国の王を名乗るのであれば……民が希望を持てる理想の一つくらいは述べて見せなさい。そうであるならば……このイリフィリア・ストレイン。即座に引き下がりましょう」
カナデが、いや、皆が見守る中で、イリスが紡いだのは怒りに任せた言葉ではなくて、やはり王としての言葉だった。
ただ民の幸せを祈り、導き、そして叶うのなら平和的な解決を望む。
それが、イリスが望む『王道』だと言うのだろう。父であり、現王であるラディウスが進む道とは異なる、彼女自身の道なのだ。
「理想か。それで国が救われると……戦争に勝てると言うのか? すでに勝った気でいるな、イリフィリア・ストレイン。戦争とは何が起きるか分からんものだぞ?」
対するシュバルツは不敵に笑う。
彼が浮かべる笑顔は、どこまでも歪んでいた。
一体何を経験すればここまで歪むと言うのだろうか。同じ人であるのかどうかさえも疑ってしまうほどであった。
「救えます。いえ、理想なくして剣を取った先に勝利は訪れません。訪れるのは敗北のみ。今からでも遅くはありません」
そんな彼へとイリスは変わらず語り、そして穢れなき手を差し出す。カナデの心へと光を燈したように。ただ眼前に立つ彼に想いを、言葉を届けるために。
しかし、彼は当然その手を握る事はない。むしろ――
「では……イリフィリア・ストレイン。俺に見せてみろ。貴様の王道を。しかし、それは叶わんぞ。すでに聖王国ストレインは滅びへの道を進んでいるのだからな」
不敵に笑うだけだった。
「まだ諦めません。あなたで無理ならば……オーギュスト王に直に話をします」
どうやらこれ以上は話をしても無意味だと判断したイリスは、彼の隣を通り過ぎるかのように一歩を踏み出す。そんな彼女の瞳は、すでに彼を見てはいなかった。
深緑の瞳に映るのは、おそらく王城だけだろう。すでに交渉など不可能だと分かっているのに、それでもイリスは諦めるつもりはないというのだろうか。
ただ一途に進む姫の横顔は、ただ凛々しくて、それでいて揺るがぬ決意に満ちているようにも見える。だが、それはカナデから見た場合であり、シュバルツが何を考えているのかはまた別の話だろう。
しかし、それは数瞬の内に分かる。彼自身が胸の内を語る事によって。
「オーギュスト王が話を聞くと思わないが? すでに、貴国の同盟国たるリシェス共和国と、我が国は交戦状態なのだからな」
そして、シュバルツが語った内容は、イリス達一行を驚かせるには十分であった。
戦争を止めに来たというのに、すでに交戦状態に入っているというのだ。カナデ達が驚く事は当然だ。しかし、驚いたのはカナデ達だけではない。
「なぜ……? まだ戦争は先だと」
四人を王都まで招いたシオンでさえ、この状況に戸惑っているのである。どうやら不審な行動、この場合で言えばイリスと通じる可能性があった彼には、全ての情報が伝わっていなかったらしい。今思えば当然だろうか。
(どうすればいい? ここまで来たら……強引にイリスを連れ戻すべきか)
すでに前哨戦が執り行われているというのであれば、交渉など無意味だ。
宣戦布告すらする必要もないだろう。これは王ラディウスの意思なのか、それともまた何か別の意思が働いているのか。
どうにかして答えを導き出そうと思考を走らせていると。
「それは……あなた達の描いたシナリオですかな? それとも踊らされているのですか?」
代表でシュバルツに問うたのは、ゼイガンだった。
貴族カーマインとシュバルツが結託しているのか。それともまた別の者であるのか。それを確認するための問いだろう。
「それに答えるとでも? もはや対話は不要。さすがに王族の使者をこの場で斬るつもりはない。カストア砦を出るまでは……命は保障しよう」
しかし、当然というべきかシュバルツは答えない。
そんな彼に対して、ゼイガンは固く口を引き結ぶ。余計な情報を彼へと伝えないためだろう。情報を得られないのであれば、それも致し方ないとカナデは思う。
だが、それはイリスには通用しない。
「我が国の貴族であるカーマインは……聖王国ストレイン、そしてルストを滅ぼすつもりかもしれません」
即座に、皆が口に出す事を躊躇う事を言ってしまうのだから。
ただ聖王国ルストを窮地から救うためだけに。それも窮地に立たされる瞬間が、自国が滅んだ後であると知っていても。
「貴殿は……どこまで」
さすがに常軌を逸脱し過ぎているイリスの様子に戸惑ったシュバルツは一歩後ずさる。あまりにも真っ直ぐ過ぎる者というのは、それだけで恐怖の対象となるらしい。
「もうここで成せる事はありませんね。願うならば……戦争が終結した後に再び平和的な和平が結ばれる事を」
どこか異質な恐怖に囚われているシュバルツを気にした様子もなく、イリスは淡い金色の髪を揺らして、振り向く。そんな彼女が見つめたのはカナデだった。
とりあえずはイリスと視線を重ねてみる。
すると、イリスは一度瞳を伏せてから――
「先ほどは……ごめんさない」
か細い声で囁いた。
どうやら先ほど冷え切った瞳で見つめた事を、後悔しているらしい。その姿は紛れもなく、いつものイリスの姿だった。
「構わない。私も軽率だった」
あのままずっと冷えた瞳で見つめられるなら考えものだが、普段通りの彼女に戻ったのであれば、何の問題も感じないカナデは短く言葉を返すと共に薄っすらと微笑む。
「ありがと」
そんなカナデの様子に安堵したのか、イリスは伏せた顔を上げて微笑み返してくれた。しばらく見つめ合う、二人。
すると――
「あまり時間がないよ。急ごう」
アリシアがどこか焦ったような声で、カナデを急かす。
実際にアリシアが言う通り、すでに両軍が激突しているとなれば時間はないだろう。情報を持ち帰る事も大切だが、あまりにも遅くなるのであれば最悪は、聖王国の名を持つ両国が激突する中を突っ切らねばならないかもしれないのだから。
「そうだな。すぐにカストア砦まで……戻ろう」
カナデはアリシアの言葉に一つ頷くと、すでに交渉を終えた彼らに背を向けて、自国へと戻るために歩み出した。




