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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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第四話 (一)

第四話 それぞれの道、姫の王道


 生命溢れる短い草が生い茂る、ストラト平原。

 他に障害物らしき物が見当たらない、行軍にも戦場にも適した平坦なる地を一定のペースで進むのは、縦にまっすぐ間延びした形を取る長蛇の陣を組んだ二千の騎兵だった。

「ここで止まれ! 様子を見る」

 命令さえなければ、おそらく国境線へと向けて一直線に行軍していく騎士達に向けて声を張り上げたのは、列の中央にいる将軍アイザック。

 行軍を止めたのは、正面に見えるカストア砦を攻撃するために来た訳ではないからだ。

 目的は偵察。それも一定の周期で行っている、もはや形式的なものだ。それゆえにカストア砦を守備するルストの騎士達も迎撃に出てくる事はない。アイザックの行うものが威力偵察であれば、弾かれたように出てくるであろうが。

 しかし、今回の偵察はある意味では特殊である。

 現在ルストへと入った使者、特に姫イリフィリアが与える影響によって、何かしら動きがあるかもしれないからだ。さすがにいきなり攻めてくる事はないだろうが、追い詰められた人間は何をするのか予想出来ないために、普段以上に警戒する必要がある。

 そして、注意を向ける相手は敵だけではない。本来は信頼すべき、部下たる騎士にも注意の目を向ける必要がある。敵の手の者が混じっている可能性を捨てきれないからである。

「いいか。絶対に動くな!」

 当然、警戒の瞳を向けるだけではなく、声を張り上げるアイザック。

 声は、馬のいななきに混じって平原を轟き、言葉を受けた騎士は石のように、その身を固まらせる。

(これならば……問題ないか)

 命令通りに動いた二千の騎士達に視線を走らせたアイザックは、とりあえず安堵の溜息をつく。

 このまま数十分動きがないのであれば、いつも通りに引き返すつもりだ。

 下手な刺激を与えてルストの騎士が飛び出してくるのであれば、たかが二千の騎士では対応できはしない。その代わりに動きの身軽さだけを見れば、騎兵である事も相まって十分であるのだが。

 アイザックが鋭い茶色の瞳を、眼前に立ち尽くすカストア砦に向ける事、約二十分。

 ここまで正確な時間が分かるのは、偵察の際に携帯する、胸元で輝く金色の懐中時計にて確認したからだ。

(……戻るか)

 借り物である懐中時計をゆっくりと閉じながら、アイザックは心中で呟く。

 それは与えられた命令を、心中で確認する意味合いが強い。だが、もう一つ理由がある。それはこの場を離れていいのか悩む自分が、確かに存在するからだ。

 歴戦の将軍すら悩ませる理由は、眼前の敵国に姫がいるからだ。何か姫に危機が訪れるというのであれば、二千の手勢であろうとも、国境を突破しなければならない。それは一人の臣下というよりも、アイザック個人の想いである。

 敵はルストだけでは決してない。おそらく周囲を取り囲む諸国に対して、順調勝ち進み強国グシオン連合国と戦う時には、王ラディウスの寿命は尽きてしまう事だろう。

 ならば戦いの終結をその目で見るのはイリフィリアの世代だ。この大陸の覇者となるべき未来の女王を、まだ始まってもいない段階で死なせる訳にはいかない。

 王のために命を差し出し、国の繁栄のために突き進むのが真なる騎士。ゆえに、姫のために命を差し出すなど安いものだ。

 だが、無駄に命を捨てるつもりもない。出来る事なら無事に、何事もなく姫が戻ってくる事が理想。それからが自分達が本領を発揮するべき時なのだから。

「帰還しないのですか?」

 悩みながら前方を睨むアイザックに対して、見かねた配下の一人が声を掛けた。

 声に対して我に返ると、声を掛けた彼だけでなく、前方から、そして後方から窺う様な視線を感じる。

 兵を束ねる者としては、いささか判断が鈍いと言わざるを得ない状況だろうか。ただ一回判断を鈍らせれば、それは不審へと変わり、いざという時の動きを重く鈍らせてしまう。その事を度重なる戦を通して理解しているアイザックは、一度背筋を伸ばして声を張り上げるために肺へと息を取り込む。

 そして――

「これより――反転。目標は城塞都市シェリティア!」

 素早く指示を出す。

 姫が心配ではあるが、王の命は偵察。

 これ以上、この場に留まる事は叶わない。何とか納得できる理由を心中に刻み込んだアイザックは、自身が乗る馬を反転させる。

 すると。

 突如、慌ただしい音がアイザックの鼓膜を震わせた。

(騎兵? どこからだ?)

 慌ただしい音を、複数の騎兵だと判断したアイザックは、反転する視界の中で音の発生源を探っていく。

「将軍!」

 それと同時に張り上げられたのは、鋭い声。

 声へと視線を向けると、戻るべく城塞都市シェリティアの方角、つまりは北西の方角から五名の伝令が、騎馬にて平原を駆ける姿が見えた。

 伝令と即座に判断出来たのは、彼らが身に纏う物が防御を優先した甲冑ではなくて、主要部分のみを防護する軽装であったからだ。伝令は馬を疲弊させないために、軽装を身に纏うというのがストレインの決まりである。

 アリシアなどの女性騎士は甲冑では動きが鈍るために、軽装を好んで着込む事はあるのだが、それは例外だ。

 そして、とりわけ現状では、伝令である事が分かれば差し支えはないだろう。

(伝令だと? まさか姫が?)

 早さだけを優先させる伝令が取り急ぎ、アイザックへと報告する事。

 思い当たるとするならば、先ほど懸念していた姫の事くらいだろう。先ほど自らが考えていた事もあり、どこか不安な心持で言葉を待つアイザック。

 すると長い沈黙を経て。

 おそらく代表であろう伝令の一人が、アイザックの前まで騎馬を走らせると、左胸に右手を添える姿勢を取って口を開き――

「報告。南のリシェス共和国より――数にして三千の部隊が進行中。目標は聖王国ルストと推測。アイザック殿はストラト平原にて偵察を続行。以上です」

 すらすらと淀みなく伝えるべく事をアイザックへと伝える。

 しかし、報告を受けたアイザックは腑に落ちぬ事ばかりだった。

 同盟国たるリシェス共和国が動くという事は予想していた事だ。

 だが、僅か三千の手勢でどうするのか。当然、アイザックの二千を加えても、常に兵力八千が常駐するカストア砦を攻略する事は不可能。しかも、攻城兵器もなく、攻城戦には不向きな騎兵であるのだから尚の事だ。何か策があるにしても兵力が足りないのは、根っからの将軍であるアイザックにも分かる。

 まるで無謀な突撃をするようなもの。そして、それを見守る様に命令されたアイザック。姫に何かあった訳ではない事は心から安堵するが、不自然な事が多すぎるのだ。

 だが、幸い偵察となれば状況だけは知り得る事が出来る。

 とりあえずは状況を自身の良い方向へと強引に解釈したアイザックは――

「分かった。我が隊は北西へと進んだ後に――野営地を作る。そう伝えてくれ」

 伝令へと言葉を返す。

 言葉を受け取った伝令はすかさず反転して、アイザックの言葉を王へと伝えるために平原を駆け進む。

(こちらでも……動くか)

 伝令の背を見つめる事、数秒。

 アイザックは、しばし悩んだ末に安全策を講じる事を内心で決定する。こういう際にゼイガンのように相談出来る相手がいない事は不憫で仕方がない。

 だからこそ、アリシアやカナデのような若い世代が育つ事を期待しているのだが、それはまだまだ時間を要する。ならば自身が不安の種を摘み取る他はない。

「誰か……そうだな。五名ほどでいい。伝令に悟られぬようにシェリティアへ行け。そして、王へと伝えろ。どこか……おかしいとな」

 アイザックは、味方を疑う事に少なからず良心が痛む。だが、不審な事態について進言する程度であれば、将として当然とも言える。

 問題は誰が動くかという事なのだが。そう思い、視線を部下へと移していくと。

「では、私が」

 即座にアイザックへと応じたのは、先ほど声を掛けた年配の騎士だった。そんな彼に集まるようにして、騎馬を寄せるのは四人の騎士。

(……問題はないか)

 自身の部下の中でも、割と古参に当たる五人の表情を確認したアイザックは、心中で呟いて一つ頷く。彼らであれば伝令に気づかれない事も、また王へと言葉を伝える際も問題ないと判断したのだ。

「何事もなければ……いいが」

 ゼイガン程に知略に長けていないアイザックは、心中に浮かぶ言いようのない不安を消し去るために一言呟く。しかし、その言葉に応えてくれる者はいない。

 その事実が、アイザックをさらに追い込んでいく。

 だが、この程度で揺らぐほどの軟な心を持ち合わせていない将軍は、口を固く引き結んで、ゆっくりと馬を走らせた。


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