第三話 (四)
聖王国ルストの王城二階。
まるで磨かれたように輝く通路を歩いているのはアルフレッドである。目的は言うまでもなく、王オーギュストへと報告する事があるからだ。
普段であれば、早歩き程度の速度で通路を歩いていくアルフレッドではあるが、現在は一刻も早く王へと情報を入れるためにも走り出したいような気分だった。
経験豊富な年配の騎士すらも焦らせる理由。
それはシオンが独断で、聖王国ストレインの姫と会談をしている事に他ならない。本来で言えば王城まで招き、謁見の間にて会談を行うつもりでいた。そういう意味では先を越されてしまったとでも言うべきか。
(だが……なぜだ)
アルフレッドは、シオンが今回の騙し討ちに近い策に反対していた事は知っている。だが、独断で行動するとは思っていなかったのだ。
(まずは……報告か)
考えても答えが出ない事に労力をかけている暇はないアルフレッドは、さらに歩む足を早めていく。
硬質なるブーツが床を叩く音が数回響くと。
視界に収まったのは、三人くらいであれば余裕を持って通れる通路と幅を同じにする巨大な扉だった。高さはざっと三メートル以上はあるだろうか。
王の威厳を示すためとはいえ、いささか巨大過ぎる扉だ。
「王。アルフレッドです」
大扉まで歩み寄ったアルフレッドは、ノックをすると共に王へと入室の許可を求める。
すると――
「入るがよい」
数秒の間もなく、しゃがれた声がドアの向こう側から聞こえてきた。
(さて……どう判断する)
アルフレッドは報告を受けた王が、どのような決断を下すのかを予想しながら、巨大な扉の金色に塗られた取っ手を掴み手前へと引く。
王の私室へと繋がる扉を開けた先は、見慣れた光景。
中央に王が休むベッドが置かれ、入って左手側は執務用の机。ここまでは他の王族が保有する私室と大差ないように思える。
唯一違いがあるとするならば、入って正面。
部屋の右側へと置かれた、王座を思わせる豪奢な椅子が置かれている事くらいか。当然、その椅子に腰掛けているのは、この部屋の主。
オーギュスト・ストレインである。
今年で六十二歳となる老王は、年齢を感じさせる白髪を肩まで伸ばし、立派な口髭が似合う男だった。ここ最近では寝込む事も多く、体を支える手足は、骨と皮しかないように思える程に細い。いつ天命を全うしてもおかしくはないように見えてしまう程だ。
「王よ。報告する事が」
背にあるドアを閉めたアルフレッドは、無駄な事は言わずに必要な事のみを述べる。
「シオンが動いたか?」
すると王は、まるで未来でも見えているかのように、今から述べるべき事を的確に言い当てた。謀反を起こしたとはいえ、一代でここまで国を大きくした男は、やはりどこか物事を見る目が違うのかもしれない。
どれだけ剣の腕が優れていようとも、アルフレッドは彼の前に立つと自身が小さな存在だと思えてならない。だからこそずっと仕え続けているだが。
「もはや説明は不要かと思いますが……一応は。シオンがカストア砦にてストレインの姫君と会談をしております」
述べる事に意味はないかもしれないが、アルフレッドは話を切り出すためと二人の情報が同じであるかを確認するために、あえて形式的に述べる。
「シオンは今回の策には反対だったのだろうな。そして、両国が平和的に剣を収める方法も模索していた。ストレインの姫君と会いたくなるのは当然かもしれんな」
どうやら持っている情報は同じらしく、王はどこか遠い目をして呟いた。
そして、長きに渡る時を過ごした王は、まるでシオンという男を知り尽くしているかのような口ぶりだった。正しいのかどうかはアルフレッドには判断出来ないが、おそらく外れてはいないのだと思える。それだけ王の言葉には不思議な説得力があった。
「シオンは……裏切ると?」
それゆえに答えを持っているだろう王へと、アルフレッドは問う。
これから自身が取るべき行動を決めるためにも。そして、王命に基づいて動いているのだという、正当性を勝ち取るためにも必要な事だった。
「裏切るか。確かに言葉を変えれば……そうはなるか。だが、シオンは裏切ってなどはおらん。この国の発展を願って行動しているという意味ではな。ただワシらとは道を違えてしまっただけに過ぎん」
オーギュストは問いに対して、ゆっくりと瞳を閉じて呟いた。
どこか遠回しで、はっきりとしない王の言葉を聞いたアルフレッドは、彼の身になって思考を走らせていく。
――望むべきは平和的な解決。
すなわち和平だろう。元は同じ国であったのだ、それは最も理想的な形での統合だろう。だが、それを成せるとでも言うのだろうか。ただの姫君と話をした所で。
(不可能だな。所詮は夢物語)
アルフレッドは心中で即座に斬り捨てる。
世界はそんなに優しく出来てはいない。優しいといのであれば、簡単だというのであれば言葉だけでとっくに世界は統合されているだろうから。
「なぜ……そこまで理想を追うのだ」
流れた思考は心中では処理できずに、いつの間にか口から漏れ出ていた。漏れた声が鼓膜を震わせた瞬間に、アルフレッドは我に返って王を見つめる。
「それもまた……一つの道だ。ワシはその道を選ぶ事は叶わなかったがな。だが、悔いはない。その後の事は……お前とシュバルツに任せる」
しかし、王は漏れ出た言葉にも丁寧に言葉を返してくれた。
そして、アルフレッドに託してくれたのだ。この国の未来を。時期国王となるシュバルツを支えるという事で。
「御意。まずは聖王国ストレインを。そして、シオンが敵になるというのであれば……私が彼を討ちます」
アルフレッドは胸に込み上がる確かな熱を感じながら言い切る。
変わらぬ忠誠を王へと誓うために。言葉を捧げる事で自身の心が揺らがぬように。
「すまんな。シュバルツがもう少ししっかりしていればな。だが、それは言ってはならんか。彼を歪ませたのは……ワシなのだからな」
だが、決して揺れない言葉を受け取った王は、すでにアルフレッドを見てはいなかった。王が見つめているのは、今はこの場にいない一人の人物。王城の地下牢に閉じ込められている、次期国王シュバルツ・ストレインである。
なぜ次期国王が牢屋などにいるかと言えば、一つの言葉さえ知っていれば誰しも理解できる。
その一つの言葉は『汚染者』。
氷雪種によってその身を汚され、触れたものを氷の結晶へと変貌させてしまう呪いにも似た力を宿した者。国に二人でもいるならば多いと思ってしまう稀なる存在だ。その稀なる一人に数えられるのが、シュバルツ・ストレインなのである。
「彼とはもう一度……私が話してみましょう。王は……ただ安らかなる時を」
アルフレッドは心を沈ませる王に向けて、短く言葉を掛けるとその身を翻す。言葉通りにシュバルツともう一度話すためである。
「すまんな。この体が動くのであれば……ワシが全て出来るというのに」
「私は王の手足。気になさる必要はありません。では――」
王は老いた自身の体を疎ましそうに見つめて呟き、アルフレッドはそんな王へと臣下としての言葉を掛ける。シオンがいなくなると言うならば、もうこの国を支える事が出来るのは自身のみ。そう心に言い聞かせたアルフレッドは、正面に見える巨大な扉を開け放ち、鋭い一歩を踏み出した。