第三話 (二)
城塞都市シェリティア南西部。
比較的収入の少ない者が住まう居住区にて。
「――」
無言で、左右に立ち並ぶ三角屋根の住居を見る事なく、歩いているのは一人の男。王ラディウスの参謀として知られる、貴族カーマインである。
普段は黒を基調とした礼服に身を包む彼ではあるが、現在は新品の漆黒のローブに身を包み、表情は灰色の面にて隠している。
一目見ただけで怪しい姿なのは言うまでもない。だが、現在の時刻は深夜。わざわざ寒空の中に出てくるものはおらず、カーマインを気に留める者はいない。
だとしても自身の正体を知られる訳にはいかないカーマインは、硬質なる岩で作られた道を慎重に進み、音を響かせないように努めている。
――気配を殺して歩く事、数分。
男の目の前に立ったのは、自身と同じ身なりをした長身の男であった。服装のみで秘密裏の会談をする相手だと分かるのはありがたいが、その反面で顔が分からない相手と話すのはいささか不安でもある。しかし、それは相手も同じ。
ならばさっさと終わらせてしまうのがいい。それが、カーマインが至った結論だった。
そんな考えが通じたのかどうかは分からないが、長身の男は一度カーマインを手招きすると、住居と住居の間、人が一人通れるかどうかの暗がりへと向かっていく。
もしかすれば暗がりに入った瞬間に消されるかもしれないが、カーマインは不安に思う事はない。いや、むしろ自信に満ちた表情を浮かべてさえいた。
その理由は、一度視線を上げればすぐに分かる。
長身の男が選んだ住居の屋根上。舞い散る雪が積もりに積もった屋根には、一つの影が佇んでいる。カーマイン自身にも多少なりとも剣の心得はあるが、保険として闇に生きる者を控えさせているのである。
しかし、その保険を使う事はないと思っている。カーマインという存在が、リシェス共和国と、聖王国ルストを結び付けているのだから。カーマインが死ぬ事は、全ての計画が泡となって消えてしまうのだ。わざわざこの場で命を狙ってくる事はないだろう。
とりあえずは身の安全と、現状を脳内で整理したカーマインは、暗がりの道へと闇に溶け込むようにして滑り込ませる。
すると。
「カーマイン殿。お貸しした騎士を……こうも無計画に使われるのは問題だ」
長身の男は開口一番に、そう言った。
彼が言いたい事は、姫の暗殺のために借りたリシェス共和国の騎士の事だろう。それも何の文句もつけられないような選りすぐりの精鋭ばかり。現状を知らぬ者ならば、これだけの手駒を用いて、小娘一人暗殺できないとなれば『無能』の一言で片づけられてしまうだろう。つまり彼は、カーマインが何の策も立てずに騎士を送り、殺したと言っているのである。
「遠目にて闇の者に確認させた所……あの忌々しい汚染者の加入が計画を歪ませてしまったのです」
カーマインは嘘を言っても仕方がないため、真実を語った。
実際に二十名の騎士を送ったというのに、駆逐してしまうというのだから驚愕に値する。ゼイガンの策と、汚染者たる少女の力を侮る事はもはや出来ないだろう。例えるならば聖王国ルストに所属する、軍法衣を身に纏う騎士、アルフレッドとシオンを殺すつもりで事に当たる事が適しているかもしれない。それほどまでに強大な手駒を、イリフィリア・ストレインは確保したのである。もはや小娘などと馬鹿には出来ないだろう。
それを眼前の男は理解しているのか、していないのか。
そんな事を考えていると。
「過ぎた事は仕方ない。最悪は戦争中に殺せばいいのだからな。仮に生き残ったとしても……現王ラディウスが戦死すればこの国は終わりだ」
面で顔を隠した男は淡々と語る。
だが、その声はリシェス共和国の繁栄を願う気持ちで溢れているように思えた。その気持ちはカーマインからすれば甘えにしか見えないのだが。
しかし、それはカーマインからすればどうでもいい。問題は聖王国ストレインの事だ。
実際は彼の言う通りに、王を失った国に未来はない。ラディウスが倒れれば、聖王国ルストと、リシェス共和国によって領土を侵略される事だろう。麗しき姫君が辿る運命は討ち死にか、それか政治の道具として扱われるか。
ついでに言うならば、それらもカーマインにとってはどうでも良い事だった。
ただ自身の脳内にあるシナリオの一部にしか過ぎないのだから。しかし、今はただのシナリオでしかないのも事実。それを現実のものとしなければならないのだ。
「必ずや私がリシェス共和国に繁栄をもたらす事を約束しましょう」
だからこそカーマインは、とりあえずの目標を語る。
「そうでなければ困る。それに戻った際は……貴殿には聖王国ルスト攻略に貢献してもらわねばならないのだからな。期待しているぞ」
そして、それを信じて疑わない長身の男。
彼が描いたシナリオでもなければ、彼自身が骨身を削って動いている訳でもないというのに。カーマインが本当はどこに所属している者であるかも知らずに、疑う事も知らずに信じているのである。聖王国ストレインの王ラディウスと同じように。
――まさに滑稽で愚か。
カーマインは、笑いを堪える事がここまで大変だと思った事は今までにない。こうも自身が描いたシナリオ通りに進むのだから、面白くて仕方がないのである。
まさに愉悦の一時である。その全てを覆い隠してくれているのが、表情を隠す灰色の面。おそらく今までの人生の中で、ここまで面が役に立った事はないだろう。
「はい。必ずや自国に戻り……聖王国ルストを滅ぼしましょう」
カーマインは、心中に浮かぶ数多の思考を押し殺して言葉を紡ぐ。
スラスラと言葉が出たのは、嘘を言っていないからだ。聖王国ストレイン、聖王国ルスト、そしてリシェス共和国。その全てを滅ぼすつもりなのだから。
現在は転々としているが、いずれ英雄として自国へと戻る。そして、歴史書に『カーマイン・フォルスター』の名を刻み込むのだ。
「分かった。開戦したら……兵二千を送る。上手く扱うように」
長身の男はそれだけを言い残して、カーマインの隣を通り過ぎる。
兵二千。それだけあれば凡才なる王を殺す事くらいは赤子の手を捻るようなものだ。直接挑んだのであれば、決して敵わない軍事の才に恵まれた王でも、騙し討ちならば無数に手はあるのだから。
自身の描く崇高なるシナリオから、現実へと戻ってきたカーマインは冷静に数を頭に叩き込む。ついでに策を練る事も忘れない。聖王国ストレインを滅ぼしてからが始まりであるのだから、当然だ。
「心得ました」
それと共にカーマインは、いつか滅ぼす相手に最大限の感謝を伝えるべく、恭しく礼をする。だが、長身の男は気にした様子もなく、振り返る事もなかった。