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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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第三話 (五)

 カナデ達が通されたのは、カストア砦の地下に位置する場所。

 外壁と同じ岩造りの、一目見た所ではとてもではないが来客用とは呼べない、そんな一部屋だった。そう断言出来るのは招かれた部屋には、中央に机が一つと、そして向かい合うようにして椅子が置かれているだけだからだ。まるで捕虜を尋問する部屋に見えてしまうのは気のせいではないだろう。

 そんな一般人ですら滅多に入らないだろう下賤なる場所に、一国の姫君を招いたとあれば失礼極まりない話ではある。だが、そんな些細な事はイリスには通用はしない。

 それを証明するかのように、姫はシオンに向き合うようにして座り、いつもと変わらない微笑みを浮かべているのだから。

 肝が据わっているのか、鈍感なのか。それとも絶対に罠にはめるような人間ではないと確信できる何かがあるのか。それは分からなかった。

 そこまで思考を走らせた所で、カナデは素早く確認するような視線を向ける。カナデ自身は現在、部屋の一番奥側、イリスの背を見守る様にして立ち尽くしている。

 では、他の二人。アリシアとゼイガンはどうしているのか。

 まずゼイガンは姫の左手側に控えて、イリスの言葉を補う役目を担っている。そして、アリシアはイリスの右手側に見える壁に背を預けて、シオンをじっと睨んでいた。隙あらば手にした槍で貫く、そう言いたげな殺気を含んだ視線を向けているのである。どうやら姫をこんなかび臭い場所に連れ込んだ事と、まるで知人に向けるような柔らかい物腰が気に入らないらしい。本当に分かりやすい少女だとカナデは思う。悪い人間ではない事は知っているのだけれども。

「少々視線が痛いですが……気にせずに話しましょう。といってもあまり時間は掛けられません。この砦にいる者は私の部下ですが……いつアルフレッド殿が動くか分かりませんから」

 やはり殺気を含んだ視線に気づいていたシオンは苦笑いを浮かべる。彼なりにこんな所に連れ込んでしまった事に負い目があるのだろう。

「アリシアについては気にしないで下さい。それでは、さっそく本題を。と言っても述べるべき言葉は少ないです。私達は和平の使者として……この地を踏んだ。それだけ理解して下されば十分です」

 イリス自身も時間がない事は分かっているようで、すぐに本題を切り出す。

(さて……どう出るんだ?)

 カナデは、イリスの言葉を聞いたシオンの表情を注視する。おそらくゼイガンも同じようにしている事だろう。

「和平ですか。それはありがたく思います。ですが……現状では不可能でしょう」

 しかし、四人の視線を受け止めたシオンは顔色一つ変えずに、イリスの言葉を否定すると同時に、首を左右へと振った。

 和平など無理なのは最初から分かっていた事だ。ここまでは、ある意味では想定内だろう。

 しかし、問題はここから先。さらに情報を得られるかどうかだ。

「では……戦争をすると?」

「オーギュスト王はそのつもりです。それはラディウス王も同じでは?」

 言葉を否定されたイリスは核心へと迫る。そんなイリスにシオンは問い返す。

(これでは……ただの宣戦布告だな)

 カナデは腕を組んで、二人のやり取りを眺める。それと同時に、分かり合えず、ただ宣戦布告をしただけでは、ここに来た意味がないと思ってしまう。

 では、何かないのか。そう考えると共に、話の中心たる二人を、固唾を飲んで見守っていると。

「父は……ラディウス王は戦争をするつもりです。南のリシェス共和国と共同で……聖王国ルストを滅ぼすでしょう。ですが……私はその他の方法を探したいと思っています」

 イリスは隠し事をしていても話が進まないと判断らしく、自国の王の本音を零す。

 すでに相手もその程度の情報は持っているだろうから、隠す必要もないのだろう。それは老齢なる騎士が口を挟まない所を見ればすぐに分かる。

 彼がどう言葉を返すのかと皆が見守っていると。

「そうですか。そのリシェス共和国ですが……我が聖王国ルストと同盟を結んでいます」

 シオンは信じられない言葉をさらりと口にした。

 だが、彼が述べた事はすでにゼイガンが予想をしていた事だ。だとしても、まさか敵の口から証拠となるような言葉が聞けるとは思ってもいなかった。それは皆も同じなのかしばらく言葉を返す事が出来なかった。

「予想はしていたけれど……真実を聞くのは衝撃的ですか?」

 驚く面々を順々に見つめたシオンは、肩を竦めて一言。

 しかし、まさに彼の言った通りだった。自分達の考えが正しかった事も、そして聖王国ストレインが滅びの道を進んでいる事も、衝撃的だったのである。

 いつまでも固まり、声を発せずにいる面々。

 どれだけ時間が経ったか。おそらく数秒が過ぎた後に。

「裏で手を引くのは……カーマインですか?」

 いち早く立ち直ったゼイガンが、皆を代表して問う。

 これも旅に出る前に彼が予想していた事の一つだ。もはや確認するまでもない気もするが、とりあえずは肯定の返事が欲しいのだろう。

「そうです。彼が裏で手を引いています。オーギュスト王も、アルフレッド殿も彼を信用しているのですが……私はどうも怪しいと思っています」

 ゼイガンの問いを受けたシオンは、一つ頷いて肯定の意思を示すと共に、自身の考えを語る。しかし、彼の言葉はどこか曖昧だった。

「――怪しいとは?」

 その曖昧なる部分を、はっきりさせるためにカナデは問う。

 今の彼ならば答えてくれると思ったからだ。答えてはもらえないかもしれないけれど、問うだけならば問題はないと考えたのである。

「彼はそもそもどこの国の者ですか? 聖王国の者でなければ……リシェス共和国? それともまた別の国なのですか? それが明確ではないのです。このまま進めば……領土を増したルストもまた彼の思惑によって飲み込まれてしまう事は明白。それを防ぐためにも私は裏切り者と罵られようとも……この場にいます」

 カナデの問いを受けたシオンは、どこか疲れたような表情を浮かべて語った。

(なるほど……確かにどこの所属か分からないな)

 カナデはシオンの言葉を脳内で整理する。

 今回の一件で得をするのは、リシェス共和国だろう。ただ争いに便乗するだけで領土が手に入るのだから当然だ。だが、彼が言うように他の国である可能性もある。

 そう。

 例えば、聖王国ストレインを中心にして、幾重にも争い、削り合う事を望む国。北の強国グシオン連合国。または長年戦争を続けて疲弊したフィーメア神国なども、楽に侵攻出来る土地を求めている事だろう。

 考えれば考える程に怪しいと思えてしまう、カーマイン。だが、彼の真なる目的はまるで見えてはこなかった。どうやらここで考えるには、情報が明らかに不足している。そう結論を付けたカナデは、ここで一端思考を止める。

 そして、固く引き結ばれた口をゆっくりと開いて――

「今後はどうするんだ? 目的は果たしたようなものだが?」

 イリスの背へと問う。

 必要な情報を得る事が出来た現状では、カナデ達はこれ以上進む必要がないように思う。とりあえずは、城塞都市シェリティアに戻るのが得策だろうか。

「カナデ。私達の目的は?」

 当然、戻ると言うと思っていたカナデに向けて、イリスは正面を向いたまま一つ質問した。なぜここで問うのか。カナデには彼女の意図が分からない。

 表情すら見えないのだから分かる訳はないのだが。しかし、イリスの正面に立つシオンが漆黒の瞳を見開いた所を見ると、何かとんでもない事を考えているに違いない。

(とんでもないこと……か)

 カナデは即座に「分からない」と述べる事も悔しいので、とりあえずは瞳を閉じて、思考に耽る。

 戻る以外にやれる事。そもそもカナデ達は何のためにここに来たのか。

 その瞬間、彼女の言葉が脳裏を掠める。

「私達は和平の使者として……この地を踏んだ」

 浮かんだ言葉が正解だと瞬時に理解したカナデは、彼女が述べた言葉をそのまま呟いた。

 すると、イリスは――

「そうよ。私達は……まだ何もしてないわ」

 振り向くと共にそう言った。

 どうやら彼女は成功か、失敗か。どちらかはっきりするまで戻るつもりはないらしい。

「ゼイガン!」

 さすがにこれ以上進む事に対しては了承出来ないカナデは、老齢な騎士の背に向けて声を張り上げる。だが、彼は自慢の顎鬚を撫でるだけで何も言う事はなかった。

 どうやら姫の決定に従うらしい。

 それでも諦めたくないカナデは――

「アリシア!」

 最後の希望を託して悲鳴にも似た声を、童顔の騎士へと向ける。さすがに近衛騎士とも呼べる彼女なら分かってくれると思ったのだ。イリスの無事を心から願うアリシアであれば。

「ごめん……カナデ。私は姫が選んだ道を一緒に進むよ」

 だが、アリシアははっきりとカナデを否定した。

 その瞬間。

 カナデは自身が途中参加の者である事を思い知った。ゼイガンとアリシアは、迷った際は必ず姫に続くのだ。誰が何を言おうとも揺らがず、その命を掛けて。

 それだけ強い絆で結ばれているのだ。

「私は……」

 カナデはこの時初めて、目の前にいる姫に恐怖を感じた。

 イリスは明らかにカナデ達とは住んでいる世界が違うと思ったのだ。だからこそ姫として、いや、自分達を統べる絶対者として自然と従ってしまうのだ。自身が気づく前に、無意識の内に従ってしまうのである。

「強制はしないわ。戻るというのであれば……今、聞いた話を王へと伝えて。でも、私はカナデにも来てほしい」

 言葉を続けられないカナデへと向けて、イリスは立ち上がると共に、その身を翻した。

 そして、差し出されたのは穢れを知らない白き手。彼女に付いていくと決めたあの日に差し出された、絆を繋ぐための手だったのだ。

 彼女は決して命令をしている訳ではない。ただ一緒に来てくれる事を願っているだけだ。そこに何か悪意や、思惑がある訳では決してない。それはよく分かっている。

 だから、カナデは――

「私も行こう」

 手を差し出す彼女を信じる事にした。心が震えるのは自身の小さき器が、絶対者たる彼女の器に怯えているだけなのだと、強引に心中で結論をつけて。

「ありがとう……カナデ」

 イリスは再び手を繋げなかった事に対して、一度残念そうに表情を曇らせたが、すぐに花が咲いたように綺麗に笑った。いつも通りの共に歩む事を喜ぶ、彼女の笑顔がそこにはあったのだ。カナデの心を照らす、沈んだ心さえも照らす光が、そこにはあったのである。

(何を恐れているんだ……私は)

 心中でそう呟いた時には、カナデの心には何の不安もありはしなかった。ただ彼女が笑顔を浮かべた事に喜ぶ心しかなかったのだ。

 何とか元の関係に戻ったと、安堵していると。

「安心して下さい。交渉が終わりましたら……私が必ず聖王国ストレインへと送り届けます」

 シオンがすかさず言葉を挟む。

 彼一人の力でどこまで出来るかは疑問ではあるが、カナデ達だけで進む事と比べれば幾分かましである事は言うまでもない。それとも味方であるカナデすら恐怖させる姫君は、何か予想も出来ない事を成し遂げてしまうのかもしれない。

「では、参りましょう!」

 カナデの心中を察しているかどうかは分からないが、イリスは自身の腕を掲げて皆を促す。そんな彼女に続くのはゼイガンとアリシア。

 そして、迷いを振り切ったカナデだった。


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